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東京23区に73か所!すべての富士塚をめぐる挑戦 [14]砂町富士(富賀岡八幡宮)[15]深川八幡富士(富岡八幡宮)[16]亀戸富士(亀戸浅間神社) その2

今回はその1の砂町富士に続きまして、同じ江東区にある
富岡八幡宮へお邪魔いたしました。

最寄駅は東京メトロ東西線、都営地下鉄大江戸線の「門前仲町駅」です。「深川の八幡様」と親しまれて、江戸時代に築造された深川八幡富士という富士塚があったようですが、いまは富士塚自体は東京大空襲の時、焼失されてしまったのだそうです。

寛永4年(1627)「永代嶋八幡宮」と呼ばれていた

富岡八幡宮の祭礼は江戸三代祭の一つに数えられています。実はこの街近くの「木場」という街が母の育った街で、現在も母の兄である叔父一家が住んでいるのですが、この祭礼の本祭の時に誘ってもらい、我が家の子どもたちがまだ幼かった頃、参加させてもらったことがあります。

この祭礼は「水かけ祭」とも言われ、沿道の観衆から担ぎ手に清めの水が浴びせられ、担ぎ手と観衆が一体となって盛り上がります。

長男がたしか小学低学年の時に参加しました。
次々水をかけられ、息が出来ないくらいの迫力にわたしもびっくりしました。
本人も目を白黒させていたのが思い出されます。

すごい迫力ですね!この写真は境内にある「資料館」にて
撮影させていただきました。

また、この写真にもびっくりしました

こちらも「資料館」の写真から

富岡八幡宮には元禄時代に紀伊国屋文左衛門が奉納した三基の宮神輿がありましたが、関東大震災で惜しくも焼失してしまいました。

平成3年に佐川急便社の佐川清氏より一の宮神輿が奉納され、上の写真がその時の神輿納受式の様子なのだそうです。すごい人ですね!
台輪五尺(1.5m)高さは4mを超え、重さは担ぎ棒含めて4・5トン。狛犬や鳳凰の目にダイヤモンドを配した日本一の大きさと豪華さです。
(平成9年には二の宮神輿が制作されました。)

狛犬のダイヤモンドの目
境内にお神輿が展示されています。



さて、境内は下図のようになっており、いろいろ興味深い歴史のあるものも多く、富士塚のこととともにご一緒に巡っていただけたらと思います。


最初に。
このnoteで、画像下などに『「資料館」の写真から』などと書いております。これは境内にある「資料館」のことなのですが、ご説明いたします。

図の左側に「資料館」というところがあります。(ピンク色)
ここは予約制ということを当日知りまして、また当日の予約は出来ないとのことでしたので、電話で後日予約後入館させていただきました。

ここにある記載からは富士塚の資料は無いと思われ、最初は日を改めてまで行かなくてもいいかなあと考えておりましたが、気が変わってお邪魔しましたところ、とても興味深いものがいろいろあり、行ってよかったなあ!と思いました。

というわけで、この「資料館」で見させていただきましたものも随所でご紹介しつつ今回の富士塚のnoteを進めさせていただきます。



まずは境内の富士塚に関する場所に行ってみようと思いましたところ、ちょうど富岡八幡宮の裏手から入ったため、いきなりそれらしき建造物が立ち並んでいるのを目にし、興奮いたしました!

上の案内図では左上端に青い四角が三つかいてあるところがそこになります。おわかりになりますでしょうか。正面鳥居から入れば、境内奥にひっそりと神様をお祀りした場所、となります。

3つの建物のうち、ひとつの扁額に「冨士浅間神社」の文字が!

富士塚自体は無いと期待せずお邪魔しましたが
祠と立派な石碑があり、思っていたより「富士塚の跡」がしっかりあったので嬉しくなりました。

↓この祠なんて、小さな富士塚のようにみえます。
いや、これが富士塚と言われてもいいくらい!

絶妙な位置に石が配置されています。
これはやっぱり烏帽子かなあ

境内の「資料館」にて、
「富士塚」の資料は無いと言われたのですが、富岡八幡宮に富士塚があったであろう浮世絵が何点かありました。
これは面白い!と思いました。

ご紹介させていただきたいのですが、
そのまえに、江戸時代この富岡八幡宮(永代嶋八幡宮)がどういうところにあったかということをお伝えしたいと思います。

この図だけだとですね、富岡八幡宮は島にあったの?って思うんですが、

この今回の江東区の富士塚巡りで最後に訪れた亀戸富士に行きました時に、「江東区中川船番所資料館」というところもよりまして、(その3でまた詳しくお伝えいたしますね!)そこで江東区という土地がどんなふうに変わっていったかデジタル版で見せてくれるコーナーがあり、すごーくわかりやすかったのです。
それを少しここでもご紹介しますね!

