【ミュージアムレポート】わたしは探すのではない。みつけるのだ。
ピカソの作品は「もうわかっている」という感じがしていました。
それだけが理由ではありませんが、ピカソの作品はあまり好んで観てきませんでした。
(のっけから大変生意気なことを言って申し訳ございません。)
でもピカソの陶器の作品にはなぜだか興味があり、
東京のヨックモックミュージアムにてたくさんの種類をみせてもらえるということを知ってから、ずっと行ってみたいと思っていたのです。
今回ようやく念願をはたしました。
このタイトルにも惹かれました。
「いのちの賛歌」
ピカソそのものを言い得ているって感じがします。
このミュージアムではピカソの陶芸作品を「セラミック」と呼んでいます。
ピカソの陶芸作品には独自の絵画的、彫刻的な創意と遊び心が取り入れられており、一つの新たなる芸術ジャンルとしてその革新性に注目してもらいたいという考えのもと「セラミック」という呼び方を提唱しているとこのことです。
従来の実用的な陶芸品としてだけではとらえられないピカソ作品の芸術的な可能性を感じながら作品を鑑賞させていただきました。
作品はテーマ別に展示されていて、そのテーマについてのピカソのこだわりもわかりやすく記されていました。ピカソ作品でよくみられるような「闘牛」「鳩」「女性」との関係が「そういうことだったのか」とよく理解できすっきりしました。ピカソが作品に向き合う時に愛着をもっていたところにピントをあわせながら、作品にスッとはいりこめた気がします。
闘牛とピカドールとピカソ
ピカソは「ピカドール」になりたかったと語っていたことがあったそうです。私は今回、この「ピカドール」という存在をはじめて知りました。
スペイン文化では闘牛はダンスであり芸術であるとされています。
赤い布(ムレータ)が使われていますが、牛は色を識別できないため、実際は色ではなく動きで興奮をあおっているのだそうです。
闘牛士は1頭の牛に対してチームで闘います。
闘牛が開始されるとまずはピカドールが登場します。
馬に突進してきた牛が角を突き立てようとした瞬間を狙って槍を刺します。
続いてバンデリリェーロが紙飾りのついた2本の銛を3回(計6本)ピカドールと同じ場所に突き立てます
最後にマタドールが登場!モンテラという帽子を取り、牛を捧げる相手に渡します。肩越しに帽子を放り投げたら観客全員に捧げるという意味なのだそうです。ムレータの中には剣が隠されています。その剣で牛にとどめをさし、観客の大歓声の中、幕を閉じます。
闘牛といえば闘牛士一人が華麗に赤いマントをひるがえすことを何度かくりかえす場面だけだと思っていましたが、あの場面までにこんなにも過程があったとは!たしかに牛の背中に長い槍のようなものが刺さり、牛が動くたびにゆらゆらとたわんでいたことも思い出されます。
それにしても、ピカソは最後に決着をつけるマタドールではなくて、
一番最初に牛を興奮させる仕事をする「闘牛士」になりたかったというエピソードはなかなか興味深いと思わされました。
しかし、そのような知識をもってから作品をみると、様々な様子の意味がわかって面白いなと感じました。ピカドールは馬に乗っていたようですからわかりやすいし、たしかに「なりたかった」だけあってピカドールが多く描かれているように見受けられます。
また、ピカソは闘牛の作品には観客もかかさず描いているようです。
観客は点だけであらわされていることも多いですが、
牛の興奮や場内の熱気を感じさせる効果があるように思います。
現在は国民の関心はサッカーに移り、闘牛は人気がなくなっているとか。動物愛護の観点からも批判的な見方がされるようになってきました。
鳩とフクロウとピカソ
こどもたちがまだ幼かった頃「何も見ないでカラスと鳩を描き分けられるか」ということに一緒に挑戦してみたことがあります。頭の中に浮かぶシルエットはなんとなくでしか違いが見えず、カラスの方が頭が大きくて首がふとくて・・・などとは思うのですが、いざ描いてみると全然描き分けられませんでした。
ピカソの「鳩」はらくがきのようにサラリと、それこそものの何秒かで描いているようですが、しっかりと鳩にみえます。そしてちゃんと愛らしく、ピカソらしく、センスの良さをかんじさせるところはさすがです。
ピカソは家のベランダに鳩小屋を造り飼育していました。ピカソのお父さんは「鳩を描く画家」としても知られていたためピカソは鳩に親しみを感じていたといいます。
1901年「子どもと鳩」作成。
ナチスドイツ軍がパリに侵攻した後にも描いたテーマでした。
1949年パリ平和会議にてピカソの「鳩」のリトグラフが採用されました
同年、フランソワーズ・ジローとの間に生まれた女の子にパロマ(鳩:スペイン語)と名付けました。
ピカソは一時期フクロウを飼っていたようです。
この写真のフクロウ!なんてかわいいんでしょう!
