見出し画像

フィルムカメラ

先日、わたしは自分にとって少し大切なイベントを友達に撮影してもらった。

そのデータを待っている状況。

何気なく

データが届くまで生きてなきゃ(笑)

と言ったところから、この話は始まった。

彼女は、

わたしは本当にフィルムに助けられたことがある

と返してきた。

それ以上語らないところから、これはここまでなんだ、わたしが踏み込むべきではないのだと分かった。

分かったはずなのに、

興味を示してしまった。

そして、わたしが寝ている間に、彼女はメッセージを残してくれていた。

本当は言いたくなかったのかもしれないのに、説明してくれた。

そして、わたしは今の、限界の言葉を返した。

限界と言っても、あまりにもちっぽけな言葉を。

まだまだ自分は足りないと思う。

それでも言えることは、フィルムカメラが彼女を救ってくれて良かったということ。

現像するまでは生きていよう。

そんな風に思わせてくれたことに感謝している。

フィルムカメラには、こんなに素晴らしい力がある。

ああ、もう愛せずにはいられないじゃないか、、


死にたいと思うことは、悪いことではないし、わたしも時々考える。

それでも生きているのは、生きることに喜びや幸福を感じているからではない。

死ぬ勇気がないだけ。

こんなわたしでも、死んだら誰かを悲しませてしまう。

残す人を孤独にしない自信がない。

まだ、彼らに愛を伝えきれていない。

だから、死ぬことはできない。


自分なら、こんな風に考える。

けれど、「死にたい」と思っている人に、何が出来るのだろう。

あなたが居なくなったら寂しい、と伝える?

そんなの信憑性に欠ける。

こんな時に、いい言葉が浮かばない。

まだまだだ。

もっとたくさんの本を読んで、言葉に触れなければ。

また、死ねない理由が出来てしまったな。


考えて、考えて、わたしは彼女に伝えた。

無理に生きろとは言わないし、死にたくなった日に最後の晩餐のラーメンを一緒に食べられる友達でいたい。

こんなことしか言えないわたしでごめん。


大切な人を、言葉で守れる人間になりたいと思った。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?