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「明日もまたここに来たい!」子どもたちと何度も叫んだ香川県と直島の旅③
①②と読んでくださいました皆様、ありがとうございました!コレからの方も是非下記より読んでいただけますと幸いです!
さあ!いよいよ直島へ!
瀬戸内海を渡ります!
12:40の船で出発しました!
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この日は天気予報で雨の予報もあり。
曇りの時間が多い1日でした。
途中パラパラと軽く降りましたが、結果的に雨はそれだけでとどまり大降りにはならず、どうにか持ち堪えてくれたので助かりました。
晴れた日の美しい瀬戸内海も見てみたかったので、その点では残念でした。
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直島は有名建築家の宝庫!
13:30に宮浦港に到着。
直島港ターミナルがすぐに見えます。
あ、これがSANAAの建築の!と思いました。
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海の駅「なおしま」は、船からおりてすぐの場所にあり、何か直島の情報を得たくてすぐに入りました。帰りのフェリーのチケットはここで買うんだねとかお土産やカフェの商品などを確認。
海の駅「なおしま」を設計したSANAAという建築家は妹島和世と西沢立衛による建築家ユニットです。
以前に、東京両国にある葛飾北斎美術館の建築が妹島和世さんの作品と知り、その流れからSANAAのことも知りました。
香川県高松市豊島にある豊島美術館も手掛けていらっしゃいます。
豊島美術館といえば、以前のnoteにて書かせていただいたことがあります。
豊島美術館も今回大変行ってみたい場所の一つで、できれば直島と一緒にめぐりたいところでした。しかし時間的にどちらかしか行けず、
どちらに行こうか…。と、散々悩みました。
みどころがより多くある直島の方が、子どもたちも楽しめるものがあるかもしれないと考え、直島を選択しました。しかも直島にも内藤礼氏の作品(きんざ)があることを知り、是非その作品もみてみたい!と思ったのです。(けれども、結果的にはそちらも回れませんでした。)
直島はとにかく時間がありませんでした。
私の計画の甘さです。
電動自転車を借りてまわるつもりでいたので、最初からすぐにその予定で動けたらよかったのですが、宮浦港に着いてすぐにパラパラと軽く降ったりやんだりの雨が自転車を借りるかバスを待つかの選択を迷わせました。
14時45分に地中美術館を予約していたので、その時間は厳守です。
もともとの予定が少なめの時間でしたし、初めて来た地で臨機応変に計画を操作出来ず、余裕を持って確実にまわろうとなると、思っていたよりかなり予定を変更せざるおえませんでした。
今回直島を訪れるにあたり、楽しみのひとつと考えていたのは、建築見学でした。
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しかし、天候のために予定を変更し、
ほとんど見ることができませんでした。涙
見たかった建築とあわせて、
直島にはどんな建築があるのか、ここにご紹介したいと思います。
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強化プラスチックでできた直径4mの半球を13個積み上げて出来た港の待合室。2016年竣工。トイレや駐輪場の機能もある(BRUTUS「建築を楽しむ教科書」より)ものすごいインパクトですね!雑誌の中では「入道雲のよう」と表現されていましたが、私はコレを見た時すぐに思ったのはカメの卵でした。内部は木造なのだそうですが、その木枠?らしき影が球体に浮かび、血管のようにもみえ、何かの生命体のようにもみえます。中に入ってみたかったなあ!
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三角形のステンレスネット約250枚を複雑に組み合わせてつくった半透明の雲のような作品。直島町の町制施行60周年を記念したもので、27の島から成る直島町の「28番目の島」をイメージしている。内部に入ることもできる。2015年竣工(BRUTUS「建築を楽しむ教科書」より)これは宮浦港のすぐ近くにあったため、少し遠くから見ることができました。
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「自然・建築・アートの共生」をコンセプトに美術館とホテルが一体となった施設として1992年に開館。絵画、彫刻、写真、インスタレーションなどの収蔵作品の展示に加え、アーティストたちがその場所のために制作したサイトスペシフィック・ワークが恒久設置されています。アーティストたちは自ら場所を選び、作品を制作しています。作品は展示スペースにとどまらず、管内のいたるところに設置され、施設をとりまく海岸線や林の中にも点在しています。直島の自然に向き合った、または建築に触発された作品など、美術館の内外に点在するサイトスペシフィック・ワークと合わせて、自然とアートと建築が融合する稀有な場をつくりだしています
この写真は「シーサイドギャラリー」にある作品です。ウォルター・デ・マリア「見えて/見えず知って/知れず」2000年(サイトより抜粋)ウォルター・デ・マリアの作品は地中美術館でみて子どもたちも大ファンに!「もう一か所外でみれるところがあるらしいよ(この展示のこと)」と話したら「えー!見たい見たい!」と言っていました。私も見たかった!
