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子鉄の息子が20歳になった。「僕は電車も大好きだったけど、本当に好きなのは旅だったんだと思う」   後編

「駅を重複しなければ、初乗り運賃だけで行って帰ってこれるんだよ」時刻表に載っていたから本当だよ。今度お母さん行こうよといわれた。このルールをご存知だろうか。普通は、帰る時、通ってきた駅を戻ってきますよね。でもこの方法は全部違う駅を通りながら帰るのでぐるーっと大回りすることになるのだ。

息子は当時小学3年くらいだった。

息子の説明が何のことかよくわからなかった。
千葉県に唐揚げ蕎麦で有名なお蕎麦屋さんがあって、我が家の東京の駅から千葉の駅まで重複せず行けるから行きたい、しかも初乗りの130円で行って帰ってこれるというのだ。

130円で?半信半疑のまま、息子の言う通りにいってみようか、と思う。お金がかかることになっても大丈夫なように準備していけばいい。

あれ?乗車途中で息子に尋ねる。「もしかして外には出ないの?」「でないよ。改札でたら切符渡しちゃうでしょ」????ひたすら乗り続けるの?どういうこと?お蕎麦屋さんはどう行くの?固定観念が邪魔をして、息子の説明をきいても理解できなかった。

お蕎麦屋さんはホームにあった。改札は出ないで食べられたのだ。その時ようやく理解した。


帰りの改札でのことが、忘れられない。

最初に乗ったところの駅に帰りも降りてしまうと、駅を重複してしまうので、改札を出るのは隣駅だと言う。なるほどとおもった。

しかし初乗り運賃の金額の切符で何時間も乗ってきている訳だから、機械がこの人怪しいなと思うのだろう、改札が反応してしまった。

キンコン!バタン!

改札の扉が閉じてしまう。あ!やっぱりだめなんだ!私は慌てた。息子も慌てているに違いない。「お母さんお金持ってきてるから大丈夫だよ!」

「どうしました?」駅の人が出てくる。

私は緊張した。

しかし息子は少しも慌てていなかった。

「隣駅から乗って重複しないように電車に乗ってきました。」

「では説明してください」

え?説明?出来る?駅の人もしかして怒ってる?ドキドキしてくる。

「はい。」息子はおもむろに、背負ったままのリュックの口を後ろ手に開け、ぼろぼろの時刻表を取り出す。ふせんも貼っていないのに一発で路線図のページを開け、「説明します」といって指でたどりながら話し始めた。

完璧な説明だったようだ。「...わかりました。どうぞ」扉が開いた。

シーンとした空気にいたたまれず、息子の後ろから「すみません・・」と思わず言う。すると「お母さん!いいんだよ!あやまらなくて!悪いことしてないんだから!」

あのシーンは本当に忘れられない。時刻表を持っていたのかということもびっくりしたが、知らない大人にあんな強気でいうなんて。今思い出しても、ハラハラした気持ちがよみがえってくる。


この方法で息子は1人でもいろんなところへ行ったようだが、私とも何回か出かけた。

高崎駅の岩魚弁当を買いに行った時の事を思い出す。
午前中には売り切れると聞いて、電話で二つお取り置きしておいてもらった。

このときはすでに幼い次男と娘もいて、初乗り運賃二人分で4人乗った。
違反ではないのに後ろめたい気持ちがどうしてもぬぐえなかった。しかしもちろん大丈夫。
こんな乗り方があるんだなあ!知らなかったなあ!

だけど、忘れもしない。高崎経由の旅は家路につくまで9時間かかったのだ。
はあーこれにはさすがにまいったなあと
思ってしまった。


10歳の誕生日プレゼント。何がいい?ときいたら「お母さんと行く列車の旅がいい」なんていってくれて、本当にうれしかったが、これまたハードな旅であった。

夜行列車に乗って朝4時に着き、トロッコ列車にのるという。手記を残してくれていたので彼の計画を改めて確認するが、計画時間はかなりキツキツで、現地では乗り換えに走ったなあなんてことを思い出した。(手記といえば宮脇俊三氏の「最長片道切符の旅」が大好きだったようで、かなり影響されたようだ。)

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この、ウイークエンドパスだったと思うがすごいお得な切符だった。新幹線も乗れて子供は3000円で乗り放題。しかし大人はたしか18000円。「まさか小学生の子供が一人旅するとは思わなかったんだろうね」と息子は言っていたが、JRさん気づいてしまったか、息子が高学年の時に廃止になってしまい、残念がっていた。