延宝(1673年~81)頃黄色いまるでかこんだ鳥居が富岡八幡宮です
寛政(1789年〜1801年)頃
現在の東陽あたりも埋め立てが進み、土地ができる
昭和10年(1935年)
関東大震災の区画整理ではほぼ現在の町割りになる。
荒川放水路が完成。鉄筋コンクリートの建物急増
昭和20年(1945年)代
昭和22年江東区が誕生。
夢の島・有明・辰巳あたりが埋め立て中
昭和50年(1975年)代
工場地域から住宅地域へ変貌
指名を終えた運河は親水公園として生まれかわる
現在の江東区
海に向かって埋め立てが進み、面積は江戸時代の約4倍に。

江東区はこんなに大きくなったのですね!そして富岡八幡宮はずっと場所は変わってないのですが、陸の方が変わって、島じゃなくなり今にいたるということがわかっていただけたでしょうか。

さて、そういう知識をもちながら「資料館」にてみつけた浮世絵をみるとまた面白いんです。江戸時代にはこんな風景の中に富岡八幡宮があったんだなあってことがわかったり、また、富士塚らしきものや本当の富士塚!が描かれているんですよー!これは興味深いなあー!とワクワクしました。

鳥居が水に囲まれていますね
黄色いまるでかこんだところは
富士塚のようにみえるのですが・・・
江東区には現在牡丹という地名があります
向こうに富士塚っぽいものがみえる・・
この絵はまさに富岡八幡宮の富士塚だそうです。
高さ10mとのこと。頂上からは富士山がみえたそうです。
手前にいる女の人がもっているのは
「大蛇守り」というのだそうで
今も7月1日のお山開きには授与されているそうです。


富岡八幡宮の富士塚が東京大空襲で焼失してしまったのは本当に残念です。

この東京大空襲では、
わたしの母のお母さん(会ったことがないので、いつもついこういういいかたになります。祖母のことです)が亡くなり、母の兄弟も大やけどを負ったりした話を子供の頃よく聞かされました。その悲しく悲惨な内容にこどもながらにもショックをうけたことを覚えています。母はその時9歳くらいで、新潟に疎開していたため戦火にはまきこまれなかったのですが、終戦後東京に帰ってきたらお母さんはどこかで亡くなったと聞かされ、それっきり。ひどい話です…

「資料館」にはこのような絵も展示されていました。
東京大空襲の時の様子です。
母がよく話していた「焼け野原」というのはこういう事なんだなと思いながらみました。

もうなにもかも焼かれ、ずーっと遠くまでみえたそうです。


artoday-chiakiさんのnoteで、興味深い記事をよませていただきました。ご紹介させていただきたいと思います。



富岡八幡宮の境内にこのような場所がありました。
この鳥居は昭和12年に建立されたものだそうですが、昭和20年3月10日の東京大空襲の被災により鳥居の上部が欠落してしまったそうです。
この大空襲の時富岡八幡宮は大部分が焼失したのだそうです。

合末社鳥居
このようなお地蔵様も偶然町でみつけ、手をあわせました



富岡八幡宮には伊能忠敬の銅像があり、資料館にはたくさんの資料が展示されています。

伊能忠敬さんの好奇心と行動力にトキメキます!

伊能忠敬は50歳の時江戸に出て、富岡八幡宮近くの黒江町(現在の門前仲町一丁目)に住まわれていたそうです。完成12年4月19日(陽暦では1800年6月11日)の早朝に富岡八幡宮にて参拝後北海道測量の旅に出かけました。測量に出かけるたびに富岡八幡宮にて無事を祈念されたとのこと。
なぜ富岡八幡宮と伊能忠敬?と思いましたが、
こんな縁があったのですね。

この銅像は伊能測量開始200年にあたり、「伊能ウォーク」、地図・測量、土地家屋調査士、伊能忠敬研究会などの関係者が中心となって、広く一般から浄財を公募して建立されました。(説明板より)
右手には彎窠羅針(わんからしん)を携えています。



資料館には伊能忠敬に関する興味深い記事や測量方法などあらゆる興味深いものが展示されていました。

伊能忠敬住居跡もあると知り、こちらも行ってみました。
このような石碑が一つあるだけでしたが見つけた時は嬉しかったです。

東京都江東区門前仲町1丁目18



さて、富岡八幡宮境内には興味深いものがほかにもありました。

富岡八幡宮は貞享元年(1684)に初めて寺社奉行の許しを得て勧進相撲が行われた江戸勧進相撲(今日の大相撲の前身であり、今日の制度がここで確立された)発祥の神社です。境内には第12代横綱陣幕久五郎が明治33年(1900)に建立した横綱力士碑があり、横綱の昇進時には刻名の儀並びに土俵入りが奉納されています。このほかにも大関力士碑、超五十連勝力士碑、巨人力士身長碑など大相撲ゆかりの石碑が多数あります。