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「自然と人間との関係を考える場所」として、2004年に設立されました。瀬戸内の美しい景観を損なわないよう建物の大半が地下に埋設され、館内にはクロード・モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアの作品が恒久設置されています。地下でありながら自然光が降り注ぎ、一日を通して、また四季を通して作品や空間の表情が刻々と変わります。アーティストと建築家とが互いに構想をぶつけ合いながらつくり上げたこの美術館は、建物全体が巨大なサイトスペシフィック・ワークといえるでしょう(サイトより抜粋)今回ここだけ行くことが出来ました。地中美術館についてはまた後ほど・・・。この写真をみると「なるほどー地中だわ」と思いますが、実際に美術館に入る時はとくにわからないんだなと思いました。
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現在ヨーロッパを中心に活動している国際的評価の高いアーティスト李禹煥と建築家・安藤忠雄のコラボレーションによるに美術館です。半地下構造となる安藤忠雄設計の建物の中には李禹煥の70年代から現代に至るまでの絵画・彫刻が展示されており、安藤忠雄の建築と響き合い、空間に静謐さとダイナミズムを感じさせます。海と山に囲まれた谷間に、ひっそりと位置するこの美術館は、自然と建物と作品とが呼応しながら、モノにあふれる社会の中で我々の原点を見つめ、静かに思索する時間を与えてくれます。(サイトより抜粋)
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安藤忠雄の設計による打ち放しコンクリートの空間が、本村地区に残る築約100年の木造民家の中に新しい命を吹き込んでいます。過去と現在、木とコンクリート、光と闇、対立した要素が重なり合う、小さいながらも安藤忠雄の建築要素が凝縮された空間です。安藤忠雄の活動や直島の歴史を伝える写真、スケッチ、模型だけではなく新たに生まれ変わった建物と空間そのものをみることができます(サイトより抜粋)古い建築と新しいコンクリートとがあわさった建築というものをみてみたかったなあ!
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直島の地勢や特製をイメージした外観と、「環境のまち・直島」にふさわしい、太陽光・風・地下水などの自然エネルギーを積極的に活用した建造物となっています。施設はホールと集会場の2棟で構成され、以前の東部公民館・民生会館が担っていた地域住民の活動はもとより、スポーツ・レクリエーションや文化・芸能活動などの各種団体の活動拠点施設としての機能を、これまでと同様に確保しつつ、近年ニーズが高まっている地域の葬祭などにも活用できる施設となっている(サイトより抜粋)
家プロジェクトという試みも是非見てみたいとおもっていました。
家プロジェクトは直島・本村地区において展開するアートプロジェクトです。現在、「角屋」「南寺」「きんざ」「護王神社」「石橋」「碁会所」「はいしゃ」の7軒が公開されています。点在していた空き家などを改修し、人が住んでいた頃の時間と記憶を織り込みながら、空間そのものをアーティストが作品化しています。地域に点在する作品は、現在も生活が営まれている本村を散策しながら鑑賞することになります(サイトより抜粋)
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「角屋」は家プロジェクトの第1弾として完成しました。200年ほど前に建てられた家屋を、漆喰仕上げ、焼板、本瓦を使った元の姿に修復しました。 宮島達男の作品のうち「Sea of Time '98」では、直島町の人々が制作に参加しています。現代アートが地域や島民の生活に介在する契機にもなった作品です。(サイトより抜粋)こちらは建築家山本氏の遺作となりました。今回山本忠司氏は初めて知った建築家ですが、とても興味深い人物です。」
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「南寺」は、ジェームズ・タレルの作品のサイズにあわせ、安藤忠雄が設計を担当した新築の建物です。元来この近辺には5つの社寺と城址が集まっており、直島の歴史的、文化的な中心地になっています。「南寺」は、かつてここに実在していたお寺が人々の精神的な拠り所であったという記憶をとどめようとしています。(サイトより抜粋)タレルの作品が出来るまで等の経緯を香川県に行く前に読んでいましたが、その時はあまり興味をもてず、時間もないからいけないなあなどと思っていました。しかし地中美術館にてタレルの作品をみたらがぜん興味深々に!!この作品みたかったですー!!
