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受け皿に救われる

先週、ファミリーマートの子供食堂の話が盛り上がっていた。
どんな大人の理由があったとしても、一時的な受け皿は享受する側にとって、一番有難いものだと思っている。

空腹で目がまわり倒れそうな時、
目の前に食べ物があるのに
「この食べ物はジャンクフードだ。体に良くない。いつか健康的な食料が手に入るまで待ちなさい。」
と言われたら、すぐに手に入る保証がなければ
何日間、何週間も待てないだろう。
その間に死んでしまうかもしれない。

受け皿とは、その食べ物だ。

倒れそうな切羽詰まった状態だから手を出すのだ。
そこから通常の状態に持ち直して、
次の行動に移るためにも食べなければ、待てないし繋がらない。

私にとって身近なこの「倒れそうな切羽詰まった状態」とは、保育園、子供への虐待、DV、育児ノイローゼなどである。
他の人にとってはもっと色々あるだろう。

票集め目的、企業のイメージアップ、〇〇に良くないなど批判するのは簡単だが、
受け皿により、まさに今この瞬間に困っている人が救われる。

苦しい時、困った時にすぐ逃げられる柔軟な受け皿は、もっと自由に増えたらいいと思う。
こうあるべきという形が目的になっていることが多いけれど、それが皆を幸せにしていないのはもう感覚的に分かっているはずだから。

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