天敵彼女 (3)
「ねぇねぇ、叶野様だよね?」
「きゃあ、私服もいい」
「ねぇ、写メ撮っちゃおうよ」
「盗撮、ダメ。絶対」
自宅から出た俺は、何事もなかったようにスーパーに向かった。
家から近い学校に通っていると、こういう面倒事もある。
下校時間にぶつかると、学校の連中に見つかる事があるのだ。
俺は、足早にスーパーに向かい、適当に買い物を済ませると、急いで帰宅した。
「おかえり」
「あ、帰ってたんだ?」
「うん、今日は少し早く帰れたから」
「そっか。今ご飯作っちゃうから」
「すまんな」
父さんは、既にシャワーを浴びたようで、部屋着に着替えていた。
もう二人暮らしになって随分になる。
「最近、調子はどう?」
「悪くはない」
「そっか」
「……もう大丈夫だ。大丈夫」
父さんは、乾いた笑みを浮かべた。
随分、ましにはなってきたようだが、まだ時々不安になる。
それだけひどい状態だった。
父さんは、完全に壊れていた。
一人の人間をあれだけ徹底的に破壊出来る存在がこの世にいることを、俺は初めて知った。
父さんを壊したのはあの頃母さんだった女だ。
あの女は、父さんを苛め抜き、止めとばかりに決定的に裏切った。
あれだけの悪意と被虐性を、最も身近な存在にぶつけられる人間が家庭内にいた。それが父さんにとっても、俺にとっても最大の悲劇だった。
俺は最大の被害者ではないが、何もなかった訳ではない。
それ程はっきりと覚えている訳ではないが、断片的な記憶を辿るだけで、今でも嫌な気分になる。それだけ俺にとって母親と呼べるものとの出来事は、強烈な体験で、あれ以来あの女と同じ形をしたものを信じることが出来なくなった。
だから、俺は女が嫌いだ。
父さんと一緒に、俺もどこか壊れてしまったのかもしれない。
俺は、半分上の空だったが、気が付けば夕食の支度が済んでいた。
「大丈夫か?」
父さんが心配そうに俺を見ていた。
「大丈夫だよ。だから……」
座っていてと言いかけた俺は、父さんの手が震えていることに気付いた。
父さんの手は、出来上がった料理を運ぼうとして固まっていた。
あんなに料理上手だった父さんは、配膳すら出来なくなってしまった。
「すまんな」
申し訳なさそうな父さんに、俺は言った。
「いいから座っててよ。テレビでもつけてさ」
「すまんな」
父さんは、とぼとぼと歩き出した。いつもより背中が小さく見えた。