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構想・基本設計:内藤礼 実施設計:木村優、永田直(アートステーション)
「きんざ」の建物は築200年超の小さな家屋でした。屋根や柱などの構造はそのままに伝統的な技術を使いつつも、家屋そのものが外壁も含め作品化されています。内藤礼が、すでにそこにあった時間と自然の関係性に、ほんの少し手を加えることによって新たな空間を創出しています。この作品は完全予約制で、おひとりずつ内部に入り作品をご鑑賞いただけます(サイトより抜粋)
一人ずつ鑑賞と聞いて、内藤さんらしい繊細な作品をイメージしました。ここだけでも行きたいと子どもたちに話していましたがかなわず。
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設計:杉本博司 設計協力:木村優、設楽敏生(アートステーション)
江戸時代から祀られている護王神社の改築にあわせ杉本博司が設計しました。石室と本殿とはガラスの階段で結ばれていて、地下と地上とが一つの世界を形成しています。本殿と拝殿は、伊勢神宮など初期の神社建築の様式を念頭に、さらに作家自身の美意識に基づくものとなっています(サイトより抜粋)すごい、杉本氏の設計というのに興味がわきました。静かな美しさをイメージ。素敵だろうなあ!
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空間デザイン:千住博、秋元雄史 修復監修:福武總一郎、本多忠勝
明治時代、製塩業で栄えていた石橋家の家屋は、2001年4月まで個人宅として使われていました。直島では古くから製塩業が人々の生活を支えており、直島の歴史や文化をとらえるという観点からも、家そのものの再建に重点がおかれました。千住博が着想から5年の歳月を費やして「場のもつ記憶」を空間ごと作品化しています(サイトより抜粋)
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空間デザイン:須田悦弘、秋元雄史 修復監修:本多忠勝
「碁会所」という名称は、昔、碁を打つ場所として島の人々が集まっていたことに由来します。建物全体を作品空間として須田悦弘が手がけ、内部には 速水御舟の「名樹散椿」から着想を得てつくられた作品「椿」が展示されています。庭には本物の五色椿が植えられており、室内の須田の椿と対比的な効果をつくりだしています。
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空間デザイン : 大竹伸朗 修復監修 : 秋元雄史、本多忠勝
かつて歯科医院兼住居であった建物を、大竹伸朗がまるごと作品化しています。家のあるところは彫刻的であり、または絵画的であり、あるいはさまざまなものがスクラップされているなど、多様なスタイルが盛り込まれています。作品タイトルの「舌上夢」という言葉は、何かを口にしている時、味や匂いなどの感覚からたどる夢の記憶のプロセスを表現しています(サイトより抜粋)
本などで確認するとこのほかにも直島にはおもしろそうな建築や場所があります。
まだまだ知らない場所も!
さらには2025年春に開館予定の直島新美術館というたてものが建設中のようです。
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ますます進化していく直島!
やはりしっかりと時間を確保してリベンジしなければ!と思いました。
お昼にヒラメ
最初の予定では本村地区まで行き、できればAさんがオススメしてくれた「オリーブはまち」が食べられるところでお昼をと考えていました。
しかし、予約時間のある地中美術館とは全く反対の場所に位置する本村地区に行くのは時間があぶないだろうか?と諦めます。
現地でもらったパンフレットでお店の時間を確認して14時までとか夜だけの店なども多いとわかりました。
「14時まであと15分だもん、今から行ったら迷惑になるよー」
「海の駅でなんか買って食べようかあ。」
「でも、直島に来たって感じのもの食べたかったね」
ん?ここはどう?15時までやってる!
ヒラメのお料理のお店が近くに見つけました!
子どもたちはヒラメを食べたことがありませんでしたが、ヒラメっておいしんだよ!ここにしようよ!と私。
お魚!直島らしい!いいね!
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私は南蛮漬けを注文しました。大きなヒラメが登場!そしておいしーい!南蛮漬け大好き!
骨もほとんどバリバリカリカリと食べることができて子どもたちからもちょうだーい!おいしーい!とたくさん食べられてしまいました。
皆でキレイに食しました!!
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このお店でもレンタル自転車をやってると知り、お店の裏に回って手続きをします。(このお店は民宿もやっていたようです。今度来た時はこちらにお世話になってみたいなあ!皆さんとても良い雰囲気の方たちばかりでした!)
