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【日記】~2025/2/9



MOTHER2の話

はじめに

 MOTHER2をクリアした。

 ……なんて言ったものの、果たして30年前のゲームに対してネタバレ注意の表記は必要なのだろうか。
 僕のように今から遊ぶ人もいるかもしれないか。
 きっと意味がある。
 最近になって、RPGはネタバレ無しで自分で遊ぶことが至高だと思うようになった。

ネスとポーキーについて

 MOTHERというゲームに関して、スマブラXでの知識しかなかった。
 ネス、リュカ、どせいさんというキャラクターやオネット、ニューポークシティというステージがMOTHERに関連するものであることは知っていた。
 あとポーキー。
 その状態で初代MOTHERをクリアし、2を始めた。3はまだやっていない。

 スマブラに出てくるニューポークシティという場所、そしてポーキーというトゲトゲの蜘蛛みたいな機械に入っている敵。
 2で同じ名前のポーキーという隣人が登場して、もう不穏な感じがしていた。
 最初からなんだか嫌な奴といった感じで、いたる所でネスに絡んでくる。
 最後のギーグ戦で、顔色の悪い状態でスマブラのとは違うデザインの蜘蛛のような乗り物に入って主人公一行の前に立ちはだかる。
 エンディング後、弟のピッキーに手紙を渡してどこかに消えてしまう。

 3ではどのように登場するのかわからないが、ポーキーはネスにとってのハッピーエンドにはならないのだろうなという予想をしてしまう。
 マジカントで出会ったポーキーが、ネスから見たポーキーの1つの側面なのだろう。
『いつまでもなかよくやっていこうぜ』というポーキーの言葉は、ポーキー自身の言葉ではなくネスの思いなのだろう。
 ギーグと共にやって来たときは悲しくなった。
 スマブラに登場するポーキーが3のポーキーなのだろうが、どう見たってまともではない様相になっている。
 元のポーキーに戻るのだろうか。戻ったところで、ネスとの関係はネスが望む形に戻るのだろうか。
 心配でならない。

 2のストーリー全体を通しても、ネスのメンタルが心配でならない。
 まだ子どもなのに世界を救うために旅に出て、ホームシックにもなるくらい遠くまで歩いて。
 悪意を持った大人たちや、悪の心を刺激させた動物たちの相手をしたり。
 最序盤で戦う『おんしらずなイヌ』から、すでに辛くなってきた。クリアした今になって辛くなってきた。
 普段から野良犬にご飯などをあげていて、そんな犬が襲いかかってきたので、わけも分からずバットでおとなしくさせたのではないだろうか。
 MOTHER2のことを考えていれば、ネスのことばかり心配してしまう。

 ……そういえば、亜空の使者でネスはどんな気持ちであのポーキーと戦っていたのだろうか。
 考えるのはやめよう。
 3をやってみないとわからない。

スクリーンショット(一部)

笑顔でピースしながら写真を撮る
大人も子供も、おねーさんも
こういった制作会社の小ネタがかなり好き
この気持ちしかない
冒険中に撮った写真がエンディングで流れる
(こんな写真撮ったっけ)

ストーリーについて

 熱い演出がいくつかあった。
 ゆだんロボ戦でのトンズラブラザーズや、かえってきたゲップー戦でのプーなど、苦戦している時に颯爽と現れて止めを刺してくれるという演出。
 大人なんだからしっかりしろよ、と全プレイヤーが思っていたであろうトンズラブラザーズが、主人公がピンチの時に助けに来てくれた。
 加入したばかりなのにどこか修行に行ってしまったプーが、あのPKスターストームを習得して帰ってきてくれた。
 こういった演出をネタバレ無しで見ることができたのは幸運だったと思う。

 ヌスット広場で出会ったトンチキさん。
 フォーサイドで倒れていた彼はフラフラとどこかに行ってしまったが、翌日の新聞に死亡したことが書かれていた。
 世界一の泥棒で、決して善人ではない。
 ネスに1万ドルもの大金を渡してくれたものの、それは彼自身の価値観における義理と人情のためであって、ネスのためなのかと言われたらきっと違うだろう。
 ネスたちが冒険を進める中で、マニマニのあくまを盗んだり売ろうとしたりするなど、かなりまずい動きもしている。ギーグに操られていたのかもしれないとはいえ。
 ネスのことを思いやっての行動はあまりしていない。
 勝手に死んだという印象もあるが、死んだことがわかったときはとても悲しかった。

 トンチキさんはマジカントで再登場する。
 ネスの心の国で、ママや妹と同じエリアにいるということは、ネスにとってかなり印象深い人物だったのではないだろうか。
 マジカントにおける、まぼろしろうじんとトンチキさんは特殊な立ち位置にいると思っている。
 まぼろしろうじんはマジカントに干渉することができるのではないか。マジカントの説明をしてくれるし、なんかすごそうだから。
 そして、トンチキさんもネスが心の国で思い描いているトンチキさんではなく、トンチキさん本人だったのではないか。
 トンチキさん本人の言葉だったのではないか。
『おまえはいやがるかもしれないけれど』という前置き部分が引っかかる。
 ネスの心の中なのだから、嫌なのか嫌じゃないのか、はっきりしているはず。
 現世での別れ際に言わなかった、トンチキさん本人のセリフだったのではないだろうか。
 フォーサイドを含む多くの街の事件を解決し、すべてのメロディを集めて更に強くなったネスへの、敬愛を込めた鼓舞だったのではないだろうか。
 ……まあ、ネスがトンチキさんに対してどちらとも言えない感情を持っているだけなのかもしれないが。

 物語に対する考察のようなものはあまり好きではなかったが、思わず書いてしまった。

ゲームについて

 ゲームというものが時代と共に進化していくのと同様に、子どもだった日々も流れて大人になっていく。
 ゲームがより高度になっていくのを見ながら人も成長する。
 これからどこまでも進化するのだとしても、昔のゲームであればある程、かけがえのない経験なのではないかと思う。
 今を生きている子どもたちは、既に最新のゲームを遊んでいる。
 高画質、壮大な音楽、莫大なテキスト量のゲームを遊んでいる。
 これからさらにゲームが進化するのだとしても、自分が生まれる前のことは経験できない。
 昔のゲームを遊ぶことはできても、ゲームが進化した過去の瞬間を実際に目にすることは難しい。

 しかし、だからといって今の子どもたちが不幸なのかといえば全くそんなことはないだろう。
 最近のゲームを遊んだのちにレトロゲームを遊ぶ。
 その経験も、一種の伏線回収のような、また別の感動を味わうことができるのではないか。
 歴史と現在を繋ぎ合わせて、流れを見出すことができるのではないか。
 昔のゲームタイトルに影響を受けて作られているゲームというのはきっと少なくない。
 現在のゲームクリエイターが作ったゲームと、そのゲームクリエイターが幼少期に遊んでいたゲーム、その両方を現在の子どもたちは遊ぶことができる。
 当然全てのゲームを遊ぶことはできないが、リメイクであれ移植であれ、昔のゲームを気軽にプレイできる環境がある。
 それはきっと恵まれている。

 今回、Nintendo SwitchでスーパーファミコンのMOTHER2を遊んだ。
 スマブラでなんとなく知っていただけで興味を持ち、そのやってみたいという気持ちを実際の行動に移すことができる環境があった。
 素晴らしい体験をしていると心から思う。
 順番通りのゲーム体験でなくとも、ゲームそのものに感動して楽しむことができる。

 任天堂ありがとう。
 Nintendo Switch、ありがとう。

 これからの自分の人生にMOTHERがいるという事実がとてもうれしい。

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