上野動物園にいる「コノハズク」を思い出しました。(かわいいんですよ!)
さてこのセラミックのフクロウもなんて魅力的なんでしょうか。
色合いや模様などはアフリカやパプアニューギニアなどのプリミティブな芸術を思わせます。色の分配、構図、のびやかさがとても気持ちいいと感じます。ピカソはこういうデザインが本当にうまいと思います。
でもこれって、ふつうに花瓶みたいな陶器をさかさまにしているんでしょうか?そう考えたらちょっと笑ってしまいました。
自由だなあ!ピカソ!(笑)
日本でも生前から話題の人だったピカソ
1940年代末から1950年代初めにかけて東京の画廊や百貨店にてピカソの作品の展覧会が開かれました。そのなかにはセラミックの作品展も含まれていました。連日大勢の人でにぎわい大反響だったそうです。
ピカソの陶器に対しての評価は賛否両論でした。
「これは陶器ではなく陶画であり飾り画だ」「陶器に絵を押し付けた感がある」と批判する意見がある一方、
ある人はピカソの作品には重みや深みこそないが「生き生きとした新しさ」「魂の自由さ」なるものを感じるといいました。
また、伝統を真に生かすためにも「自己の精神の新しい動き」が必要だとし、ピカソの作品にはある「精神の自由」「飛躍性」という価値について議論がなされました。
日本人の陶芸家の人々の言いたいこともとてもよくわかります。
陶画、うーん、うまいこといいますね!
でもこのフクロウの作品をみていると、「伝統」なんてなんのことやら、
ユニークなたたずまいで堂々としています。
思わずくすっと笑ってしまいます。
大胆でいさぎよい姿に「かなわないなあ!」の一言しかありません。
さすがピカソだなあ!
お皿という名のキャンバス
ピカソにかかってしまっては、
もうまさにお皿は「お皿としての役割」を忘れています。(笑)
でもお魚さんかっこいい!料理をのせて見えなくなっちゃうの悲しいなあ。
やっぱりこれはお皿として使わず飾っておきたいですね。
あはは。ピカソったら、もうこれ、どんな気持ちで描いたの?
眉?が上と下ですよ?顔に格子なんですから!(笑)斬新すぎる!
これは釉薬の効果でいろいろな色合いになったのでしょうか。
面白い作品に仕上がっています。
お皿に顔を描くというのであっても、このようにお皿の中に人物像をえがくのであればこの作品のように違和感がないのですが
お皿のまわりをそのまま顔の輪郭として使用してしまうのがピカソですね。ひげまでしっかり描いているし、ほっぺたの青い曲線はなんだろう?
ユニークだなあ!
女性はまさにピカソのいのちのみなもと!
