「随分時間が経ったけど、あの時の感覚と似ている」

これが初めての投稿で、何から書き始めようかと考えていたが、未だnoteの使い方そのものをあまり分かっていないし、自分がどうやって使って行きたいのかも定まっていないので、一先ず何も考えずに、一つ投稿をしてみようと思ってただ書き始めてみた。思い付いたままの事を文字に起こす、ただそれだけの時間にしようと思う。本当なら最初の投稿は自己紹介をすべきで、それがnoteでのマナーだとしたら、まずは謝っておきたい。この文章は自己紹介ではないし、私は今後も自己紹介をしない可能性が高い。なぜなら自己紹介と言うものは、嘘で塗り固める事が可能だし、自分ならば他人のそういった取り繕いを聞く事は、時間の無駄であると思うし、結局の所、本当の自己紹介というのはその人物の作品の量と内容でしか、表現出来ないものだと思うから。エクスキューズが出来るのなら、私という人間はそう言う考えをしている男である、という事が自己紹介になると信じたい。男性であり、年齢は30代の後半である。ここで伝える私の情報はそれまでで、趣味や経歴やそういう物を、どうしても今はここで話す気になれない。思うままの自由な創作を、文章を、発表出来る事がnoteの目指す所だと初期説明を読んで理解したつもりだが、それすらも間違っているのなら、新しい媒体に挑戦してみたつもりだったが、私は早々と立ち去る事になる。

私が今、思い出している事は20年近く前にmixiの投稿を初めて書いた時の事である。初めての媒体に何でも好きな事を書いて良しとされ、その時に似たような気持ちであった事を覚えている。それは学内のコンピュータルームの、今では殆ど存在しなくなった大きなサイズのPCから書いて投稿した。私は20歳そこそこの学生であった。初めて投稿したmixiは非常に不器用な硬さを持っていて、他人に読まれる文章を書くという意識から、他所行きの自分にそぐわない言葉使いであったと思い出す。そういう使い方、書き方、をしていては、文章を書き続ける事は不可能なのだと、その日には気が付かなかった。だが結局私はmixiを長く、非常に高い頻度で更新し続けた。書いている間に、私は私の言葉を見つけて行った。一旦そうなると、殆ど何も思考する必要は無く、次から次へと投稿は生まれた。当時はフォロワーという言葉は無かったが、私の文章を読んでくれていた何人かは、非常に高い評価をしてくれた。約20年の歳月が経ったその後の時間の中で、私は殆ど他人に評価される事は無かった。何をしても失敗の連続で、絶望の連続であった。そう言った時間を経て思うのは、当時私は僅かであっても「評価」されたのだ。文章を書く事は、私にとって数少ない「+」の科目なのだ。私が最も楽しむ事が出来たSNSはmixiであったし、SNSの主流が他へ行ってしまった事は、私にとっては寂しい事だった。やがて自分もmixiから離れ、自分が書いた雑文を世に晒す機会というのは失われた。今、このnoteという新しい媒体にこの文章を投稿する事は、やはり全くの虚無なのかもしれない。あまり多くを期待したくはない。だが、ここまで書いてみているうちに、おそらく2つ目の投稿を近い内に、書きたいという気持ちになっている。誰かの目に止まるのかどうかは分からない、まだ使用方法もよく分かっていない、改行等も何も無い、おそらく誤字脱字のあるであろう、落書きを読んで頂いた方には感謝します。

いいなと思ったら応援しよう!