ヒューマノイド∽アイドロイド∅ガール (7)
鈴里依舞の機転で、すっかり心の平穏を取り戻した城ケ崎さんは、全体的に脅迫されてる雰囲気ながらも、おっさんの指示に従う構えを見せた。
普通なら、ホッとするところなのだが、僕は気が気じゃなかった。
多分、さっきがラストチャンスだった。折角、メンタルの不調を理由にここから退場出来る所だったのに……僕は、固唾をのんで事の成り行きを見守った。
「城ケ崎、お前この中の事分かるよな?」
「ははは、はい……」
一瞬、城ケ崎さんの身体がビクッとなった。早くもパニックかと僕が身構える中、おっさんはありえない程穏やかな口調になった。
「……大丈夫か?」
「ひっ……は、はい」
「無理なら他の奴に頼むが……」
「だ、大丈夫です」
見つめあう二人。おっさんは、僕の前を横切り、城ケ崎さんの前に立った。
「……じゃあ、今日から職場復帰だな」
「……が、頑張り……ます」
さっきから、城ケ崎さんの身体の震えがましになった気がする。きっとどこかで仕事モードに切り替わったのだろう。
そこからは、話が早かった。おっさんの表情にいつもの威圧感が戻り、一気に早口になった。
「そうか……一応、ここまで迷わずに来られた訳だし、大丈夫という前提で言うぞ。今からやってもらうことは一つだ。依舞に、ここを案内する事。とりあえず、駐車場から更衣室までの行き方。次に、今後使うであろう施設の案内を一通り頼む。時間は、一時間位だな」
「は、い……わかり、ました」
「じゃあ、頼んだぞ!」
「はい」
城ケ崎さんは、しばらく立ち尽くしていたが、すぐに気を取り直し、鈴里依舞の元に向かった。
おっさんは、既に自分のデスクに戻り、窓の外を見ている。きっとこの先求められるのは結果だけ。言い訳は一切通用しない。
この状態の城ケ崎さんに、いきなりキレはしないと思うが、頼んだ事が出来なければどうなるか分からない。
出会って一時間経つかどうかの僕でも、おっさんが洒落にならない人だという事は分かる。
そんなヤバい現場に、精神状態のやばい人がいる。この事が、どんなに大変な事なのか、おっさんに想像できない訳がない。
やっぱり鬼だ。僕は確信した。出来れば、おっさんの視界から消えている内に逃げ出したかったが無理だった。
「依舞、城ケ崎と一緒に行け。その間に、ちょっと教育しないといけない奴がいるからな……」
僕は、目の前が真っ暗になるのを感じた。
城ケ崎さんは、場の空気を敏感に察知し、すぐに鈴里依舞を連れだした。
「い、いきま……しょう」
「はいっ、お願いします」
鈴里依舞は、どうしてこんなに冷静でいられるのか分からない程、鉄火場状態のこの部屋で落ち着いていた。
それにひきかえ、僕の心拍数はとんでもなかった。正直、肋骨の中に収まってるのが不思議な位、心臓が跳ね回っていた。
それから、ドアが閉まり、遠ざかる足音。おっさんが、ものすごく冷静な口調で言った。
「まず、そこに座れ」
僕は、トレーを抱えたままソファに座った。
「てめえなぁ(怒)」
おっさんのキレ声。僕は、思わずトレーで顔を隠した。
「何やってんだ? お前、俺の事ヤ〇ザか何かと勘違いしてるだろう?」
思わず全力でイエスと言いそうになったが、僕は首を左右に振った。
「そうか?」
「ははは、はい……」
僕は、強張った表情のまま笑い顔を作った。それから数秒、まだどこも痛くない。
どうやらおっさんはキレていないようだ。完全に〇されると思っていただけに、何もされていない事が逆に怖かった。
「まずな……」
おっさんの声。当然、僕は身構えたが、おっさんは何もせずデスクに向かって歩き出した。
「よっと……これが見取り図だ」
おっさんが戻ってきて何か重いものを応接テーブルの上に置いた。どうやらこのビルの図面を製本したものらしい。
「まず、スカウト部の行き方から……」
おっさんが図面を開いた。正直、アナログ過ぎて驚いた。僕は、何が何だか分からないまま、おっさんの指の動きを目で追った。
「お前がいたアイドルコミュニケーション部はココ。そっからエレベーター乗って、十階まで上がるとこの部屋だ。ここからエレベーターはさっき行ったな? スカウト部は二階にある。エレベーター降りたら、左行って右。分かったな?」
この質問に、いいえと答えられるタフガイだったら良かったのにと思った。僕は、もちろん自分の中で最高にいい返事をした。
「分かりましたっ!」
それからも、おっさんの説明は簡素を極め、僕は理解力の限界を試される羽目になった。
「じゃあ、次にお前の仕事だ。依舞にはこれからスカウト部を見学してもらう。今度はお前が案内しろ。終わったらここに戻れ。それから先の事は、あの子と話し合ってからだ。分かったな?」
「は、はいっ!」
「で、これがお前の業務内容だ。すぐ覚えろ! 依舞たちが帰ってくるまでに、完璧にな」
「えっ?」
「アアッ?」
「はいっ! 分かりましたぁあああああっ!」
結局、この調子で僕は最後まで押し切られ、説明時間はものの数分だった。
今、目の前に分厚いファイルがある。これを後一時間足らずで暗記しないと、僕は死ぬ。
額から汗が止まらない。おっさんがさっきからイライラし始めている。何かやらかしたのかと思っていたが、どうやらただのヤニ切れらしい。
おっさんは、完全にテンパった僕を残し、喫煙室に向かった。
「じゃあ、頼んだぞ」
「はいっ!」
もう外が暗くなり始めていた。
僕は、帰りたいなんて口が裂けても言えない雰囲気に、心底絶望していた。
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