性格をみつめる
自分の性格って、いつからのことをいうのだろう。
性格は
変えられるのか。
人に嫌われるところは隠したい。
いい人でありたい。
みんなに好かれたい。
なのに、好かれるどころか
ああまた嫌われたと感じる毎日。
今のダメだったな。とか
どうしてあんなこと言ったかなとか
謙虚とかそんな素晴らしいものではなくて、
自信の無さからくる、ひがみみたいな屈折したものがいたずらに自分の心をひっかきまわしている。
今日もこんなことがあった。
大好きで尊敬している友人がいて、大好きすぎて嫌われたくなくて声もかけられず音信不通のまま何年もすぎて、
おもいきってご飯食べようーって誘ったら
「いいね!○○ちゃんもよばない?」という返事がきたことに
がくんとした。
わたしとだけご飯食べるのは嫌だったんだなあ。
○○ちゃんも交えて会うことになり
はやくももう委縮していて、
嫌われているんだったら、
会おうなんていわなければよかったなあとひねくれる。
いや、ちがう。
委縮したようにみせて、心の奥底では恨んでいるのだ。
そんな態度みせたらそれこそまた嫌われるから、
隠し通して
当日楽しくおしゃべりして楽しかったと思ってもらえるように、アレ?結構この人楽しいな。また会いたいなと思ってもらえるように
嫌いだったことを後悔させることができたらと目論んでいる。
大好きなのに、自分を嫌っているのなら、
復讐してやろうと
実は考えているのだ。
控えめそうな演技のかげに隠した
恨みとかひがみとか。
でも、みえる人はちゃんとみているのだ。
そういうわたしの浅ましくて小さな人間性が見抜かれて
軽蔑されているのだ。
嫌われたっていいじゃないかと思えるほど、自分はなにかに打ち込んでこなかった後悔。
性格は生き方なのだ
変えたいから変えれるなんてものじゃない。
懸命に生きるしかない。
だれかの足をひっぱろうなどと考えている自分を変えたいなら
納得いくまでだれがなんといおうと必死でなにかに取り組むしかない。
自分が情けなくて、
くやしい。