直島は坂が多いから絶対電動をおすすめ!と何かで読んだ記憶があり、迷わず電動自転車に。
かっこいいデザインの自転車で、子どもたちも大変喜んでいました。
地中美術館へ
さあ。いよいよ地中美術館へいきます!
東京で直島の予定を考えた時、以前の私の記事でもかきましたが、現代美術に抵抗があったため、美術館はやめて「家プロジェクト」に行こうかなあと考えていました。
「家プロジェクト」の方が直島らしいかなー、直島に来たならではの体験になるかなあという思いがあったのです。
地中美術館のサイトをみると、建物は安藤忠雄氏です。作品のは撮影は禁止。
撮影禁止ってことはSNSで誰もが作品を発信できないってこと!
それって、きっとすごいものを見せてくれるってことかも?
なぜかそんな予感がしました。
予感は的中しました!
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この下記の本の中で地中美術館がどのような経緯で作られていったか詳しく書かれていました。
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地中美術館での作品についてはここで詳しく書くことは控えさせていただきますが、
とにかく
感動しました。
現代美術の作品でこんなに気持ちにドンときたのは初めてで、子どもたちとも驚き、興奮してしまいました。
「明日もまた来たい!ここにまた来たい!」
自分の心に訪れた、なにか大きな「感情」を
おさめることができないくらい!
それは癒しとか歓びとかではなく、
なにか明確な言葉が思いつかないのですが、
でも不安というようなものではないことはたしかで
確実に「希望」に満ち溢れていました。
不思議な体験でした。
地中美術館、また、本当にまた
行きたい!です!
香川県はどうしてこんなに「アート」を感じる県になったんだろう?
今回香川県(主に高松市)の建築をめぐり、同時に書籍などで知識を得、香川県(直島も含めて)がどうしてこんなにアート県になったのだろうかと考えました。その答えがなにかあったら知りたいと思いました。
すると「直島誕生」秋元雄史著の本にまさしく私の知りたいことがたくさん書かれていたのです。
80年代からのベネッセの関わりでいまのようなアート事業が展開してきたわけですが、9期連続36年間直島町長に在職していた三宅さんという方が当時その可能性を信じ、ベネッセとの契約にふみきり、直島を変えてきたのでした。
また、
この三宅さんという方の経歴も興味深いのです。
三宅さんは直島八幡神社の宮司の嫡男として生まれ、いろいろな思想に触れながら右翼の道に入っていきます。
ある時平沼騏一郎総理の暗殺に加わることになってしまうのですが、未遂に終わり三宅さんは逮捕。
その時の裁判官がのちの香川県知事となる金子正則さんだったのです。
すごいめぐりあわせですよね。
そして金子さんが裁判官として三宅さんに「なぜこういう犯罪に手を染めたのか」と尋ねると、「日本精神を守るためだ」と答えたというのでした。
そこから金子さんは「日本的とはなにか」ということを問いていきます。
そして建築家であり都市計画家のブルーノ・タウトの著作「日本美の新発見」にいきつくのです。
ブルーノ・タウトは第一次世界大戦後ナチスドイツの迫害をのがれ、亡命のようなかたちで来日しました。富士山をほめ、桂離宮や伊勢神宮を激賞、日本の美に関する著作を通じて日本文化を世界に紹介しました。
来日したタウトは日本では建築設計の機会に恵まれず、そんな自らの生活を「建築家の休日」と形容し高崎の少林山だるま寺に籠り、日本文化を紹介する著述に専念したり工芸の指導を行なったりも。
しかし当時タウトの滞日中の意味を否認するような批評も少なくなく、明らかにタウトに好意的であった人でもタウトを酷評したり「余りに日本に興味を持ち過ぎている」などと批判的である記事が発表されたりもしたのでした。
他方「明治維新以来、日本の伝統とは、実はB・タウトら外国人によって発見形成されたもの」とする見方も生まれ、タウト滞日当時の日本の建築界は西欧文明とおのれの伝統とに揺れ動いていたのでした。
秋元氏がこの本でこんなふうに語ってます。
この「日本的とは何か」という問いが地下水脈のように今の香川県や直島の文化芸術空間につながっていると、僕は思っている
50年代半ば、伝統論争と呼ばれる日本の伝統建築とモダニズムの関係を論じる議論が起きました。その議論の中心にいたのが丹下健三でした。その丹下健三が香川県庁舎と設計し、同じく高松市にある香川県立体育館も手掛けています。