さて、ピカソといえば「女性」ですよね。
7人の女性と深い関係があったようですが、それこそ関わった女性を考えたらピカソはいったい何人の女性を愛し、愛されてきたのでしょうか。
このセラミック制作時一緒にいた女性は初期の頃はフランソワ・ジロー。
後半から晩年にかけてはジャクリーヌ・ロックという女性でした。
1943年に21歳のフランソワ・ジローと知り合ったピカソは62歳でした。その2年後第二次世界大戦が終結をむかえ、1946年に二人は「マドゥーラ製陶所」を訪問します。そして1年後再訪すると本格的な陶芸活動を開始しました。
その後の女性遍歴は以下の通りです
1952年にマドゥーラ陶房で働くシュザンヌ・ラミエの従妹のジャクリーヌ・ロックと出会います。ジャクリーヌ26歳ピカソ71歳の時でした。
1953年にフランソワ・ジローが二人の子どもとともにピカソのもとを去り、1955年妻のオルガ・コクローヴァが死去
1961年ピカソはジャクリーヌと結婚します
ジャクリーヌは1973年ピカソ91歳で死去するまで添い遂げました。
そのジャクリーヌのセラミック作品を今回いろいろみることができました。
中でも一番好きだったのはこのまっ白い作品です。
最近こんな記事を読みました
ピカソの女性関係において人権抑圧があったとされ問題になっているという内容でした。たしかにピカソと関係のあった女性は自ら命をたった人もいるといわれており、ここに記載もあるように「恋人を物理的にも精神的にも暴力的に支配した」ことは事実のようです。
いままでなら「芸術の作成において恋愛はそのエネルギーの源である」などとし逃げ切れたのかもしれないことが、許されるべきことではないと議論が続いています。
一つの壺が牡牛の体になっているセラミック作品
さて、本日の鑑賞にて、
個人的に一番好きだなあと感じたのはこの作品でした。
これは、館内の映像にて紹介されたものです。
展示としての現物はなかったのですが、ポストカードを購入しました。
映像の中でこのセラミックをぐるりとまわしてみせてくれるのですが、1匹の牡牛が(壺全体をみせてもらうと牡牛ということもわかるようになっていました)壺全体に堂々と描かれている作品です。
お皿の作品でもありましたが、お皿自体を顔としたうえで被写体を表現するという方法と同じく、この壺のまるみ自体が牡牛の体を表しています。
そのことが、けして「無理やりのつじつまあわせ」のようなところがなく、二つをあわせることで壺の形と牡牛のシルエットの面白さを引き出しているように思います。牡牛は簡単な線と面でさらりと描いているようですが幼稚になることもなく、その形のとらえ方のスピード感に牡牛のエネルギーまでをも感じ、さらには品の良さをも感じるピカソのセンスにはさすが!とうなってしまいました。
なにか飾りのようなものがついているのは、よく見るとこれはバンデリリェーロが撃った紙飾りのついた銛ですね。
そうか、これは闘牛なんですね。
ヨックモックミュージアムのこと
1Fにはカフェとライブラリースペースもあって、居心地の良い空間です。
ヨックモックミュージアムではいろいろなワークショップやアートを体験できる企画があります。
また学芸員の方が参加者と一緒に展示室をまわりながら作品の魅力やエピソードを紹介してくださる「ギャラリートーク」もあります。(有料)
毎月早めに予約が必要なものもありますので、そちらも是非チェックしてみてください。
ヨックモックミュージアム
東京都港区南青山6-15-1 03-3486-8000
東京メトロ表参道駅B1出口より徒歩9分 駐車場なし
チケット:一般1200円 学生800円 小学生以下無料
開館時間10時~17時
休館日:月曜(ただし月曜祝日の場合開館翌火曜休)年末年始・展示替期間
「わたしは探すのではない。みつけるのだ。」
冒頭の言葉
「わたしは探すのではない。みつけるのだ。」というのは
ピカソの言葉として館内の映像にて流れました。
今回のセラミックの制作においても、女性との関係についても
ピカソの生き方はまさにこの言葉通り、「みつける」べく、
積極的に前へ前へと進むエネルギーを感じます。
そしてその「みつける」は「驚き」ではないだろうかと考えました。
常に新しいものを求め、悦びをもとめ
自らを驚かせることを楽しみ、わたしたちを「驚かせよう」といつもワクワクしているようなピカソ。
「驚き」をもって「みつけた」女性は必ず自分のものにするピカソ。
「みつけた!」は「よろこび」になり
この写真のようにこどもみたいに笑って、皆を惹きつけてきたのだろうな。
そんなことを考えながら
ピカソの写真の笑顔と
自信にあふれたこの言葉を重ねてみるのでした。
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