マイノリティにやさしく
今回のコロナのことで、日本の感染が欧米に比べてあまり広がらなかったことに関して、いろいろな見解がありますが、その中でみんなルールに従うから、というものがありますよね。素直に「自粛要請」に従って店も閉めて外出せずという行動が感染拡大を予防した、と。そうやっていい結果につながるケースも時にはありますが、わたしはこの動きがマイナスに働くことのほうが多いんじゃないか、と考えています。
海外で生活した人はわかってくださるかもしれないのですが、日本って同調圧力がすごいですよね。周りがこうしているから、わたしも同じようにしないと。上がこういっているからそれに従わないと、って。そのことから、
今日言いたい(書きたい)のは、
日本人が外国人に完璧な日本語を求めがちだと感じたことです。
私は、いまコロナで日本語教育の仕事がオンラインだけになっているので、経済的に大変なので、自治体で働いています。そこで10万円給付のための申請用紙記入の支援をしていて、そのとき起こったことなんですが
行政(市役所とか)の人って、たぶん普通の日本人よりいろんな立場に接する機会が多いと思うんですね。外国の人に接することも不可避です。入国した日(引っ越しした日)には住民票を届け出ないといけないし、健康保険のこともあるし。なので「やさしい日本語」を使おう、いろんな立場(国)の人を理解しようって気持ちが芽生えていいはずなのに、
発した日本語すべてを理解できることを当然のことだと思っているし、「やさしい日本語」で話すこともしてくれない。(全員ってわけじゃないですよ)
申請書に関して、「記入して」「投函して」「送付して」を何度もしつこく言ってて、外国人が理解できない様子だったら、ただ同じ言葉をゆっくり繰り返すだけ…なんですよね。そこは「書いてください」「ポストに入れてください」とかいくらでも言い換えられるし、聞き取れないなら書いてみるとか携帯の翻訳機能使ってみるとかいくらでも工夫できないかなあ…と思ってしまいました。
以前わたしがカナダに住んでいたとき、もともと移民が多い国だというのもありますが、完璧な英語はそんなに求められなかった気がします。発音が悪くても理解しようと耳を傾けてくれましたし…。
いろんな立場の人に接する機会が他の人より多い、かつ公的サービスを提供する立場なら
もっと外国人のことも考えてあげる思考があってもいいのではないか。と思ました。これだけ「労働力が足りていない、少子高齢化が問題になっているから外国人の労働力が必要だ」といわれているなかで
行政の方がこんな態度じゃ受け入れ環境の整備も進まないし、だめでしょ、と思うんですが。
日本語が完璧じゃない人も受け入れられる体制と整えてほしいし、もっと多様性を受け入れられるべきですよね。言語だけに関わらず、文化も。
申請書だって、大阪のコリアタウンがある地域、生野区なんかでは、外国籍の方の人数が多いので「やさしい日本語」で記載されたものが送られていると聞きました。同じ大阪でも、残念ながら私が今回行ったところはただただ漢字にふりがながふられているだけで、そういった配慮は皆無でした。
もっとややこしいフォーマットの申請書を採用している自治体はいくらでもあるでしょうね。
…でもこれってわたしが日本語教師だから、この発想になるのでしょうか。
みなさん、どう思いますか?
サポートがほしいなんておこがましいことは書けませんが、もしサポートをいただいたあかつきには、自己投資し、それ以上のものを誰かに返せるように努力します。