入院日記15日目「すべての苦は今の幸せにすべて必要だった」と思える人生
留年するかも。
娘からのLINEを思わず二度見。
えっ?留年?留年ってあの大学の落第?
あ、私じゃないよ。Sだお。
もう一回チャンスはあるみたいだけどね。
ああ…Sかあ。次男である。
この間のテストがダメだったらしい。
もう一回かあ。お情けがあるのか。ありがたい。
実は我が家は長男も留年している。
お恥ずかしい話だが4年の最後に必修科目のテストを失格。半年休学して丸1年通い就職に合わせて卒業した。
内定も決まっていたため、会社の方からも大学に打診していただきそれでもダメとなり本人は当時かなり落ち込んでいた。
夫のお怒りぶりはハンパなかった。
動揺してしまったのかかなりの修羅場であった。
長男はもちろん自分が全部払うと言ってその方法しか償えないとばかりに頭を下げた。
もちろんお金の問題は大事だとは思ったけれど
私はどうにかしようよと夫をなだめ、おさめる。
長男が留年したことに何もかも彼だけのせいにすることがためらわれたのだ。
幸い彼は次の就職に成功し、最初の時よりも更に希望の会社に入社が決まって晴れ晴れとした顔で喜んでいた。
留年分の金額は父親に返したらしい。
あの修羅場がまたあるのか。
私は少し憂鬱になりながら Sをディスりまくっている娘のLINEに笑いながらやりとりしていた。
もう東大しかないね。
?東大?どういうこと?
もう留年はまぬがれられないとして、院で東大をめざす!名誉挽回だよ!
あははすごい!それは素晴らしい!
でも留年した生徒を東大はとりたくないだろうなあ
たしかに!笑笑
次男は我が家では初の理系の大学で
最初に「理系はみんな院にいくんだ」という。
私は、みんな?と聞いてしまった。
そうじゃないと就職先がないという口ぶり。
その時はまだ入学したばかリだったし、まあまずなんかうちこめるような研究したいことを見つけるってことね、と考えていた。
でも彼の様子はあまり良いようには見えなかった。
娘のやる気マンマンが目立っていたこともあるが、まるでそちらに生気を吸われているかのように彼には日々の意欲が感じられなかった。
でもそんなものかなと
母に細かいことを言われるのもウザいだろうと見て見ぬふり。たまに部屋のあまりの汚さに呆れてこれはひどすぎないー?と言ってみたりして。
ああでも勉強してるとこをあまり見なかったな。
そのうち夢中でうちこみ始めたものがあった。
編み物である。
どうかな!これ!
かぎ針で編んだいろんなパターンの作品を照れたようにみせにきた。
わあ。キレイ!上手だねえ!!
かぎ針はお母さんやったことないけどおばあちゃんがよくやってたよ。あ、おばあちゃんから前にもらってあったかぎ針セットがあるよ。
ほんと?貸して貸して!
あげるよ。Sが使ってくれるならおばあちゃんも喜ぶよ
彼はサイズ別に入った年季の入ったかぎ針セットをすごいすごいと目を輝かせて受け取った。
次男と娘のNは双子である。
偶然かもしれないが、2人で一つみたいだなあと思うことがよくあった。
幼い頃に一番感じたのは2人の意欲であった。
特に勉強面などで、どちらかがやる気にあふれるともう1人はポケッしてしまうほど勉強に向き合わなくなる。そういうことが2人には交互に訪れた。
特に娘の様子はわかりやすいくらい顕著だった。
やーめたとばかりに絵に描いたように教科書をなげだし、いやもう教科書どころか今まで夢中になっていたことさえこんなものいーらないとばかりに放棄した。別にやらないならやらないでいいのにわざわざ誇示する様子にヒステリックなものすら感じた。
今でも皆で語っては笑うが、娘のそれがちょうど彼らの高校受験期にあたった時は私ももうお手上げだった。
三者面談で担任の先生も懸命にやる気をだすよう言ってくれるのだが、娘は唐突に新潟県の有名なスポーツ校を考えてみたいなどと言いだし、ひっかきまわした。
いや本当にスポーツ好きな子ではあった。
地域の野球チームではピッチャーで「女の子の投げ方じゃないね」と通りががりのおじさんに言われたことを自慢の一つにしているような子だった。
彼女の言う、新潟県のスポーツ校というのも、ある大会でスカウトしていただいたところで、彼女にとってはあながちトンチンカンでもなかったのだが、担任の先生は知らないことであり、何を言い出すのかと戸惑っておられただろう。
ちなみに野球といえばここでも次男との2人で一つ説をあてはめたくなる。
次男は捕手になり高校野球を謳歌していくのだ。
娘とこれまた合わさるように違うポジションだった。
Sは小学生頃からお裁縫が好きな男子だった。
時々フェルトでマスコットを作ることがあり、高校の時に作ったそれらは野球部のマネージャーが作ってくれたものと一緒にカバンに下げていた。
娘は男の子みたいなところがあったし、次男の趣味は乙女だし、仲良しママの間ではそのあまりの逆転ぶりに驚きながらよく一緒に笑った。
私の母は編み物が得意で、生前良く娘のNに編み物を教えてあげたいわあと言いNもたまに習ったりしていたけど特にやりたそうでもなくいつのまにかそんな交流もなくなっていた。
まさか次男のSに教えた方がよかったなんて思いもしなかったろう。笑
ある日食卓でもご飯そっちのけで編み物をしているSがいた。数日後、肩掛けバックをお披露目してくれる。4色のブルー系を組み合わせて編み込まれたステキな作品だった。
娘がわあーいいねー貸して貸して!と大喜び。
次男ももちろん気に入っていたから毎日どちらが持って行くかいつも話し合う声が聞こえた。
なんでもいいから編みたい。
彼は毎日編み物に没頭していく。
デザインを研究し試作品を作っては娘に感想をきき、友達に高評価を得ると作ってあげたりして忙しそうにしていた。気に入った毛糸の色が海外の物ばかりとわかるとかなり迷っていたが「思い切って買ってみたんだ!」と嬉しそうにみせてくれた時はあまりに大量だったので少し驚いた。
私は次男の編み物熱が嬉しかった。
勉強からの現実逃避的な気持ちも少なからずあるだろうなとは思ったが、もしそうであっても、こうやって逃げ道があることはいいことだと思う。
なにより、私も知っている、あの夢中になる楽しさというのは、何にも変え難いものだ。
私はある日言ってみた。
Sは本当に好きなのって服飾なのかなあ。
それならさ、そっちに変わるのもアリだよ。
私は子どもたちにずっといい続けてきたのだ。
好きなことを見つけて欲しい。好きなことが一番あなたの力になってくれるよ、と。
だから大学というブランドもありがたくて貴重だけど服飾がそんなに好きなら…
そこまで言った時次男は少し怒ったように言う。
お母さん、それ本気で言ってるの?
