関係のないWhyを手放す
今回は最近「これやめたいな〜」と思った
出来事について話したいと思います。
昨日の朝、自転車をひきながら
坂道を歩いているときでした🚲
目につく大きなゴミが道中に落ちており、
あまりに気になったので拾うようになりました。
ちなみに私は、普段からゴミを落とさないように
気をつけていて、小さな糸クズだとしても、
自分で出したものは必ず持ち帰るようにしています🚯
ただ、他の人が出したものについては、
毎回拾えていないのが正直なところ...。
ですが今回は家に帰る途中だったこともあり、
(置き場所に困らず、比較的すぐに捨てられる)
持ち帰ることにしました。
そして、拾った袋を手にして歩きながら考えました。
「これを落とした人は、なぜ道中に
捨ててしまったのだろう?」
「どういった気持ちだったのだろう?」と。
しかし、答えは分かりません。
わざと落としたのか、気付けなかったのか。
理由を聞きたくても、
誰が落としたか分からないので
確認することができません。
考えたところで答えがなく、
たとえ答えが分かったところで
何か得があるわけでもない...。
そういえば以前、会社の先輩から
「納得するまで相手の考えを理解しようとすることが
〇〇さん(私)の長所だ。」と言われました。
なぜそうなのか、理解しようと頭を悩ます。
多分これは良くも悪くも
「私の考えの癖」なのだと思います🤔
ですが今回の出来事を通じて、ふと。
そこに考えのエネルギーを使うのが
なんだか勿体無くも感じられました。
「大した意味のないWhy」は手放そう。
もっと「意味のあるWhy」に頭を使おう。
最近悩んでいた、職場の人間関係についても
これを当てはめると少しスッキリします。
周りによく愚痴を言い、
人の発言に対して否定的な人がいて、
その人のことを考えるとあまりに憂鬱になってしまう。
「あの人はなぜそういった発言をするのだろう?」
考えても答えは出ず、仮に相手の生い立ちなどを
聞いて多少は理解ができたとしても、
それが私にとってなんだというのでしょう。
(昔読んでいた小説に出てきた
「それわた」という言葉が思い出されます。)
もちろん相手を理解することはとても大切です。
それは承知の上で、一番は自分に集中する。
「私が本当に願うことは何か?」
「なぜ私はそうなりたいのか?」
考えるにも時間は過ぎていくわけで、
時間もエネルギーも有限なので。
ゴミは黙って拾って、
考えは私が大切にするところに
使いたいと思いました😌