丹下健三はタウトが東大で講演をした時に学生としてそれを聴いています。その後丹下氏は日本建築をリードする「世界の丹下」になり自分の仕事を生み出す人になっていったことを考えると、タウトの影響をも思わずにはいられません。
LIXIL eyeにこのような記事がありました
高松にはまた、芦原義信が設計した「香川県立図書館(現・香川国際交流会館)」、大江宏の「香川県文化会館」、浅田孝の「五色台山の家(現・五色台少年自然センター研修棟)」がある。半紙を県内に広げれば大江の「香川県立丸亀武道館(現・香川県立丸亀高等学校武道館)」大高正人の「坂出人工土地」などもある。これらの建設に共通して関係する人物が「建築知事」「デザイン知事」の異名をもつ金子正則と県の建築技師だった山本忠司だ。
建築や芸術的な考え方で県を盛り上げていこうと考えた人物が香川県の県知事だったというわけですね。
そしてこの山本忠司氏はまたとても不思議な経歴をもったかたで、1948年に香川県に入庁しているのですが、1952年のヘルシンキ・オリンピックに陸上三段跳びの日本代表選手として出場しているのでした。187㎝の長身だったとか。その後金子氏の指揮の下に始まった県庁舎計画に携わっていきます。建築界の最前線にいた丹下健三の仕事を学び、一方で風土への関心を高めていきました。1960年代から70年代にかけて香川は日本を代表する建築家の設計によって次々と公共施設がつくられていきました。
山本氏は担当職員として建築課を率いていったのです。
「明日もまたここに来たい!」子どもたちと何度も叫んだ香川県と直島の旅②にて、行きたかったけれど行けなかった「瀬戸内海歴史民俗資料館」はその山本氏の代表作でした。
石を丹念に積み上げた外壁は独特の美しさです。ここで使われた石はすべて工事中にこの敷地から出てきたものなのだそう。
石工事を担当したのは和泉正敏という人物で、イサム・ノグチのパートナーとして活躍した石工でした。イサム・ノグチに和泉氏を紹介したのも山本氏だったのだそうです。
余談となりますが、
この和泉氏の自邸もユニクロの「LIFE WEAR」にも紹介されていて、その石の建築がまたすばらしく、是非訪れてみたいと思い、事前に香川県の観光課に問い合わせましたが、個人宅のため見学は難しいとの返答をいただいておりました。
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「海賊の城」のイメージで設計されました。
この作品における山本氏の言葉があり、ここに記載させていただきます。
自然環境の中で建築という行為をするとき最も問題となることは、対立か調和かということであろうか。岩山を破壊することから始めたこの建築は明らかに自然破壊そのものであったが、丘の形にそって配置した建築の内部空間にもアップダウンが山の勾配にそってある。建築群で囲まれた内庭には自然のままの植生が残してある。それは囲まれた自然であり、建築の外側にも大きな自然が、こんどは建物を取巻いている。地中深く眠っていた石は、ダイナマイト爆破され、地球上の酸素を吸収し、新しい息吹きを得た。一つ一つ別な表情をもつ石たちは地上高く積上げられ、一つのマスとなって別な表情と生命を得た。なぜ石を積重ねるのかという疑問がある。それにはなぜ石を捨てるのかという疑問で答えることになる。この場合、外装のためタイルを貼ることと若干意味が異なってくる。
建築の外部に向かってもいくつかの石垣で構成した棚を作った。建築と同じ8m角であるこれらは、内から外に向かって展示されるスペースであり、内にある自然の空間もやっぱり展示スペースであるが、内のスペースと外のスペースとを合わせて一つのものとするという考えであり、それらの面積を合わせると建築面の約3倍はある。
そんなこんなでいろいろな情報を得て、興奮気味で香川県の建築やアートに関する経緯に夢中になっていきました。今回の旅で実際にそれらをみてみたいと思い、日程にたくさん入れていきました。
そして、今回「なぜ香川県がアート?」ということがいろいろわかったことは、大変有意義なことでした。
そして「日本的とは」という問いについて、
今留学中で(年末年始のみ帰国)西欧の暮らしを満喫している娘の意見に大いに興味をもち語らいました。
西欧文化にかなり傾倒していた彼女もまたこの旅で改めて「日本」を意識し、その良さに目覚めたといいます。
日本は、普段から自分をも含めて西欧のものに対して憧れが強く、それは「引け目」にまでおよぶほどのものを感じています。
しかし、日本独自の良さや素晴らしさをもっとアピールしても良いのではないか。もっと堂々と前面におしだしせるものを持っているのではないかと強く感じています。
「極端だけど、日本人はまたちょんまげと着物に戻るのもいいんじゃない?やっぱり日本人着物似合うよね!」なんて言ってみたり。
