留学記③ 麻薬と大学
アメリカの田舎の大学に正規入学して、もうすぐ9カ月。一年生が数週間で終わろうとしている。この一年弱、想像を絶するほどの数のカルチャーショックを受けた。世界が広がるとは、多様性に触れるとは、こういうことなんだろうと、ぼんやり考えながら生きている。
念のため言っておくと、私は昔アメリカに住んでいたことがある。8歳から12歳までの間、4年間だ。今では忘却の彼方にあるが、きっとそのときも色々なカルチャーショックがあったのだろう。写真を見返せば、バカでかい同級生とか、ガロン単位で売ってる飲み物とか、スクールバスとか、それはそれは沢山のものが新鮮に映っていたようだ。ただし、そういった多くの衝撃は良い思い出になるべきものだったのだと思う。アメリカに良い印象がなければ、さすがに大学でもう一度ここに帰ってこようとは思わなかったはずだ。
日本では、アメリカの多様性を高く評価する趣きがある。グローバリゼーションを無批判に称賛し、「世界は広いよ!トビタテ!」と高・大・院、すべての段階で留学を後押しする。もちろん私も、その一人であるし、世界は狭いより広い方がいい。ただ、10代半ばを過ぎてから世界を広げるのには代償がある。失うものが必ずあって、それは決して小さくない。このことはこれまでも散々このnoteで書き散らしてきた。
渡辺靖『白人ナショナリズム』によると、日本のアメリカに対する多様性陶酔について聞くと、白人ナショナリストおじさんはこう答えるという。「米国にあるのは多様性などではなく、(中略)混乱に過ぎません」「多様性は力などではありません」
彼らは正しい。白人ナショナリストと、私(そして、多くの非白人ナショナリストたち)の意見の差異は、こうした混乱に直面することを厭わないような価値を多様性に認めるか否かだ。
脱線したが、とにかく私が再来したアメリカ合衆国は、小学校高学年のときに私が経験した楽しくカラフルな世界ではなかった。もっと、距離と、分断と、暗さを伴ったものだった。その中でも、とりわけ私にとって暴力的なカルチャーショックだったのが今回のテーマ。すなわち、「麻薬」である。
麻薬。アメリカの歴史と切り離せないものだ。80年代のレーガンによるアフリカ系コミュニティへのコカインの垂れ流しとか、最近の白人間のオピオイド大流行とか、「アメリカとドラッグ」に関しては多数の研究と授業が行われている。ただ今回はマクロな歴史の話がしたいわけではない。私の話がしたい。
最も大学生活と密接に関わる大麻(マリワナ、cannabis,、weed)はアメリカの多くの州で医療用・娯楽用ともに合法だ。私のいるマサチューセッツもそう。もちろん年齢制限はあるし、学校やキャンパスというスペースでは基本的に禁止されている。しかし、高校から既に手についている場合が多く、大学に入学するときほとんどのアメリカの高卒生はマリワナに耐性がある。これは全員大麻を吸ったことがあるという意味ではなく、周りに吸っている友達や家族がいたりして、「その存在と臭いと吸う人を許容している」という意味だ。実際に吸うことに関しては、大学一年生で初トライを決める人が多い気がしている。
アメリカの大学というのは、勉強する場所なだけでなく学生の住居である。日本以上に自治があり、いくら禁止でも未成年飲酒や大麻が取り締まられることは稀だ。こうして、私は大麻と出会うことになる。
いやはや、これからアメリカに大学留学する人は、weedとの付き合い方を考えておいた方がいい。怖がって留学を考え直すのは明らかにもったいないが、留学前に頭の片隅に入れておいて損はない。アメリカの大学生一年目、私は空気を吸うだけで近くにその存在を察知するスキルを身につけ(させられ)た。タバコとかアルコールの臭いとはもちろん違って、もっと「ハーブ」なかんじ。語彙力が壊滅的なのはご容赦いただきたいが、二度嗅げば必ず三度目には認識できるようなものだ。
忘れもしない、留学直後の思い出の一つは、昼間に出会った「新しい友達」の数人と夜に遊んだときに、人通りの少ない方へ行って公然と大麻を吸い出したことである。自慢ではないけれど、私は初対面と友達作りと新しい環境への適応力にめっぽう強い。今の学校は人生8校目である。それでも、ここまで明白に「友達が友達じゃなくなった」経験は初めてだった。
