自己肯定感あげるための殴り書き
また最近、人と比べて落ち込んでしまうことが増えてきているので、だめだめ!ということで、自己肯定感を上げるために自分を褒めてあげる。
わたしは確実に成長してる。少し前に比べたら、だいぶ思慮深く行動できるようになっているし、むやみに自分を傷つけたり、人を傷つけたりしていないと思う。
お菓子をドカ食いしたりもしていない。えらい。
たくさん本を読むようになった。月によってばらつきはあるけれど、今年だけで、大学4年間で読んだ本よりもたくさんの知識を得られている。
人のことを寛容に受け止められるようになっている。冷めてしまったとも言えるけれど。人は人、自分は自分という考えが強くなっていて、理解し難い部分に首を突っ込まずに、遠くから見ていられるようになった。これは相手を傷つけることもなく、自分も傷つかない素敵な方法。
お金を計画的に使えるようになってきた。本当に少しずつ。家計簿が珍しく続いていて、出費を把握してコントロールできるようになってきた。でも、出費のほとんどがフィルムと洋服なので、我慢するのが辛い。早く働きたい。
でもまだまだなところもたくさんある。
もっと自分を磨きたい。もっと自分を好きになりたい。だから痩せるために頑張るし、ファッションセンスも磨きたい。自信を持って歩きたい。
あとはもっと人と関わりたい。わたしは最近ずっと、自分との戦いで、殻に閉じこもっているような感覚だった。お陰で少し成長できたのだけど。成長したわたしが人と関わった時に、今までとどのような変化があるのかを見たい。そして、新たな問題にぶつかって、悩んで、乗り越えたい。もっと成長したい。
ここまで書いてみてわかる通り、わたしは理想を高くしすぎてしまうところがある。このままでは、いつまでたっても自分を心から愛することは難しい。
だから、理想は持ちつつ、時には立ち止まって、今までの自分を認めることを忘れないようにしたい。
わたしはもう十分頑張って生きてきた。
いつ終わらせても大丈夫。
えらい。
え、ほんとうにえらいな。
時々、
何で生きているんだろう。何のために生きているんだろう。もう辞めたい。生きている意味がない。
と思うことがある。
でも、それは違うね。大切な人が教えてくれて気がついた。
人生は死ぬまでの暇つぶし
って。
色々な捉え方があるけれど、わたしは生まれてきたことは運命だとか、わたしの意思だとか、そんなものではないと思ってる。
ただ、この世に生まれてしまったのだから、生きる。
目的や意味なんて無い。生まれたから生きるだけ。
だったら、自分の好きにすればいい。とりあえず生きるしかないんだもん。
そう思うと少しだけ楽になって、アイスが食べたくなった。桜餅もいいね。春だね。
「生きる」とかを取り上げると、賛否両論あるのだろうけど、わたしはこう考えたら楽になれたし、数ヶ月もすればまた忘れてしまいそうだから残しておく。