でもあの4年生の一人旅以来、私はこの切符代を500円のお小遣いの他につけてあげようかと提案した。息子は喜んだ。一人で電車に乗って出かけることが増えた。

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昔の電車を探してあらゆるところへ乗りに行ったようだ。新潟行きは新幹線を使ったらしい。自家製のスタンプ帳を忘れずに、時刻表は当然いつも持ち歩いていた。時々買ってきてくれるお土産の中で、一番家族に人気があったのは峠の釜めしで有名なおぎのやで販売している力餅であった。



幼かった頃、彼は線路をつなげることに夢中になっていたが、それはそのうち「道」への興味につながっていく。おえかきは常に「道」ばかりをかいていた、そんな時期があった。

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模造紙に伸び伸びと書いたものをリビングの壁に貼った。次々更新した。ノートに迷路みたいなものを何冊も書いた。見ていて、気持ち悪いくらい書いた。

線路だけをつなげることに没頭したことや、駅を重複しないで行く旅に興味を持ったのは、すべて彼の頭の中にこうした一筆書きのような図柄が常にあったのかもしれないなと思う。

息子の絵は、いずれ高速道路の興味へと移行していく。高速道路の道と看板ばかりを際限なく写真に撮った時期があった。これまた私には理解しがたい行動であった。





彼は中学生になると、電車に乗らなくなった。もっと遠くに、早く行ける旅をするようになる。列車の時は、出来るだけ長く乗っていたいからと、わざと鈍行を選んでいたのに。

北海道の最北端にいってくると言う。飛行機運賃3000円で行けるというから驚いた。

京都行のバスが自宅の最寄り駅からでてるらしいんだよ!と夜行バスで出かけたこともある。

高校生の時にいつのまにかパスポートをとって、いろいろな外国にも行くようになった。勝手にアルバイトをしていたのだと、最近になってから聞いた。

いつもコンビニに行くかのような、軽装備ででかけるのだが、明日からタイにいってくるよ。などと急に言われるのが常であった。

安いチケットがオークションで、とれたんだ。一人で怖くないの?あっちで部屋をシェアする時もあるんだよ。え?知らない人と一緒なの?この間は面白い人だったよ


娘が言う。お兄ちゃんこんな人になると思わなかったよね。あんなに人が苦手で怖がりさんだったのにね。

よかったよね。と娘と笑う。





今度の誕生日に僕行きたいところがあるんだ。じゃあプレゼントは、また電車の旅にしようか。うん、計画するね!思い返せば、彼が12歳になるこの時の旅が私との列車2人旅の最後であった。

彼が選んだのは姥捨駅というところだった。

あはは。何という駅名!
私との最後の旅になったのは、後日振り返ってそう思った事だったが、まさに母離れの駅にピッタリなネーミングである。

しかし、どんなふうに行ったかまるで覚えていない。
ホームにおりたとたん、なんとなく普通のホームとは違うような感じがしたのは覚えている。

降りたのは息子と私だけだった。

息子はブラブラしている。
いつもなら次に乗る列車の事を考えて、時刻表を確認したりソワソワする息子がのんびりしている。

ああ、今日はここからどこかへ行くという訳ではないんだな。駅へ行くのが目的という息子の考えにもようやく慣れてきていた。

息子の誕生日は11月で、この日は13日。少し寒かった。お茶でもどうですか?と男性の声がした。え?「こちらでご用意しますよ」ホームなのにちょっとした土間?のようなところがあって、いい雰囲気である。へえ、この駅はこんな風にもてなしてくれる駅なの?戸惑っていると、「おかあさん、あっちにね」もう6年生だし私の手をひっぱるのもちょっとという感じで息子が私を呼ぶ。ちょっと素敵なベンチがおいてあるなあとおもった。

あれ?外側に向いている。

あれは棚田?11月だからちょっとわかりずらいけど確かに段々になっている。
棚田かあ!おかあさんねえ、これ見たかったんだと言おうと思った。すると…

「お母さん、棚田が見たいって言ってたよね?夜、月が全部の水に映りこむかはわからないけど、ぼくね、これをお母さんに見せたかったんだよ。」


そうだ、何かで読んだのだ。
水が張っている写真だったから春のものだろう、そこに文章がそえてあった。夜水面に月が映ってそれが棚田ごとに映るらしいという話。あの添えられていた文章は何か物語の一部を抜粋したものだったようにも思う。写真の棚田は美しく、面白い形だった。

棚田って、どこでみれるんだろう?