しかし、数か月たって徐々に気付いたことは、これは私側に問題があったということである。ヘヴィーな中毒者から前述のような「ただ耐性がある人」まで、アメリカの大学の対麻薬スペクトラムは相当「麻薬OK」側に寄っている。私が異端なのだ(それ自体はこれまでも珍しいことではないが)。
この感覚をどう説明すればいいだろうか。「あなたとわたしの普通は違う」とかいうレベルじゃないと思うのだ。明らかに、この社会で私は「麻薬拒絶過激派」なのである。もちろん、政治でそうであるように、スペクトラムの泡沫に集まる人もいる。でも、そうした人々は、アメリカの学生生活を彩る「パーティー」を楽しめなくなってしまうのだ。吸わなくても耐性さえあればいい。耐性がなければ、帰るしかない。
ちなみに、お酒はまだマシである。なぜなら、日本の大学にも未成年飲酒の文化はある。だから、酒に関してはアメリカ留学というよりも大学進学に伴うカルチャーショックである部分も否定できない。ただし、日本には、まだ「飲み会に行かないクールさ」があると思うのは私だけだろうか?こちらでは、麻薬同様、お酒を飲まなくても「飲み会という空間(パーティー)に耐える」力が夜間のコミュ力である。日本の「飲み会」に比べアメリカの「パーティー」は嫌なものという共通認識が明らかに小さい。そしてもちろんご存知の通り、自分は飲まずに酔った仲間の相手をして楽しむのは大変難しい。うーん。
あの最初の麻薬友達消滅事件以降、私は色々な人に出会い、少しずつ大麻への考えの変更を余儀なくされる。まず、吸って「ハイ」を得ることによる抗鬱作用を是と認めた。うつ病、メンタルヘルスに関する問題と社会的認知が大きいアメリカでは、多大なストレスを抱えているときにこうしたドラッグに手を出すことは否定されない。私を含め日本でリベラル・プログレッシブを自負する皆さんは、アメリカのリベラルは麻薬をなるべく合法化したいことを聞いてどう思うだろうか。ちなみに、日本では大麻は違法であり、日本人は海外で大麻を吸うことも処罰の対象となる。無論、海外で摘発されることなんて無いに等しい。日本国籍のアメリカ大学生で大麻をやる人を何人も知っている。
そしてついに、入学時「全員ダメ、ゼッタイ」だったのが、「友達が吸う人でも自分の周りで吸ってくれなきゃいいや」になった。でも、やっぱり、みんなが楽しそうにしている空間の中で、大麻の臭いがすると背筋が凍る。仕方ない、帰るか、と思う。ムリなものはムリだ。ただ、昼間は仲の良い人と、夜になって関係が途切れるというのは不思議なものである。イマイチ関係性が進まないのだ。
じゃあ違う人とつるめヨ、と思った人、それは正論である。私が自分は適応力があると思っている(た)が、とにかく私は人種にしろ、性別にしろ、偏りのある集団と長い時間を費やすことにほとんどアレルギー的な拒否反応がある。最近では、海外にいるときに日本人の男性ばかりの同世代グループに身を置くと、猛烈な違和感に襲われるぐらいだ(日本にいるときにこうならないのは、きっと、日本社会の問題だ)。なので、あとは、針の穴を通すような細かさで一人一人友達をハンドピックしていくしかない。そして、少し仲良くなったと思ってから彼/彼女が麻薬を吸うことを知ると、ふりだしに戻る。これでは疲れる。
「寛容な社会とは、非寛容性に対して非寛容であることである」という。私は、寛容な社会に紛れ込んだ非寛容な人間なのかもしれない。
今、これを書いているのは金曜日の夜である。外では賑やかなパーティーの喧騒が聞こえる。このハンドピック作業を地道に続けて、かなり友達が増えてきたことは、今年一年の大きすぎる収穫だ。自信になるだろう。しかし、今日のように、久しぶりに大麻の空気に触れて帰ってきた日は、色々と考えてしまう。だからキーボードに向かった。
きっと、脳内を巡る考えを投げ捨ててじっと本でも読んでいた方が精神的には健康だったと思う。でも、こうして衝撃を受けた直後に書き上げる文章は普段よりも気持ちが乗ると思うからね。
そんなわけで、私のアヘン戦争は今後もつづく。戦況は膠着状態だ。
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