12月20日

12月20日

我々の世代は、後片付けの世代だ。



親の世代、またはさらに上の世代が、大量に作り出したゴミを、私たちの世代は処理する運命にある。私は祖父母に育てられた。彼らが残して行った家には大量のゴミが溢れていた。「ゴミ」というのは多岐に渡り、大量の衣類、大量の食器、大量の古くなった家電、大量の本、大量の郵便物に、大量の新聞紙やチラシ、大量の景品のようなもの、大量の植物が枯れたプランター、さらには大量の残された食品もあった。そんなものが無秩序に、乱雑に残されていた。床の上にまで積み重なっていたせいで、ほこりや髪毛がそこら中に落ちていた。

ある時に私は、その残された家の整理を始めた。私は何か、事の異常さというか、無性なやるせなさというか、そういったものに飲み込まれそうになった。



祖母が認知症になり、家事が出来なくなった後、私の家は非常にみすぼらしくなった。私の祖父は、掃除や片付けが出来なかった。外で働く事だけを求められていた世代の男性は、調理も掃除もすることが出来ない。そういう人は世の中に多いと思う。実は、私自身にもそういう時期があった。ふと我に返る瞬間が来るまで、仕事のことで頭がいっぱいで、家事を全くしていない時期があった。だから、祖父や他の世の男性(と限定するのはおかしいかもしれないが)を責めるつもりはない。だが残された家を見て、こんなに荒れ果てる前に、どこかで気づいてほしかった、という想いも勿論あった。



私が思うのは、祖父母の世代が育った時代は貧しかったのだということ。「貧しい」という言葉を安易に使いたくはないが、少なくとも物質的な豊かさには恵まれていなかった。高度経済成長とともに目指した「(物質的に)豊かな」時代へと、次から次へ物を買い込んでは溜めて行った。それは私の家に限ったことではない。彼らは彼らの幸せのために、あるいは子どもである私たちを幸せにするために、そういった習慣を止めなかった。



戦争中には「富まねば殺られる」という感覚すらあったと聞く。令和の時代の我々からすると、その富によって彼らは、最も大切な健康を害したのだと見えなくもない。足の踏み場もないほど物に溢れた家で、家庭は殺伐としていた。我々の最も大切な健康は、物質の量よりも、空間や関係性の「美しさ」の量に比例するのではないか。その時代では大切にすべきものが見えていなかった。それはある意味で、社会全体がそうであった。



空き家の整理を業者に頼むと、なかなかまとまった費用がかかる。だからという訳ではないが、私は家の整理を自分でする事にした。自分の事は自分でやりたい、ただそれだけなのかもしれない。私はこれまで毎日少しずつ片付けを進めてきた。ゴミを種類ごとにまとめて、綺麗にして、リサイクルショップへ持っていき、引き取ってもらえなかったものは市の処分場で料金を支払って捨てた。



私は何度も何度も繰り返し、その作業を続けた。次第に処分場での手続きにも慣れ、効率の良い動きを見つけるようになった。そしてある時に気がついたのは、生活に必要なもの以外の買い物を、自分が全くしなくなっていることだった。物を処分する事にこれだけの手間と時間がかかると、身体が習得したのだろう。何か買う時には、これを捨てる時はどうやって捨てるか、という目線で見ることになる。そうするとほとんどの物は買う気になれない。想像に反して使い勝手が悪く、捨てることになるかもしれない。それなら家にあるもので代用出来ないか、と先に考える。他人から何かを貰う時も、申し訳ないが、どうやって最終的に処分するのかを咄嗟に考えてしまう。そのぶん、お金の使い方が綺麗になったと思う。ほとんど無駄がない。旅行や食事や「経験」に使うお金は清々しいと思うようになった。捨てる物が出てこないからだ。




広い視野で見ると、大きな揺れ戻しが有り、増えすぎた物質を減らすのが我々の世代で、もしこの先に減り過ぎるという事があるのなら、それは次の時代の課題だろう。完全な答えはどこにもなく、人間は「前の時代よりも良くすること」しか出来ない。「共産主義」も「自由経済」も、こんなに複雑な世の中になったのも、始まりの地点から見れば「前の時代よりも良くしよう」としたに過ぎない。どこにも完全な答えが無いので、私たちは手探りを続けている。とにかく私は最後まで、家の片付けを続ける。個人で家の片付けをすることは本当に大変なものだよ、と、もし若かりし日の祖父母に話せるなら、どんな話が出来るかな。


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