確かに私は息子とそんな話をしたことがあった。

あんなお母さんの一言を覚えてくれていたんだね。

そして「お母さんに見せたかったんだよ」この一言はいつまでも忘れられない。嬉しかったのはもちろんなのだが、それ以上に信じられないような気持ちだった。



あれは私がたぶん育児ノイローゼというものになっていたんだろうなあという頃

私は子育てにピリピリしていた。私と母のような関係にだけはなるまいと、温かい親子関係を夢見ていたのだ。育児書も読みすぎるくらい読んで、良いお母さんをめざしたが、いつも余裕がなかった。

どうしてお友達と遊ばないのだろう。どうして抱っこばかりいうのだろう。どうして夜泣きがひどいのだろう。どうして…息子の一挙手一投足が気になり、不安ばかり募らせた。私のせいではないだろうかと、悪い方向にばかり考え、なぜそうなるのかと、時に腹をたてた。情緒不安定であった。ああ、これでは母と同じではないか、と、泣いた。



彼が4歳半の時、双子が産まれ、いっきに弟と妹ができた。この2人がお兄ちゃんを助けに来てくれたのだと、後に私は思う。なぜなら双子の育児はなにもかも思うようにいかず、三人三様であることを目の当たりにみせてくれたからだ。同じ時に産まれ、同じものを食べ、同じ環境で同じ時間をすごす。
しかし、2人は歩き出した時期もしゃべりだした時期も違っていたし、それぞれに好きなもの嫌いなものがハッキリとしていた。
次男は少しも乗り物に興味をしめさず、長男が泣いて怖がった戦隊モノが大好きで、兄弟でもこうもちがうものかと思う。
娘は女の子らしいものはすべて拒絶。後に選んだランドセルは濃紺で空手をやりたがり、次男はお裁縫が大好きでマスコットを作ってみせてくれたり。

長男が「男の子らしくない」と悩んでいた私を笑い飛ばすかのように、双子たちは私が決めつけていた勝手な基準の壁を次々と壊してくれたのだ。

双子たちが身をもって教えてくれた。

お兄ちゃんは変じゃないよ!面白い子なんだよ!



なにをこだわっていたのだろう。

いいお母さんになりたくて、なれなくて、こんなお母さんでごめんねと何度も寝顔に泣いてあやまったが、子供たちはいつも「お母さん大好きだよ」と言ってくれるのだった。何度も何度も許してくれるのだった。


お母さんは僕たちのお母さんってだけでいいんだよ


子供たちが私を「お母さん」にしてくれたのだ。

ありがとう。ありがとう。



12歳の誕生日おめでとう。





「僕は電車も大好きだったけど、本当に好きなのは旅だったんだと思う」

お母さんに抱っこされて肩越しに見た「遠く」に、君はいつから憧れていたんだろう。どこまでもどこまでも続く道をひたすら描き続けたあの頃にはもう、君の頭の中には旅が始まっていたのかもしれないね。

そして君は気づいたんだ。これはどこまでも続く旅なんだと。終点のない旅、好奇心の旅なのだと。


君の道は続く。まだまだこれから。

遠くが、ずうっとむこうにみえるでしょう?


困難があっても、
君の未来は、君の望むものでありますように!


息子よ、これからも素敵な旅を!

最高の人生を!





やんさん、お世話になっております

やんさんの上記の企画に参加させていただいております。

やんさんの鉄道記事はどれも写真が多くてわかりやすく、行ったことがなくても、とても楽しめる作品ばかりです。もしかしたら皆さんの地元を走っている列車がでてくるかもしれません。鉄道旅の楽しさとやんさんのステキなお人柄が伝わる面白い記事満載です🥰🥰


また、最初の文章にはなかった、「最高の人生を!」という言葉は、追記させていただきました。

下記のもつにこみさんの作品を読ませていただき、感動し、息子にも最高という言葉を贈りたいと思いました。

もつにこみさん、素敵な作品をありがとうございます。


私のこの記事を読んでくださった皆様にとっての毎日にも、より多くの最高の日がありますように!









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