「野球場に繁茂した雑草」
目の前に揺れている草の名前を私は知らないが、白い小さな花をつけ、微風に細く揺れているその姿は、癒しを私に与えてくれる。
19時を過ぎた。まだ薄明るく、日中の高温から解放されたとあってようやく、屋外へ出歩きやすくなり、ヒグラシが鳴くのを聴きながら私は夕涼みをしている。
野球場の奥には林があり、木々の間は既に闇が覆っている。その手前に立っている大きな人工物の照明は、間も無くこの球場を照らし始めるのかもしれない。あるいは、今日はどこのチームにも公園が使われる予定は無く、このまま野球場全体が闇に沈んで行くのかもしれない。そのどちらであるのかを、私には知る術が無い。私はただの通りすがりの人間で、この地域に根ざして暮らしている訳ではない。
球場の手前にある、階段の脇に設置されたベンチに座って、斑らに繁茂した野球場の雑草を眺めたり、遠くの信号が青から赤に変わるのを目的もなく視認したりしていた。通りすがりの人間、それは私を形容する最も的確な言葉であり、私はあらゆる意味でその言語が持つ呪縛というべき保持力の内に隠蔽され、ある意味ではそこに居場所を見出していたのかもしれない。
多くの場所に移り住み、また多くの場所を旅して来た。私は時に何かを目的としていたし、時には何の目的も無い事もあった。そして今、と考える。私はこれからどこへ向かうべきなのだろうか。それが分からない。車輌はターミナルへ到着し、この先は歩くか、バスに乗り換えるか、或いは別の路線の電車へ乗り換えるのか、その事を決めねばならなかった。新しい行先を考え、そのための移動手段も考えなければならない。
だが、と私は思う。まだその前にやるべき事がある。そしてその更に手前に、必要な前提条件がある。その部分が今、私を激しく揺さぶり、苦しめている。私の身体は私の物であって、実はそうでもないのかもしれないと思う。耳鳴りに襲われ、頭痛に襲われ、思考が停止させられる。そうなると簡単な物事が前に進まない。
何もする事が出来ない。何処へも行く事は出来ない。ひと吹きで、私は社会から消えてしまうのかもしれない。そんな実感を伴った妄想が身体を蝕んで居る。これはあまり良い状況ではない。
視線を目の前の雑草に戻す。いつの間にか闇が濃さを増している。蚊が顔の前を飛ぶ。私はベンチを立ち上がり、砂利道を歩いて車を停めた場所に戻る。何か食べた方が良いだろうか、と考える。空腹感は無い。