富岡八幡宮御由緒パンフレットより
歴史を感じさせる石碑です

資料館にはこんな絵も。
石碑の前で相撲が行われています。


お相撲さんの浮世絵というのもいいなあ!とうっとり。
まわしの柄もいろいろあって面白い


富岡八幡宮の鳥居の前の通りは永代通りといいます。
ここでは毎月1日、15日、28日に「深川縁日」が開かれます。
たこ焼き、あんず飴、わた飴、カルメ焼き、衣料品、鉢植えなどのお店が軒をならべ、一年を通して夏祭りのような賑わいを感じることが出来ます。

ここをまっすぐいけば永代橋があるということで見に行ってみました。

これが現代の永代橋です

さてその永代橋の浮世絵が資料館にはいくつかあったので、現代との違いを見比べました。

いろんな人が通っています。にぎわっていますね。
深川、汐干狩りという文字が。
採る人、売る人色々いますね。
あ!これがまさに深川めしのはじまり?でしょうか!
上でご紹介した永代橋と橋が少し違うような?と思いましたが、
歩いている人が洋服のようなものを着ている人がいます。
時代が変わって、あたらしく作り直した橋でしょうか
永代橋の絵はいろんな構図で描かれたのですね


このあたりのことや富士塚のことがわかるかもしれないと思い、「深川江戸資料館」をめざしました。歩いて行ってみようと出発しましたが、毎度のことながら道に迷ったりで、なかなかたどりつかず、かなりの距離を歩きました。でもここでは知りたいことはあまり集められずちょっとがっかり。

でもこの資料館にはたくさんの人が来ていて、にぎわっていました。
外国の人も多く、活気のある資料館でした。

そして驚いたのは、この資料館がある街がとても素敵なお店が多く、若い人がたくさんいたことでした
清澄白河という街です。

昔の家の建築はそのままに中をリノベーションして素敵なお店にしているところが多い印象をうけました。
建物もかわいいのです
小さなかわいい建物が並んでいます。
ここはすごくはやっていて行列だったクレープ屋さん。
いいなあ!食べてみたい!
この建物も建築自体は古そうなのですが、
そこに新しく塗装したのでしょうか。
なんともいえず味のあるすてきなたたずまいなのです。

あとで知りましたが、清澄白河という街はカフェの街として若い方に人気があるところなのだそうですね。
それにこの上の写真の建物は清洲寮という、昭和8年に建てられた集合住宅で、すごい人気なのですねー!なかなか空きがでないとか!知りませんでした。
今度また改めて娘や友人とこの街に行ってみたいです!


行く道途中で何件か「伊勢屋」さんがあり、どこもたくさんのお客さんが並んで買っていました。私もお団子をお土産に買って帰ることにしました。

「みたらし」じゃなくて、「焼き団子」という名前でした。
出来立てのあつあつをたっぷりのタレにくぐらせてくれました!
すごくおいしかった!
深川といえば深川めし!と思い、おにぎりを買いました。
「たきこみとまぜごはんどちらにしますか?」と聞かれ、
どうちがうんですか?と聞いたら、
まぜごはんはあさりの甘い佃煮をまぜるのだとか。アサリの佃煮も大好きなので迷いましたが、炊き込みご飯にしました。

江戸時代、現代の江東区永代、佐賀あがりの南方は深川浦と呼ばれ、潮が引けば砂が露出する砂州が広がっており、ここを漁場として幕府から漁業を認められていたのが深川の漁師でした。江戸時代の名産を記した『続江戸砂子』には、深川名産としてハマグリ、カキ、貝柱(アオヤギ)とあるように、多くの貝類がとれていたことがうかがえます。深川の漁師たちが仕事の合間に食べる賄いめしであった「ぶっかけめし」が現在の深川めしのルーツとされています。当時は、船上で海水を真水で薄めて沸かし、それにあさり、長ネギ、豆腐を煮た澄まし汁を冷や飯にかけて食べたという話や塩ゆでしたバカ貝(アオヤギ)をご飯にのせて食べていたと言われています。その後「ぶっかけめし」は、味噌やしょうゆ仕立ての現在のぶっかけタイプに近いものが登場するようになりました。屋台や一膳飯屋でも出される手軽で簡単な食事ですから、今のファーストフードのようなものだったと考えられます。(中略)アサリには肝機能を高め代謝を促進するタウリンやビタミンB12がたっぷりと含まれています。(後略)

深川めし食べ歩きマップより



川沿いに河津桜が見ごろをむかえていました。
濃いめのピンク色がかわいい~。

帰りの電車の駅でこんなポスターをみつけました

あ。3月いっぱいまでですね。
もう1年ぐらいやっていたものだったんですね。


伊能忠敬にちなんだこんなイベントがあったんですね!
人気がありそうだなあ!ランもあるのかあ。

富士塚巡りをしながら、街の散策あり、歴史あり、つまみ食いありと、毎回盛りだくさんになってまいりましたが、知識欲も増すばかり!毎回面白い事に出会えて幸せです!

さて、今日は約27000歩歩きましたー。
ふえー。ヘトヘトです。

その3では亀戸富士がある亀戸浅間神社にお邪魔します
引き続きよろしくお願いいたします。


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