純粋に「おめでとう。」と言えない、旧成人。
新型コロナウイルスが蔓延し、約2年。昨年は多くの自治体で中止や延期となった成人式が敢行されたとニュースでチラホラ見るようになった。
そういえば、と一昨年、昨年を思い出す。成人を迎えた時も、本来なら成人として笑顔で迎えられるはずだった日も、家にこもってオンライン授業を受けたり、おうち時間を過ごしたり。この2年、ずっと口に出しづらかった気持ちが、今日、弾けた。
自分達だって、晴れ着を身に纏い、晴れた高い冬空の下、笑顔で気持ち新たに成人の日を迎えたかった。父にも、母にも、田舎に住む祖父母にも、二十年間ありがとう、と真っ直ぐ伝えたかった。卒業以来なかなか会えていない友人達と、昔話に花を咲かせたかった。
そんな、“当たり前”の願望を口に出すのは、この2年、憚られた。
「コロナ禍で、みんな大変なんだから」
「みんな、我慢してるでしょ」
「協力しなきゃ」
そんなの、分かっているんだ。
みんな大変なのも、正体の分からなかったウイルスと戦う現場が、日々を安心安全で過ごすことすらままならないのも、報道や記事で目にする毎日だったのだから。
オトナ達は(ここは敢えて皮肉っぽくなるけれど)、
「残念だったね」
「今、我慢すればまた会えるから」
「これでクラスターになるよりは」
「健康なのが1番だよ」
そうやって言うのは、簡単。だって、成人式ができない、なんて事態に陥ったこと、ないんだから。残念だ、って言うのは、私たちの特権で、みんなに残念がられたら、仕方ない、って言うしかないんじゃないだろうか。
1年延期された成人式が執り行われ、私と同じ学年の子達も綺麗な振袖やかっこいいスーツ、袴を身に纏って気持ち新たに頑張ろうとしている。
新成人に、おめでとう、と素直に伝えたい。
その中で、埋もれそうで、消えそうな、旧・成人の気持ちを少しだけ汲み取って欲しいな、なんて、思ってしまう。
そういう、少しだけ嫌な人間の気持ちを、うまく噛み砕いて、飲み込もうとしています。
世の中の、仕方のないことと、残念な気持ち、悲しい気持ちは、本人じゃないと、うまく解消できないんだな、って、改めて思いました。
日付が変わってから書きはじめたので文章はめちゃくちゃですが。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
新成人の方々も、旧成人も、幸多からんことを、と思っております。