入院日記12日目片目の方がよく見える?
左側の目玉が動かなくなってしまった。
お母さん、目が全然動いてないよ!
大学の帰りに面会に来てくれた娘に驚かれ、
そうだったのかーと思う。
お医者さんが目の前で人差し指を立ててくれているのを目だけで追う時、右側の超端っこの方に指を持っていかれるともう指は何本にも見えるし、後ろの風景に溶け込んじゃって指との距離感がまるで無くなってしまっていた。
それはまるでキュビズム絵画みたいだった。
目の動きが変だとはわかっていたけど、
全く動かなくなってしまったのかあ…
やはり少しショックだ。
でも不思議なのは動いていない目を片手で隠すと
結構視界がクリアになって、ピントが合ったりする。
両目が普通にみえるならそれが一番見えやすいに決まっているが、一つが使えない!となると、なまじっかそれを使おうとするより、無い方が見えやすくなるってことなのかな。
人間の体って不思議だなー。
今日リハビリの人と話をしていたら、
「もし絶対帰りたい!という強固な願いがあるのだとしたら、今日でも実は退院できますよ」と言われた。
え?
ちょっと驚いた。
瞬時に、これは優しさで言ってくれているんじゃないような気がした。だって私は一度も退院したいと言ったことはなかったからだ。
甘えるなと言われたような気がした。
ドキリとした。
そうか、そうですよね。
自己免疫疾患って、アレルギーみたいなもんですもんね。付き合っていかなくちゃいけないもので、完治とかないんですもんね…
私は少し慌てて、
そして自分に言い聞かせるように言ってみる。
そうですね、完治って言うのは骨折みたいな時だけで…
でも、でもね、全然ピント合わなくて、まだ気持ちが悪くて、これが治る時が退院なのかなって思ってました。
そう言いながら、
ちょっと自分がすがっているなあと感じた。
うん、まだその状態じゃ不安ですよね、と言ってほしかったのだと思う。でも…
うーん、治るかどうかは…
とリハビリの人は言った。
そうか、そうなんだ。
正直、そのことは意識になかったなと思った。
アレルギーの人だって再発を防ぐ薬を飲みながら日常生活を送っていくんだもんね。
治るなんてわからない。
日常の中で、治る努力をしていくのだ。
それと同じなんだな。と頭の中を整理する。
じゃあ別に入院することなかったじゃん。
いやいや検査入院は必要だった。と自問自答する。
検査で脳の炎症がわかったのだ。
おそらくそこからのめまい。
そしてそこからの治療なんだけど、あんまり変わっていない。
助けて欲しくて病院に駆け込んだのに、その時とあまり違いを感じなくてまだまだ正直つらいのだ。
でも「帰りたければ帰ってもいい」と言われている。
この状態で働くしかないのか。
何にも変わってないよ?でも甘えちゃだめだ!
気持ちが交差する。
自分をいましめ、反省はしているのだが、
なんで?なんで?と納得のいかない怒りも感じている。
「今度の土曜日退院してもいいか、
先生にも相談してみます。」
自分でもどうしたんだろうと思うような、
啖呵を切ったような発言をしてしまった。
リハビリの先生はそれもいいかもというようにうなずいていた。
なんだか思いがけず急展開になってしまった。
自分からそうさせてしまったのだが、
でもなんだか心がザワザワした。
たしかに気を強く持って、もう大丈夫って決断も可能だし、その必要があると言われたらそんな気がする。
現に今そう言われたと考えてみたとして、
ある意味元気も湧いてきた、とも思える。
でも、体はまだやっぱり気持ちについていけないところもあって、こんな状態で全て元に戻れと言われるのはあまりに酷ではないかという気持ちも正直あった。
そう考えたらなんだか少し泣きたくなってくる。
あのリハビリの先生は
私を元気にさせてあげようと思って
言ってくれたんだろうか。
私、甘えているように見えていたんだろうか。
夕方主治医の先生が来てくれた。
思わずリハビリの先生に言われたことを話してみる。
主治医の先生はかばってくれるだろうか。
そんな期待が正直あった。
先生は少し困ったような顔をして笑う。
そんなこと、いわれましたかー。
私は慎重に先生の表情をみながら
言葉を聞き取ろうとした。
先生は
「今の状態で帰るなんて無茶ですよ。」とは言わなかった。
「まだつらいでしょう?」とは言わなかった。
ただ、
「原因がわからないんですよー。
