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「のさばる」と「飯テロ」

ある日娘と話していたら、わたしが使ったことばについてびっくりしたように聞いてきた。

「のさばるって何?」

そうか、のさばる、使わない?知らない?

改めて調べてみた。

●ほしいままに伸び広がる。
●わがもの顔で振る舞う。勢力を振るう。

「コトばんく」より

「雑草がのさばる」とか
「ヤクザがのさばる」とか使う
(漢字がすごい。こんな字見たことがない!)

こんなふうに説明しても娘はピンとこないような顔をしている。
のさばるってたしかに
お母さんもほとんど使わないけどね。



いつも思うんだけど、

こういう語彙に出会う時って、
普通はみんな本の中なんだろうか。
本をたくさん読む人は
言葉をもっとたくさん知っているんだろうなあ。

でも、語彙を増やすには、
本しかないんだろうか。


ことばって、どこで出会うんだろう?



あ!そうそう!
〇〇ちゃん(娘)たちが使っていたことばで、お母さんが最近驚いたのは「飯テロ」だよ。
聞いたことなくてびっくりしたよ。
どういうふうに使うんだっけ。

「お腹すいてる時にYouTubeとかでジュージューやいてるステーキの動画なんかをみて使うんだよ。わー飯テロだーとか。お腹すいてるときこんなのみせるなよーみたいな。」

あはは
そうか、なるほどー。

調べてみたら、「飯テロ」、はやりだしたのはもうずいぶんまえみたいだった。

わたしがこの言葉を知らないと驚いた時、
娘や息子は「え?なんでー?」な顔で驚くから
いつのまにそんな共通語できたの?って更に驚いたが、
「飯テロ」は、わたしの生活の中ではかすりもしなかったなあとしみじみ思う。

本で出会うってタイプのことばでもないよね?


生きてる場所が違うってことかあ。

例えば極端な話、専門用語なんかは、全然世界が違うとそれこそ一生出会わないことばもある。

それくらい、
娘とわたしはいつのまにか
違うところに生きているのかもしれない。

そして誰もが知っていることばかりじゃない世界があるって面白いなとおもう。

果てしない「ことば」の世界。

ことばはいきものとよくいうけれど、
時代とともにうまれて
すぐ消えるものもたくさんあるんだろうな。

娘は
「外国語を勉強していると、日本語では言い表せないようなことばに出会うことがある」と言う。
そして、「日本語って本当に独特!あらたに学んだら本当に大変なんじゃないかなあ。そのことばが母国語で良かったよー」なんて言って笑う。


娘がたくさんの外国語を喋れるようになりたいとがんばる姿をみていると、AIがあるではないかという考えが頭をよぎる。

娘だってそんなことわかっているだろう。
だけど、毎日毎日大変な思いをしながらたくさんの言語を習得している。
同時にその国のあらゆることに興味をもち、現地でその国の人と話したいからとバイトで稼いだお金をためている。宿は安いからだけでなく交流ができるからとドミトリーを選ぶ。

彼女の生活はまさに
ことばが縁をとりもっているようにみえる。

そして不思議なのは
コミュニケーションとしてはもちろん通じあいたいのだが、彼女のもともとの興味は、言語の差異なのである。
キリル文字とか、英語のアルファベットとはまた違う世界であったり、音の違いであるところが好奇心を掻き立てるらしい。

そうだ。ことばとは
正解を生み出す価値だけではないのだ。
彼女の行動が
ことばには「美しさ」とか「面白さ」があるのだと
思いださせてくれる。

AIの出現によりますます
「便利さの価値」に重きがおかれるなかで、
ことばという存在の意味を改めて考えさせられている。


※etsujixさんの美味しそうでステキな写真を使わせていただきました!ありがとうございます!










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