見出し画像

自戒

わたしとSNSについて。

わたしがフィルムで撮った写真をInstagramに投稿し始めたのはちょうど1年前くらい。

それまでは、一般的な使い方?知っている友達と繋がって、日常を載せる〜みたいな使い方をしてた。

それを辞めた理由は

ふわっと書いてる。



フィルムで撮った写真を載せる

というアカウントを作った時は、「たくさんの人に見て貰わなければ!」みたいな気持ちもありながら写真を載せたりしてた。

けれど、時間を重ねるごとに、「わたしにとって写真とは」みたいなところが少しずつ固まってきて、その頃からわたしの写真の雰囲気も変わった。

わたしは、写真に想いを乗せるのが好きなのであって、写真を写真として送り出すことはあまり好きでは無いんだと思う。

だから、投稿する時は添える言葉をすごく考える。下書きにしておいて、何度も読み直して、納得してから投稿する。

そんな風に、自分の想いを乗せて投稿をしていたら、自然と見てくれる人が増えて、温かい言葉をくれる人が増えて、今のInstagramの世界は温かくて幸せだと思えた。


でも、最近、人に届いている数(いわゆるリーチというやつ)が減ってしまった。

そんなの気にすることじゃないのに、わたしは自分の考えがいけないのではないか?と思ってしまう。わたしの何かがいけないんだ、と。

毎日のように投稿してるし、うるさいのかな〜とかね。

ちょうど、わたしは「写真」という言葉の意味の広さに悩んでいたこともあって、いっそInstagramを辞めた方がいいんじゃないかとも思った。

自分の好きなことで苦しむなんて、なんだかおかしい。


でも、それはそれで違う気がした。

Instagramのせいじゃないよね、きっと。

わたしがいつの間にか数字に囚われていただけであって、これはわたしがまた一つ、考えを改めるチャンスなんだと思う。


わたしは、noteにおいては数字を全く気にしない。

「わたしが想いを吐き出せた」そこに意味があるから。

Instagramだって、それでいいんだと思う、、きっと。

ただ、写真として評価されてしまう媒体だってことを、わたしが忘れなければいい。

自分は今、何に感情を載せたいのか、それさえ分かれば、noteと Instagramをうまく使い分けられる。

最近は、きっと言葉が頭の中にたくさんあって、それをInstagramを使って無理に発散しようとしていて、そこに写真としての評価みたいなものまでくっついてしまったので、精神が不安定になったんだと思う。

こういう時は、noteだったんだな〜と勉強になった。


もちろん、写真を見ていて浮かんでくる言葉もあるから、それはInstagramで発信したらよい。

SNSなんて、都合よく使わなければ…ね!


またすぐに、くよくよしてしまう日が来そうだけれど、忘れないようにという気持ちと、自戒の念!







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?