もう一回ね同じ薬を試してみて、もう少し良くなるならその方がいいかなぁって思うんですよね…」
少しポカンとしたまま私は先生を見てしまった。
そこには
リハビリの人の意見の答えも私の心配している気持ちへの答えも無いと思った。
心の中で言ってみる。
でもこんな目玉動かなくなってるのもそんな心配する事じゃないっていうか、してもしょうがないことなんでしょうか…
娘が帰りがけに言う。
もう腹立ってさあ。だってお父さんもSも家にいるんだよ?なんで私だけさあ皆んなのご飯気にしなくちゃいけないんだって思ってさあ!だからさっき2人にLINEした!それぞれ勝手に食べて!って。2人ともリョーカイってきた。
そうかそうか。うん、いいと思う。そうだよね、Nちゃんだけいつもごめん。ありがとうね。
夫はコロナ禍からガッツリのテレワークとなり一日中家にいる。そうなってからは掃除洗濯もマメにしてくれるようになりすごく助かっている。やりだしたら凝り性で手伝うといっても断られ、私はせめてものとお願いしてトイレ掃除の任務をいただいていた。
会社の仕事は残業代が出ない。
なのに夜もかなりの時間仕事をしている。たぶん疲労もたまり、家にいるとはいっても私が入院だからといってここぞとばかり頑張らなくてはと更に家事に精を出せるとは思えなかった。
でもそもそも娘の不満はそこではないのだ。
お父さんつまらない!のだと言う。
何にも話さないんだよ!私が学校の話しても新聞とかみて全然興味ないし、挙句には自分の事だけはしゃべってさあ。ご飯一緒に食べててもなんにもいわないんだよ!私ばっかり!気使ってあげてんのにわかってないしさあ!
娘の気持ちがよくわかる。
しゃべらない、つまらない、と言葉にだけすると
なんだかワガママな発言みたいだから
私もこういうことで夫によく絡んだとき、すぐにケンカになってしまった。
しかし、考えてみれば友人関係においても重要なところだと思う。話したいことが話せる人と会話をすると、良い時間を過ごせたと満足する。この人と友達になりたいと思ったり興味がわいたり。 noteの記事内容もそんな視点から選ぶことも多い。
「つまらない」はやっぱり大きな問題なのだ。
夫はほとんど「会話」をしない。
話をふれば普通に応じるが、私と子どもたちが楽しく、また結構深い話で盛り上がっている時など、絶対にというくらい話に加わらない。3人の子どもの父親として日頃考えていることなど冗談まじりででもたまには語ってくれてもいいのでは?と、私はよく物足りなく思っていた。
夫はきっと会社での「報告」は完璧なのだ。
でも「会話」は「報告」とは違う。
そのことを子育て中に何度言い争ったことか。
私は夫に
あなたは優秀なロボットだ!と叫んだことがある。
いま、毎週楽しみにしている大河ドラマにも、
そんな「会話」の違いによってまひろが相手を見定めていく場面があるように感じる。
とても丁寧に描かれていて興味深いシーンがたくさんある。脚本家の大石静さんってすごい、と思う。
自分の考え方をどんなふうに受け止めてくれるのかを
「会話」の中に期待してしまうのだと思う。
自分が大事にされているかどうか
無意識に探ってしまうのかもしれない。
たかが会話。されど会話。
これはもうりっぱな「人間関係」なのだ。
でも真実はどうなんだろう。と考えてみる。
話したいことが話せたら相手は自分をよく理解してくれたということなんだろうか。
自分の満足する会話が出来た時が正解なんだろうか。
その答えはきっと
実はいくつも隠されていて、
自分の現時点の位置によっても
変わってくるんだろうな、と思う。
病気というものの
とらえかたが間違っていたのかもしれないと思った。
病気は変化、なんだ。
治ることがゴールとばかり思っていたのは
私が今まで体験してきた病気は
治ることがゴールだった病気ばかりだったんだ。
それはありがたいことだったんだ。
しかし、たとえ治った病気にしても
それは私の体にも心にも「変化」をもたらしていた筈だ。
私はそのことを今ようやく理解した。
リハビリの人は、
きっとこの人なら
「変化」を乗り越えられるだろうと思って
私にその勇気を授けてくれたんだと 思う。
病気を得、
自分が変わったことで
むしろ、どんな豊かさを得られるだろうかと
無理矢理考えてみる。
この機会を
へこむばかりにしたら
病気になった甲斐がないではないか。
お陽さまだよりさんのステキなイラストを使わせていただきました。ありがとうございました。