「おた、というのは名前らしい」
喉が渇いている。生憎、水筒を持って来ていない。
書棚の前のテーブル席に腰掛けて、目の前には一冊の本がある。だが、今日は本を読んでも内容が頭には入って来ない日のようで、どうしたものかと考えている。こういう時には読む対象を気楽なものに変更するか、そもそも本の中身を頭へ入れようとする事自体を諦めて、文字を上から下へ、右から左へ目で追いかけるだけの、ただの肉体運動として切り替える。そんな事をしていたら、時間が勿体無いと貴方は思うのかもしれない。そう考える貴方へまず伝えなければならないのは、人生には有益な時間の方が少ないのだという事だと思う。有益な時間に全てが埋め尽くされているのなら、逆に物事の本質は見えないだろうと思う。
「資料1の最初に戻って延宝五年舞田村女改帳の内容をいくつか取り上げて見て行きます。ここでは、それ以前の寛文七年と較べながら、違いを見てみようと思います。まず久右衛門組の孫右衛門家です(資料3-1)。娘の「おた」は改名したのでしょうか。「たつ」として「江嵜又兵衛殿、辰5年き」となっています。江嵜は殿付きですので、上田城下の武家と思われます。娘もやはり奉公に出ています。「辰」は前年の延宝四年でしょう。「年き」の期間は示されていません。その外の娘は、もともと奉公に出ていましたが、それぞれ年季が明け、改めて丑年(延宝元年)から、「くま」は「神畑市左衛門所」へ、「とら」は「片居十郎左衛門殿」へ年季奉公に出ています。次は組頭を勤める助之氶家、、、」
例えばこれだけの文字列を、私は今、全く内容を考える事なく右から左へ読んでみた、そしてせっかくなのでnoteに書き留めてみた、おそらくこの中身を必要とした人はこの投稿を読んで頂いている人の中には皆無だと思う、そしてそれは私にとっても同じで、私にとってもどうでも良いただの文字の羅列だ。私はただ目の前の本の適当なページを開いて、そこに書かれていた文字を右から左へ読んだだけだ。だがそういう無益な時間、無益な行いが、有益な時間よりも完全に劣っているとは誰にも言えない。
貴方は延宝五年の生活を想像した事があっただろうか。それは1677年の江戸時代だ。延宝(えんぽう)という元号は1673年から1681年までらしい。当時の元号は現代人からすると短命だ。「おた」も「たつ」も「くま」も「とら」も、私とは時代も地域も接点の無い存在の人々であるが、私は今日、彼女たちに出会った。ただの名前としてではあるが、もしその記録が正確であったなら、彼女達の存在は、350年後に生きている私に届いた事になる。これを完全に無駄な時間と貴方は呼ぶだろうか。
今回は改行をして画像も入れた。前回より一歩進展したと思う。