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天敵彼女 (70)
「峻、準備出来たか?」
「うん、大丈夫」
俺は、マムシ対策グッズをフル装備した状態で庭に出た。
さっきから奏の視線が痛い。安全の為なら仕方がないと自分に何度も言い聞かせたが、どうにもメンタルの削られ具合がやばかった。
「す、すごい格好だね」
「ま、まあ、安全の為だから(遠い目)」
「そ、そう、気を付けてね」
「ありがとう。奏もね」
「うん、またね」
奏の表情は硬かった。こみ上げる笑いを必死でこらえているようだ。
さすがに、ウルトラレアな古民家好きJKでも、この姿はキャパオーバーなのだろう。
ちなみに、今春のトレンドは、ひざ下を守る厚手の登山用スパッツと犬猫用のペットグローブだ。
元々は、登山用のブーツに長袖長ズボン、ヘルメットと厚手の作業用手袋が庭仕事の定番スタイルだったのだが、奏が来ることが決まった時点で、父さんの中でヤバいスイッチが入ってしまったんだろう。
何事も徹底的に準備をしなければ気が済まない完璧主義な性格に、人様の娘を預かった謎の責任感が相まって、防御範囲が大幅に広がったのがこの悲劇の元凶だ。
俺は、こんなものが何の役に立つのか良く分からないが、仕事人モードになった父さんに意見する気になれず、ただ従うことにした。
「どうだ? これいいだろう? これでマムシが出ても安心だ」
「う、うん……」
俺は、せめてもの抵抗に微妙な空気感を出したが、あまり意味はなかったようだ。
父さんは、肘から先が隠れる革製グローブと、ゲイターとも呼ばれる登山用スパッツを指差し、嬉しそうに微笑んだ。
出来れば、こういう親子コーデは勘弁して欲しい。
「じゃあ、父さんはこっち側を刈っていくから、峻は反対側を頼む」
「分かった」
俺は、草刈り機を持ち、父さんとは反対側に歩き出した。
縁側のガラスサッシに映る姿は、まるで防犯訓練で警察犬から逃げる犯人役のようだった。
ちなみに、うちが使っている草刈り機は、シャフトの先に回転鋸がついているタイプだ。
父さん肝いりのペットグローブのせいでやたらと作業しにくいが、俺は気にしない事にした。
こんな格好、地元民に見られたら大爆笑必至だろう。本当に過疎ってて良かった。
俺は、ため息をつくと、シャツの襟口にひっかけていた安全メガネをかけた。
それから、俺と父さんはひたすら雑草を刈り、奏は家の中を掃除した。
父さん曰く、マムシは茂みを好むので、庭が雑草ボーボーではまずいらしい。
だとしたら、奏や縁さんが安心して庭に出られるようにする為にも、この作業は大切だ。
例え、どんなに変な格好でも、他人に見られた時の羞恥レベルがMaxでも、とにかくやり切るしかない。
それから、俺は一心不乱に草を刈り続けた。一見単純な作業に見えるが、それなりの危険もある。
俺は、まだ年齢的に受講できないが、父さんは草刈り機の講習をわざわざ受けに行ったようだ。そのせいで、その後の作業が滅茶苦茶面倒になったのは言うまでもない。
でも、それは安全の為だ。安全の為なんだ。そう小一時間自分に言い聞かせ続けていると、ようやく伸びた雑草が視界から消えた。
その頃には、辺りに草の匂いが漂っていた。何となく心が安らぐ感じがした。こういうのを緑の香りというらしい。
俺は、思い切り息を吸むと、父さんを探した。
「どう? 終わった?」
「おう、こっちも終わった所だ。じゃあ、草集めるか?」
「そうだね」
俺は、物置に熊手とブルーシートを取りに行った。草刈り後の刈草を天日干しにするためだ。
残念ながら、今日一日では十分に乾燥させるには時間が足りないが、帰る前になるべく通気性の良いフレコンバッグに詰め込み、数日に分けて乾燥させる予定だ。
父さん曰く、うちは穀物の乾燥用にも使えるフレコンバッグを使っているので、しばらく刈草を倉庫に放置しても悪臭を放つことはないらしい。
本家の管理を始めた当初、大量の刈草の処理に随分頭を悩ませたものだが、父さんの地道な情報収集の結果、乾燥させて嵩を減らしたものを地域のグリーンセンターに持ち込む形に落ち着いた。
俺は、なるべく陽当たりのいい場所にブルーシートを広げ、刈草をその上に広げた。春の風が爽やかで、緑の香り成分が庭全体に広がっていくようだった。
最後に、庭の境界付近にマムシの忌避剤を等間隔で撒き、俺と父さんは作業を終えた。
その頃には、奏の掃除もひと段落ついたようだった。
やっとマムシ装備を外せる……俺は、余りの重装備のせいか、汗だくだった。早く着替えないとまずいと思った。
一応、奏にも汗をかいていないか訊ねたが、平気との事だった。何だか申し訳ない気がしたが、俺は奏に縁側で待っていてもらうことにした。
それから、俺と父さんは交代でシャワーを浴びた。脱いだ服はそれぞれ洗濯機に放り込んだ。
一応、着替えを持って来ていて良かった。若干荷物が増えてしまったが、汗と草汁まみれで帰りの車に乗らなくて済むのは大きい。
シャワーを浴びると、俺は台所に向かった。気が付けば、喉がカラカラだった。朝から冷蔵庫で冷やしていた飲み物は良く冷えていた。
俺は、奏が待っている縁側に急いだ。真っ先に飲み物を渡すと、奏は嬉しそうだった。
その頃には、父さんも縁側に出てきた。俺は二つ抱えていたペットボトルを一つ差し出した。
もう喉がヤバかった。とりあえず水分が必要だった。俺は一気にペットボトルを飲み干すと、何となく一人離れた場所に座った。
「何かいいですね。草の匂いがします」
「そうだね。草刈りは大変だけど、庭がきれいになるし、草の香りで空気が爽やかで、いつもやってよかったと思うんだよ。それに、庭に雑草が茂っていたら、マムシの隠れ場所になる場合もあるからね。一応、忌避剤をまいておいたから、大丈夫だと思うけど、くれぐれも気を付けてね。頭が三角の蛇を見たら絶対に刺激しないように! 何もしなければ襲ってこないから」
「分かりました。気をつけます」
それから俺達は、縁側で涼み、それぞれ休息をとった。相変わらず、奏は興味津々で色々質問しているようだが、今は父さんが相手をしてくれている。
俺は、心底ホッとしていた。古民家好きの奏の質問に、俺の知識量では十分に答えられないからだ。
「さすがですね。おじさまのお陰で、この家の事が良く分かりました」
「いや、私も人に聞いた話だから……でも、本当に奏ちゃんは田舎の家が好
きなんだね」
「はいっ、大好きです」
「そうか? また知りたいことがあったら聞きなさい。分からなければ、知っている人に聞いておくから」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
二人の長い話が終わった。もう正午を過ぎていた。これから何をしようかと考えていると、父さんが時計を見て立ち上がった。
「何か食べるものを買ってくるから、峻は奏ちゃんとここにいなさい」
「えっ? 父さん一人でいいの?」
「大丈夫だ。峻も奏ちゃんも疲れただろう。ゆっくり休みなさい。私も帰って来てから休ませてもらうから」
「う、うん……分かった」
「多分、誰も来ないと思うが、誰か来ても親がいないから分からないで通しなさい。とにかく、お前ひとりで対応するように」
俺は、無言で頷いた。父さんは、意味が分からない様子の奏に、心配しなくていいとだけ言い残し、玄関に向かって歩き出した。