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河合隼雄氏の言葉から知った物語。映画「戦場のメリークリスマス」原作「影の獄にて」を読んで

先日河合隼雄氏のことを書かせていただいた。

その時読んだ資料に記載されていた本、
ロレンス・ヴァン・デル・ポストの「A Bar of Shadow」のことが忘れられなかった。

河合隼雄氏は1962年から1965年に留学したスイスのユング研究所にて、分析家の1人C・ A・マイヤー氏から勧められてこの原書を読まれている。

「読み出したらやめられなくなってしまった。電車に乗っているあいだも読んでいて、涙が出てきて困りました。」

どんな内容なんだろうか。

この「A Bar of Shadow」は1954年に本国で刊行されたもので、その後日本でも「影の獄にて」という邦題で発売された。それが1978年で、映画監督の大島渚氏がこれを読み、すぐに映画化を考える。
そして「戦場のメリークリスマス」は1983年5月28日に日本全国で公開された。

この年月日をみると、私は14歳だった時である。
姉の影響で洋楽をよく聴いていた頃なのでデヴィッド・ボウイも知っていたし坂本龍一氏のあの美しい音楽もかっこいいなあと強く感動した。

当時流れていたテレビのコマーシャルの大写しになったたけしの顔もいまだにハッキリと思い出せる。


「メリークリスマス!ミスターローレンス!」



今回アマプラにて早速視聴し、
その後日本語訳の原作を読む。

あの、たけしの満面の笑顔の意味がわかった。

「メリークリスマス!ミスターローレンス!」

私も、
やはり涙が出て、
とまらなくなる。

それからずっと
この物語のことを考え続けているのだ。

なぜだろう。
考えることがとまらなくなってしまった。


狂気
種をまく
死生感

そんなキーワードを思いながら、
グルグルととりとめもなく
あちこちに思いが飛ぶ。
自分の考えがうまくまとめられずにいる。

その物語は
旧友ロレンスが5年ぶりのクリスマスに「わたし」のもとへ訪ねてくるということからはじまる。
1942年ジャワの日本軍俘虜収容所にて繰り返されてきた耐え難い残酷な日々を共に切り抜けてきた2人はあの社会とは隔絶された空間の中で膨らんでいく狂気がなんだったのだろうかと確認しあうように語り出す。
それは主にハラという日本軍の軍曹の冷厳きわまりない振る舞いについての思い出話がベースとなる。ハラという人間が行ってきた数々の残酷な殴打や殺人は、日本人の心の奥底にふかくひそむ日本の神々のなせる技なのだとロレンスは言う。

「わたし」はこのロレンスという男が
ハラ軍曹の手にかかってハラのために殺された人をのぞけばもっともひどいめにあった男であろうと思っているのだが、ある日獄内でものすごくぶたれた後に彼が言った言葉から、ハラに対しての恨みや怒りが無いことを知る。それどころか「あの男には、なんとなく好きになれる、尊敬したくなるなにかがあるな」とまで言うロレンスのそのあまりに異端な考えに「わたし」は共感できずにいた。

ロレンスは歩けなくなるほどの殴打を浴び、ある時は死刑を宣告され、ハラ軍曹により常にギリギリな精神状態に追い込まれてきたはずである。
しかし彼は「きみは収容所に捕えられた恥ずべき身として、なぜ自決をしないのか」と問うような相手に復讐心を抱くどころか理解したいと思うような人であった。

それはやはりハラにも感じるところがあったのだろう。
後にハラは戦犯審理所の法廷にたたされ締首刑の宣告を受けるのだが、その執行が行われる前日にロレンスに会いにきて欲しいと伝言をよこすのだった。