世界がどんどんつながっていく現代ですが、
なにもかもが溶けていくかのように似通っていくことは、なんだかつまらないな。なんて思うのです。
効率などを考えたら逆行でしかないけれど、効率を重視する場面ではその機能を利用できるようになってきたからこそ、効率が悪くても「おもしろい」を優先できるようなことがあってもいいなあ。
とことん非効率であっても、
だからこそ価値があるなんてものが見直されてくるといいなあ。
バタバタと忙しすぎる東京での暮らしを「ウンザリする」と評する娘。
フィンランドで暮らしてきた彼女は
気候は寒く暗いのだけど、人は皆あたたかくゆっくりとしている日常に驚き、感動していました。
勝手な意見を口々に言い合い、
子どもたちと思う存分おしゃべりするのもまたとても楽しい時間でした。
さて、そろそろフェリーに乗らないと帰りの新幹線に間に合いません。直島滞在はあっという間に終わってしまいました。
また同じ宮浦港からフェリーに乗り
今度は岡山県に。宇野港に向かいます。
そこから宇野みなと線に乗り岡山駅を目指します。
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今回香川で出会って、かなりのファンになったのは「おいり」というお菓子でした。
Aさんにもそんな話をしたところ「昔は結婚式の引き出物でしか見なかったけど、最近はお土産売り場にあるんだねえ」と。そうか、おいりってそういう意味だったんだ。
ガイドブックでみたのは「おいりソフト」というソフトクリーム。バニラのソフトクリームにカラフルな丸いものがたくさんついててかわいいー!と思いました。これに出会うのを楽しみにしていました!
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金比羅山に行こうと考えていた時は、階段の500段目あたりに位置する「神椿」という資生堂パーラーに行きたいと予定していました。
ここでの「おいりパフェ」がまたかわいいのです!
だけど、結局神椿も行かない事になり、おいりソフトも寒くて食べることも躊躇され、「おいり」だけをお土産に買いました。
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サクサクっと軽ーい歯触り!ほのかにニッキの香りが。かわいいしおいしいしいくらでも食べれてしまいます!
2泊3日の香川の旅はギッチリとした計画にて決行されました。それは私にとっては少し違和感を感じるような旅となりました。
というのも、私は何事においてもあまり計画をして行動をするタイプではなかったため、いつもどこか行き当たりばったりでした。そのことで良くも悪くも感じることがほとんどなかったためどちらが良いという感覚はありませんでしたが、今回計画する事で、より希望は叶えられたという手ごたえがありました。
それでも、見たいところが思った以上にあり、
とにかく時間がたりなくて残念でしたが、
見たいところがたくさんになったのも計画的な旅だったからかもしれません。
そしてまた「観光」だけではない旅行になったことも有意義な時間になりました。
日頃考えていることへの新たな問いを違う地で一つもらえたような、そんな旅になりました。
今回は
「世界はどういうところか」ということについて
新たに課題をもらったように感じています。
子どもたちも、この言葉に「本当にそういうことをすごく考えてみたくなった!すごくおもしろいテーマだと思う!」ととてもイキイキと反応していました。
私にとっても大変興味深い課題です。
20歳になる双子の息子と娘との旅でした。
「また明日もここに来たいなあ!」と今回の旅で私たちは何度叫んだことでしょう!
うどんを食べながら
瀬戸内海を渡りながら
芸術を鑑賞しながら
そして眠りにつく時
様々な場面で私たちは
「また明日もここに来たいなあ!」と言い合い笑いました。
そして娘は
そうだよ。またこようよ、絶対。今度は直島に泊まって、他の島も渡ってじっくりいろいろみてみたい。と言いました。
うん、いいねいいね!
そしたら僕はまた車を運転するよ。
ありがとう!
お母さんね、なんだかつくづく思ったんだけど、自分が産んだ人たちに助けられて、支えられて、
こんなに喜びをもらえるなんて、すごく不思議な気持ち!
楽しかったなあ!
そんなことを思わず言ってしまいました。
私も僕も楽しかった!
皆で笑いました。
久々の旅でした。
感動を得た旅でした。
この感動は、
私たちのこれからの日常の感動に
きっとつながっていくのだと思っています。
長い長い手記、お読みいただきありがとうございました。