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生意気か、二年目。

卒業や進級や退職や転職や・・・な季節。私はこの春、宮津生活2年目に突入する。これをどの漢字二文字にカテゴライズすればよいかは分からない。まあ、しなくてもよい。

最近、「もう4~5年くらいはおるんかと思った」とか「しゅんでるな~(味が染み込んでいるという関西弁比喩)」とか言っていただけることが多く。きっと宮津の町や人に受け入れてもらえているということだから、ありがたく、嬉しい。ただ、この町に馴染んできたことに嬉しく思いつつも、ここはあくまでも移住者であり続けようというところが、ひとつ見えてきた。それは、「宮津」を「それぞれ」で考えてしまわないということ。

1年前、この町を「宮津」という大きい括りでしか知らなかった私は、1年かけてその中にもさまざまな地域があることを知った。上宮津、須津、府中、日置、栗田・・・なんて読むねんって地域も読めるようになった。いちいち、それどこですか?って聞かなくても、大体の地図がイメージできるようになった。そして、まだほんの一部だけど、それぞれの地域が抱える課題や、それぞれ頑張ろうとしていることも分かってきた。そこまでは良い。

忘れたくないのは、「宮津」という大きな括りでしか知らなかった頃の私。どの地域がどうとか関係なく、漠然と「宮津」という町に魅力を感じていた頃の私。この町を「それぞれ」で考えるということではなく、「宮津」という漢字二文字のカテゴリーで考え続けるということ。それがいち移住者の私が大切にし続けるべき思考なのではないかと思う。

ありがたいことに、この1年で沢山の出逢いを経験させてもらった。中でも、地域や宮津に対して受け身でなく、“なんとかしよう” “どうにか面白いことができないか” と、藻掻いている人たちと沢山出逢った。その目や手、姿勢、汗、血管、思考…全てにおける変態なほどの必死さが、私はたまらなくカッコいいと思う。移住者である私は、そんな人たちを「それぞれの地域」に置き去りにすることなく、「宮津」という大きな括りで見ることができる。

点ではなく面で捉える。ここ数日、そんなキーワードが実感を持ってやってくる。長年同じ地域に身を置いていると、「○○地域の△△さん」が体に染みついてくるのは自然なこと。「この地域でどうしていくか」が主たる考えになるのも自然なこと。でもそれは私の役目ではない。地域をはっきり分けて考えたり、決めつけたり、諦めたりしたくない。そこだけは外の人間であり続けたい。

きっと「それぞれの地域」が「宮津」になったら、点々と輝く彼らが面になったら、もっとでっかい一つのうねりになるのではないかと思う。いつも穏やかな宮津湾でさえ白波を立てるような、そんな爆発力を秘めた町であると、所詮は宮津歴1年のペーペーが口走る。

私には、そんな彼らを繋ぐ、点と点を繋ぐアイデアを見つけられるだろうか。私だからこそ広く、軽やかに、シンプルに考えられないだろうか。

そういえば、去年の5月15日。衝撃を受けた宮津祭。あの、町がひとつの大きなうねりになっていた感じ。あの力があるならば。なにかヒントになりそな…あぁ、今年も楽しみ。

話が逸れた。


p.s. いち早く馴染むこと、グッと深くまで入り込むことに半ば必死になっていたこの1年。それが良しとされているんだと、自分でつくりあげた背中を追いかけていたような1年でもあった。だけどそうじゃない。それが全てじゃない。あくまでも私から見える「宮津」こそが貴重だということを忘れてはいけない。

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