18歳の決断
#自分で選んでよかったこと
中学3年生の夏に、一か月以上も入院した経験がある私。受験生で多感だったあの頃。
みんな部活や試験勉強に頑張っているのに、病院でぼんやり過ごしていた私は、焦る気持ちと諦めと、自分のちっぽけさを感じながら過ごしていた。
そんな暗い気持ちで入院生活を送っていた私の憧れは【白衣の天使】看護師さんだった。
テキパキと仕事をこなし、ドクターと対等に喋ってる。時間があるときには、こんなひねくれた私にも、笑顔で話相手になってくれる。凄すぎる!
私もいつか看護師になりたい
その思いは、無事高校に入学してからも消えることはなかった。
当時片思いしていた男子から
「看護師!?絶対向いてる~!!」
と言われたこともあり(笑)、私は高校卒業後、看護学校への進学を決めた。
当時反抗期を拗らせていた私は、実家から早く出ることばかり考えており、寮のある看護学校を選んだ。
進路相談の三者面談。担任の先生が、母に
「寮のある学校を受験するんですね」
と話しかけたのだが、その言葉に母が固まってしまった。
実は、反抗期を拗らせすぎた私は、母とほとんど口を利かず、進路希望も独断で考えていたのだ。なので、私が寮に行くなんて、まさに寝耳に水。考えてもいなかっただろう。
その後の面接、ものすごく気まずい雰囲気になったことは覚えているが、どんなことを話したのかは、全く記憶に残っていない。
担任だったH先生、ごめんなさい。
面接が終わった後、母とは特に会話しなかった気がする。
「家出るんだ?」
「うん、そのつもり」
多分このくらいしか話していない。
無事に看護学校に合格し、いよいよ家を出るとなったとき、母はすごく張り切った様子で、準備を手伝ってくれた。逆に私は、急激に心細くなって不安でいっぱい。張り切っている母が恨めしく思えるほど。
本当に自分勝手な娘。今振り返っても母には申し訳ない思いでいっぱいである。
寮での新しい生活は、慣れるまで本当に大変だった。
なぜこの道を選んだんだろうと後悔の連続。授業の内容も難しい。家に帰っても食事はない。洗濯も誰もしてくれない。
そして、いつも冷蔵庫に当たり前のように入っている麦茶がないのだ。
母がいつも口うるさく言っていた
「麦茶は出しっ放しにしないで!いつも冷蔵庫にあると思ったら大間違いだからね」
という言葉が浮かんでくる。
でも、実際麦茶はいつも冷蔵庫にあったから、実家で過ごしているときは、母の言葉をスルーしていた。
ちなみに母親になった私は、毎年夏になると全く同じセリフを夫と息子たちに言いまくっている(笑)。あの頃の母の気持ち、共感しかない…。
母はいつも健康的な食事を作ってくれたし、お弁当も毎日持たせてくれていた。見栄を張って小さいお弁当箱を使っていた私のために、いつもこれでもかっていうくらいご飯をギュウギュウに敷き詰めてくれた。
体に良くないからと、家にいるときほとんどカップラーメンを食べたことがなく、それが窮屈だった私は、寮に入ったらカップラーメンを食べまくるという密かな夢を持っていた。
寮の近くにあるスーパーで、母なら絶対に買わないような1.5倍サイズのカップラーメンを5つほど買い込み、意気揚々と寮に戻る。
しかし、あんなに食べたかったカップラーメン、胃が受け付けなかったのだ。きっと環境が変わったストレスで、胃にも負担がかかっていたのだろう。母の手料理が恋しい。
せっかく大きいサイズを買ったのに、食べきれず捨ててしまう。買い込んだカップラーメンも、もう見るのもイヤになり友達に譲ってしまった。
今もカップラーメンはあまり好きではない。
念願だった看護師になったものの、毎日のように
「やめたい、絶対向いてない」
と言いながら、結局20年続けた。
看護師時代もたくさんの辛い経験、苦しい経験をしたのだけれど、踏ん張って続けられたのは、この道は親に相談もせず自分ひとりで選んだ道だという思いが、いつも心の底にあったからだと思う。
もちろん寮生活では、自分の選択を後悔したこともあった。たくさんあった。正直いうと、ほとんど毎日後悔していた(笑)。
友達にも恵まれたし、楽しかったけれど、家の、特に母のありがたさをつくづく感じさせられた。
反抗期を拗らせていたあの頃からもう30年。あの面接のときの母よりも、今の私の方が年齢が上になってしまった。
なかなか反抗期が終わらない上に、相談もせず寮のある学校を選んだ娘。寮に行く準備なんて、無理矢理テンションあげなきゃやってられなかっただろうなと思う
私なんて、小学生の息子が行く、二泊三日の合宿でさえ寂しいのに。
寮の準備を手伝ってくれた母、あの時の母は張り切ってたんじゃなくて、私のことを笑顔で送り出そうとしてくれてたんだと、今なら分かる。
迷惑も心配もいっぱいかけたし、私も後悔の連続だったけれど、18歳の私が自分で人生の道を決めて、自分で決めた道に対して責任をもつことを学んだこの経験、今振り返ると宝物のようにみえる。
あの頃は地獄でしかないと思っていたのに、時間がたつと宝物になるんだから不思議。でも、いくら宝物でも二度と戻りたくない時間である(笑)。
一度決めたことは、諦めずに貫け!というわけではなく、続けるにしても、やめるにしても、進む道は自分で決める。
結果がどうであれ、その結果を糧にしてまた前を向いて進んでいく。
こんな人生が素敵だと私は思う。
もし、息子が私のように反抗期がきつくて、何の相談もせずに高校卒業後に家を出るって言い出したら、私はうろたえて感情的になってしまいそうな気がする…。
絶対にドンと構えて、笑顔でなんか見送れない。
このことを母に話したら、
「あなたの血をひいてるんだもの、今から覚悟だけはしておいたら?」
と言われてしまった。返す言葉もない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?