夢じゃない夢小説に呼び名を付けてくれ!
恋の要素がない夢小説の呼び方を、その筋の仙人たちに決めてほしくなってきた。
自作の二次創作物に評価を頂いていたのを、先ほど通知で見た。その作品は7年前の投稿物で、尚且つ、今より文章作りに慣れていない頃の文章だった。過去の作品を発掘してもらえたような気分で、評価を頂けたのは嬉しかった。その作品が懐かしくて、僕も読んでみる事にした。
それで、僕は笑ったのだ。作風が今と変わらなくて笑ってしまった。その頃の僕のほうが今より純粋だったのだと思う、文章に雑味がなかった。読みながら、その小綺麗さと僅かな気色悪さに、ギャハった。ギャハギャハと笑った。最高だった、僕好みの文章だった。(書き手が同一だから当然とも言えるが)
僕の作る二次創作物には小説が多くて、中でも主要キャラクターが2名の作品が多い。一方は二次創作元の作品のキャラクター、もう一方はそのキャラクターと親しい誰か、という構図が主にある。その「誰か」には、元作品のキャラクターではなく、俗に言う「モブ」を置いている。
作品の公開時にはジャンルの棲み分けに注意を払って、「夢小説」や「妄想作文」などと表記するようにしている。そして、この記事のタイトルに繋がる。
上記のように、僕の作る二次創作物には、相関図が「元作品のキャラクターとモブ」の構図になる作品が多い。だが、どれもこれも「そういう夢向け」ではない。恋愛描写は特にないのだ。これが棲み分けの際、表記が難しくて困る。「何も気にせず読んでくれよな☆」と書けたらどれだけ楽だろう、作品の内容に対して誤解のない注意表記を必要とされている気がしてしまう僕も僕で難儀だ。
何度か調べているが、「夢向け」というのは、主に、恋愛描写を含む創作物に当てられる作品の分類名だと捉えている。例えば、R18作品でも恋愛描写がなければ「夢向け」ではなくて、「センシティブな表現あり」のR18だったりするのだろう。
とはいえ、「夢向け」の定義に恋愛描写が必須というわけでもないらしく、恋愛がない夢向け作品も存在する。これ、この「恋愛がない夢向け作品」を「夢向け」とする事に僕は抵抗が出てきている。
だから、そういう「夢ではない夢向け作品」を好む手練れ(作る側も読む側も含む)たちに、その呼び名を決めてほしくなっている。
この話の難しいのは、僕の場合、キャラクターのどちらか一方だけが自作ではない、という事だと思う。これがどちらもオリジナルのキャラクターなら、同じ構図だとしても棲み分けは必要ないはずだ。
もはや僕が作りたい作品は、元作品のキャラクターを使わずとも作れるのではないか、とすら考えてしまいそうになる。
元作品のキャラクターがそれらしくない二次創作物には愛を感じない、などと腐った意見を目にした事もあるが、そう意見している読み手よりその作品の作り手のほうが元作品への熱量が大きかったのだろう、と思えてならない。
二次創作なんて作ろうとした時点で、それは「本物」になり得ないし、所詮は元作品のファンによる産物でしかないだろう。好きなものを好きに動かすのが二次創作であって、それを楽しむ事こそが二次創作の面白さなのに、と僕は思う。
他人の中の解釈だけを拾った二次創作なんて、承認欲求を満たすための道具作りのようで、または価値のある芸術品を作っているようで、作る事自体の楽しさが二の次にされてしまっているように思う。承認や評価がほしいなら、そういう作り方でもいいのだろうけれど、誰もが皆、承認や評価だけを求めて二次創作をしているとは限らない。
僕はそのキャラクターを自分の好きに動かす二次創作ばかりしている。だから、「元作品のキャラクターがそれらしくない」と思われている作品の作者とも名乗れるのかもしれない。しかしながら、そういう腐った意見に腐らせられるつもりはない。なぜなら、僕の二次創作物も読み手に気に入ってもらえた事が何度もある、何作品もあるからだ。それが「自由に二次創作をしていい」という事に対する何よりの証拠だと思う。
二次創作物への意見のどれにも正答はなくて、どれもその読み手の解答というだけであって、重く受け止める必要はないと思う。
そもそも、それが気に入らない作品だったなら作り手へ「気に入らない」と意見するより先に、別の気に入る作品を見つけに行けばいいだろう。この現代、似たような作品は見つけやすいし、似ていても少し違う作品が多い。気に入らないものが見つかったなら、気に入るものも見つかるだろう。
それ以前に、読み手が作り手へ「こういう作品が気に入らない」と伝える行為は、随分と傲慢な事だと思う。その作品の作り手ではないくせに、作り手より自分のほうが一枚上手だとでも思っているのか、自分の事を棚に上げているのか、よほど目の肥えている自信があるのか、なんなのか。評論家を気取りたいなら「評論お願いします」と言ってくれている作り手のところでだけ評論していろよ、と思う。悪評を作り手に直接伝える行為は本当に、気が知れない。見ろ、関係ない僕にも被弾しているじゃないか。とんだ腐ったれた意見だ、全く……その作り手が僕なら許さなかったはずだ。コンテンツの受け手へ煙を巻くクリエイターがかっこいいとでも思っているのだろうか、そんな意見をしたところで純粋な仲間を失くすだけだろうに。あ"ーッ、むかついちまったぜ。誰の二次創作物だって争いのための武器ではなく、人生を謳歌するための装備だろうが。違うのかよ。なぁ。
話を戻す。つまり、僕の二次創作物は、そのキャラクターだからこそ作れるという事だ。だから多少の「本物じゃなさすぎ感」は付き物という事で、許されないならそれでいいから、見逃されたいのである。