そこで交わされる2人の会話を
私は今もずっと、考えてしまう。


物語の舞台は戦場だったので
戦争の狂気がテーマのようにも思えたが、
そうではなかった。
現代の日常にもあてはめることができる。

学校や職場で。
子育ての場で。
介護の場で。

いや、もっと日常のたわいもない一場面にも。
その狂気は
簡単に発生しはびこっている。


自分の正しさを守るために
他人の気持ちや尊厳をないがしろにしてもかまわないという気持ちはどんなことから正当化してしまうのだろう。

他人を痛めつけることさえ
それを「教育」と呼び、
その「教育」があってこそ「成長」があるのだと教わったのはいつの日か。
かつて当たり前のように体罰があった。

ハラも言うのだ。
「(前略)しかし、要するに戦争だったのです。わたしはあなたを罰したし、あなたの部下たちを殺しました。しかし、あなたが日本人で、わたしと同じ地位と責任をゆだねられ、おなじ行動のしかたをする場合、たぶんあなたも、この程度に罰したり殺したりしたはずで、程度を超えていたとは考えません。わたしは実際、あなたにたいしては、わたしの同国人よりも親切にしたつもりです。また、あなたがたイギリス人たちにたいしてはみな、他の多くの人たちにたいするよりも、親切にしてきたつもりです。信じなさろうとなさるまいと、わたしは軍紀や上官の要求よりも、はるかに寛大にしていたのです。もしわたしが、あのくらい厳格に苛酷にしなかったら、あなた方は精神が崩壊して、死んでいたことでしょう。なぜなら、あなた方の考え方は実にまちがっていたし、あなた方の恥もまた実に大きなものでしたから。わたしがいなかったら、ヒックスリ=エリスも彼の部下たちもみな絶望のあまり、あの島で死んでしまっていたでしょう。(中略)わたしはただ、捕虜をたたいてでも生かせ、たたくことで、もっと努力させることしかできなかったのです。それなのに、わたしは今そのために殺されようとしています。わたしのどこがまちがっていたのか、わたしにはわかりません。わかるのは、われわれはみんなが等しくまちがっていたという点だけです。もしもわたしが、他にまちがいを冒しているのでしたら、どうして、またなぜかを教えて下さい。そうすればわたしは欣然と死ねるでしょう」

わたしはこのハラの言葉を今も考える。

自分に都合のいいように「善意」と化しているだけで、なんて傲慢な考えかたなのだと
それが多くの考え方ではあると思う。

だけど、これはわたしの人間にも確実にある。

ハラはとんでもないことを言っているのかもしれないが、こう思えばこれが真実なのだ。

なぜ人間はそんなふうになってしまうのだろう。
それはその人が受けてきた「教育」から
それが一番正しいと
学んでしまうからだろうか。

なぜそんなことを考えるのかというと、
親や教師からの体罰が当たり前だった世の中に子供時代だった私は、
それを受けた身として考えた時
たしかに
痛めつけられたことでしか「わからない」ことがあったようにも思い、あの「厳しさ」を乗り越えて今があることが真実なのか、
そう思い込ませられているだけなのか
正直わからないと思うからなのだ。

でも、だからといって
たとえ「悪気がなかった」としても
相手の心身を痛めつけてよいなんて理由はないはずだ。私はそう信じて母のような子育てはしまいと固く心に誓い葛藤してきた。
だけど母もまた
自分が信じてきた愛をつらぬき
迷いながらも
自分の思う正しさを選んでいたはずなのだ。

それを選択した当時の状況や
本人の精神状態や価値観に基づき、
その正しさしか選べなかったというだけなのだ。

だけど人間関係においては
相手の気持ちがある訳で
正しさとは
相互の認識によって結論づけられる。

ハラ軍曹は
彼の深い必然の感覚から信じていたものに対して
ただ忠実であっただけであり、
彼の思う「正しさ」に立って悪事を重ねていたのだ。

そして
あんなに虐待を重ねて痛めつけてきた相手にそれを問うのである。



今、私が信じていることは
はたして正しいといえるのだろうか。
だれかを踏みにじる行為になってはいないだろうか

私はいったい
誰のために生きているのか 

河合隼雄氏がこの物語を読んでの感想をこんなふうに記している。
「あまりに感動したので(留学先のスイスから)帰国してから書いた『影の現象学』のなかで、この本を取り上げて論じています。(中略)あの本はぼくにとっても日本人のシャドー(影)を考えるためにすごく役に立ちましたね」

早速、この氏の書籍を読んでみたいと思う。





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