…そこまで出来る自信はないよ。
力無く言って下を向いた。
私は話のわかるお母さんを演じたかったのかもしれない。自分が少しはずかしくなった。
しかしそれにしてもちょっとつらそうだなと気になった
彼は時々凝り固まったような自分の価値観を口にするような気がした。
私が「運を味方につけて…」というようなことを言うと
「ぼく、運とかそういう世界大嫌いなんだよね」とか
「家族で外食するのが1番嫌だ」とか。
ガンとして譲らないような強い口調で否定した。
日頃はかなりマイルドなおふざけキャラで、私にも優しい次男だけに、おや?と思ってしまう。
娘はこんなSをまだディスる。
「反抗期、おそ!」
たしかにそう言われてみると、これは反抗期だろうか笑
話はかなり広がってしまったが笑
今日は「幸せ論」について考えてみたい。
今私のいる病棟は脳神経科である。
症状がかなり重めの方をみると正直暗い気持ちになる。
自分がああならない補償はなく、
また今回この系統の病気になったということは
脳神経科類の既往歴(きおうれき)が出来たということになるだろう。
ベッドの中で天井を見上げながら「幸せとはなんだろうなあ」と考えてみたくなった。
入院日記を通して私は今回多くのことを学んだと思う。
最初はそんなつもりはなかったのだが、いろいろな出来事が私の今までの行いへの反省、また、これからの願望みたいな気持ちにつながった。
55歳でこんな病気を得るとは思わなかったなあというショックが正直あったが、
今はむしろ少し早かったかもしれないことをラッキーだと思っている。
「幸せ」をこんなふうに考えてみたのだ。
自分の人生を振り返った時にたくさんの不幸や苦しみ悲しみを思い出すかもしれない。でもその時に「あれもこれも今の幸せにつながっていたんだなあ!」と思えたら、最高の幸せな人生だったのではないかと。
人はみんな幸せになりたい。
だから無理矢理でも幸せを探すことがある。
すると結構ささやかな幸せというのものは
身近にあるものだ。
戦争の真っ只中を生き明日の命もわからない人たちや
何もかも決められたような奴隷のような生活の人など
極端で壮絶な人生のあらゆる苦しみを考えた時は
自分はなんて幸せ者なんだと、自分の苦しみなんてちっぽけではないかと反省すら促されることすらある。
でもちがうのだ。
仕事のストレスやちょっとした人間関係の苦しみだって辛いことにはかわりない。
逃げ出したいことには変わりない。
だからどんな時も自分を元気にさせてくれるものが必要なのだ。
それが「好きなこと」なのだと思う。
「できること」じゃない。
「向いていること」じゃない。
「好きなこと」
しかもちょっとやそっとの「好き」ではない。
いつのまにか手が動き出してしまうような、
時間なんてお構いなしにやりだしてしまうような、
心からワクワクする
やりたくてやりたくてたまらない「好き」だ。
やり出してやり続けていくうちに
上手くなったり嬉しいこともあるだろうが
そこにもやはり辛いことが待ち受けているかもしれない
でも好きだからやってしまう。
その壁がまた挑戦する気持ちを奮い立たせ
自分の可能性にワクワクするかもしれない。
周りの理解を得られずトラブルが起きるかもしれない
バカにされることもあるかもしれない
全く関係ない事故に巻き込まれたり
失恋したり
思っても見なかったところへ行かされたりして
戸惑うこともあるかもしれない。
でも「好き」なことは
きっとそのすべてを乗り越えられる。
そして最後にすべての苦労を肯定してくれるのだ。
「アレは今の幸せにすべて必要だったんだなあ!」と。
だから
次男にも
今の幸せだけを追わなくてもいいんだよといいたいのだ。
あなたの「好き」はどれほどの好きなのだろう。
でも入りたくて頑張って入った大学にも
きっとあなたの「好き」はあるはずなのだ。
留年はお互いつらいけど
世間体や表面だけで自分をムダにさげすまないでほしい
幸せはきっとまだまだ先にあるから。
簡単には手に入らないことを
楽しんでほしい。
あ!いやいやまだ留年決まってないか!笑
次男よ、とりあえずまずは次のテスト頑張ってくれ
修羅場はさけたいからねー笑
これは次男へのエールとともに
今回病気を得た私への
後半戦へのエールでもあるのだ。