そして僕は、気に入ったキャラクターのあらゆる表情などを想像したいが故に、「元作品のキャラクターとモブ(あいつと俺)」の構図を作りがち、というわけだ。この時、「モブ≠作者である僕」とする事もあるが、僕の生み出すモブなんて「ほぼ僕」と言っても過言ではない。おそらく、作中にモブが複数いるとして、その1人目のモブも2人目のモブも「ほぼ僕」だ。それか、「僕の中に記憶する誰かたちの寄せ集め」だ。
例えば、君の中の「この子」を君が表現する時、その「この子」を想像したのは君なのであって、だから、その場合の「この子」は「ほぼ君」という状態になるはずだ。これで伝わるのかは分からないが、僕が伝えたいのはそういう事だ。
故に、僕の中での話だが、夢小説などの注意表記でよく見かける「この話のヒロインは作者とは別の存在です♡」系の全ては、嘘だと思う。嘘だ、あれは。嘘に決まっている。二次創作に限らずだが、物語の中で「彼」が何をしたという想像は作者であるお前の頭の中で描かれているはずで、その時にお前の目の前に「彼」がいたなら、もうその「ヒロイン」の目はお前の目なのだから、「ヒロイン=作者」になるだろ、と思う。もういい、口答えするな、分かってる、恥ずかしがるのも分かるが僕はそう信じているし、お前も僕も何も恥ずかしい事はないよ、それにみんな分かってるはずだから。ただの照れ隠しなんだよ、あれは。
正直な話、二次創作で元作品のキャラクターの台詞などを決める時、僕はそのキャラクターに『成れている』と思う。僕が『成れている』のだから僕の二次創作物に「そのキャラクターらしくない」などという意見は適応しないのだよ、という気概でいる。僕の思う「本物」がそこにある以上は、「らしくない」事など起こり得ない。そういう事だ。誰がなんと言おうとそういう事でいい、僕の作品については。
だから二次創作物には「らしい」も「らしくない」もない、というのが僕の持論だ。二次創作をした時点で、作り手がそのキャラクターへの愛を持っている、という事は確定的だと思う。愛のない作り手などいないと思う。何かを表現したくて作り手は作り手と成るのだから、きっと。
二次創作上で消耗品のようにキャラクターが使われているのが悲しい、なんていう人は、まず初めから二次創作には触れないでいるはずだ。キャラクターが痛め付けられて悲しい、なんていう人は、その作り手の性癖を知らないだけだ。口に合わないなら食べなければいい、食べて不味いなら吐き出していい。全てを飲む必要はない。
所詮はファンの産物、そのキャラクターに魅せられた者どもの理想の結晶だ。そこにある「本物」が「偶像」と揶揄されるなら、僕の産物は「虚像」だ。
何が書きたかったのか、分からなくなってきた。
だから、呼び方を決めてくれって話だ。恋愛というか、愛はあるけど恋はない描写を含む「夢向け」作品の呼び名が欲しい。
僕が作るのは「そのキャラクターとモブ」の構図が多くて、「同級生」とか「先輩」とか「近所の人」とか、そういう距離感の夢向け作品の呼び名があると、いい。
僕が知らないだけで既にあるのか!? 既存なのか!? てか、僕の中で決めても良くね? どうせ「夢向け」ほど大きな標語がないなら、僕が独自開発・独自名付けをしたっていいだろう。でも分かんねぇ〜。何向けになる?
恋の表現を「夢」とされてしまっている事が既に大きすぎるよな。叶わない前提みたいなさ。ドリーミング恋。実現しない、みたいなね。まぁ大体は叶わないもんだろ、とは思うが。その上で妄想を作品化したのが夢向け作品なのだろう。
夢はあると思うよ、「そのキャラクターとモブ」にも。夢はあるが、恋はないんだよ。恋なぞ、そんな甘ったるいものではないから、それが分かる呼び名がいいな。
僕の思い浮かんだ文字は「幻」だが、「幻小説」みたいな使い方になると思うと、そうではないけど!みたいに思ってしまうよ。夢向けの「夢」が1文字でキマってるから、こちらも1文字でキマってほしいところがある。他を探そう、何がいいだろう。
また思い浮かんだのは「空」。これは「恋要素は空っぽの」「絵空事」「仰ぎ見た空のような青春」を掛けられる言葉だ。どうだ。いかがだろうか。良くね? 少し味気ないか。案外、難しいな。
なぁ、ここまで夢向けの「夢」を肯定してみているが、「夢小説」というのは「夜に見た夢を綴った小説」かもしれないし、別に、「恋」の互換が「夢」とは限らないと思えてならないよ。どうしよう、夢向けの「夢」のほうが分かりにくい気がしてきた。
終わりだ終わり。解散だ解散。
多様性が認められつつあるこの現代で、棲み分けを重んじたがる奴のほうがおかしいんだよ。もし僕と同じ疑念のある人がいたら、その人が多分ピクシブの作品タグに「(恋の描写のない夢向け作品の呼び名)」のタグを追加してくれるだろう。
僕は今日、この事を18時55分から考えていたんだ。もう夜中になってんだよ。考えすぎなんだ、いつもいつも。でも文章にしたら面白そうで、書いてみる事にしたんだ。
関係ないが、僕は文語を口語に用いるし、口語を文章に起こす癖があると思う。自分で改めてなんか今思った。文型の(文系の)手厳しい人が見たら腹立つのかな、こういう作文ってね。随筆だからいいよって思われてるのかな。どうなんだろうな。
さぁ。面白かったな。
今月の内に、僕の新たな二次創作物が完成するはずだ。完成品が公開されていたら褒めてくれ。いや、その頃までこの記事の内容を覚えていてもらうのは酷だろう、やはり褒めなくていい。それに、この記事に読み手がいるのかすら不明なのだから。
今回はここまでだよ。おやすみ。