天敵彼女 (99)
「で、どうなったの?」
「それは、その……」
「で? で? で? そのって何? そのって事は、まーさーかー?」
車の中では借りてきた猫のように大人しかった佐伯だが、父さんがいなくなった途端にウザさを全開にした。
俺は、怒りを噛み殺し、何とか実力行使を踏み止まった。
「ま、まぁな……」
「まぁじゃ分からないよ。結局、けっきょくぅ、どうなったのーっ?」
「いや、その……」
俺は思った。こいつには、多分報告するべきなんだろう。何だかんだで世話になったし……。
でも、無理だ。余りにも恥ずかし過ぎる。まさか、自分にこんな時が来るなんて……黙り込む俺に、佐伯が極めて鬱陶しい表情を浮かべ、両手を広げた。
「叶野ちゅん、それはもう言わなくても分かるレベルで駄々洩れだよぉ。もう聞かなくても分かるけど、一応君の口からちゃんと聞かないとね……じゃあ、単刀直入に聞くね? 八木崎さんと、付き合った?」
俺は、思い切り言葉に詰まった。
他人に聞かれるとすごく恥ずかしい。多分、今俺の顔は赤いだろう。
それでも、いつまでも黙っている訳にはいかない。奏と付き合えた事を、俺は嬉しく思っているのだから、いつまでもキョドって、変な誤解を与える訳にはいかない。
佐伯にどう思われるかは問題じゃない。この口の軽い男が、奏と付き合った事を、俺が秘密にしたがっていたなんて事が早坂から奏に伝われば、俺は余裕で死ねる。
本当にここに奏がいなくて良かった。
どうせ、今日はこの話題で持ちきりなのだから、今のうちに慣れておくべきだ。
俺は、はっきり宣言するつもりで、また口ごもった。
「……あ、うん、そ、そうだな」
「えっ? 何、何、何ぃー?」
佐伯が本当に嬉しそうに俺の顔をジロジロ見ている。
一瞬、このウザいやり取りを物理的に終わらせることも考えたが、元実習生の件では佐伯にも世話になったことだし、俺はまともに答える事にした。
「奏と……付き合うことになった」
「そっかぁあああああああああっ! やっとかぁあああああああっ!」
佐伯のウザい声が周囲に響いた。俺は思わず辺りを見回したが、ここには俺達の他には誰もいない。
何故なら、ここは本家だからだ。
色々あり過ぎて、もう何か勘弁して欲しい感じになった今年のゴールデンウィークだが、最後に何か楽しい事をしようという事になった。
言い出したのは、言うまでもなく父さんだ。
休みの残りは家でダラダラ過ごすつもりだった俺は、もちろん反対したが、ちょっと前から父さんの意見には百パー賛成するようになった縁さんと、本家に行く予定だと聞いて目の色が変わった奏に押し切られた。
敗北感に打ち震える俺の前で、ナイスアイデアと父さんを持ち上げまくる縁さん。気分がよくなった父さんは、更に凶悪な提案をした。
それは、今回の元実習生関係で迷惑をかけた友達も呼ぼうという悪魔の計画だった。
絶句する俺。助けを求めた奏は、既にスマホをいじり始めていた。
この時点で、万が一にでも俺の希望が通る可能性はついえた。
それからは、俺の知らない所で、着々と計画は進んだ。秘書の向家さんに電話する縁さんの隣で、鳴りだすスマホ。
奏は、あっさり二人と約束を取り付けてしまった。よくこんな急な話に乗ってくれたものだと思っていたが、実は結構無理をしてくれたようだ。
早坂は、家族で行くはずだった買い物をキャンセル。佐伯に至っては、家族旅行を途中で切り上げてこっちに来ることになった。
電話口で俺がいいのかと聞くと、どうせ俺と父親は楽しめない旅行だからと呟いた。
相変わらず、佐伯家における男性陣の立場は弱いようだ。
翌朝、清々しい表情で俺んちの玄関先に現れた佐伯は、何か憑き物が落ちたようだった。
「それにしても、わざわざうちに朝一で来なくても……」
「いやぁ、ごめんね。何だか、すごくテンションが上がっちゃってね」
「お、おう。親父さん大丈夫か?」
「さぁ、多分大丈夫だよ。別れ際、すごい目で俺の事見てたけど、多分大丈夫だよ」
俺は、言葉を失った。
多分、今頃佐伯の親父さんは大変な思いをしている事だろう。
ちなみに、早坂はご両親と一緒に車でここに来るようだが、道順を知らない為、秘書さんの車が先導するらしい。
当然、縁さんと奏は秘書さんと一緒に来るため、まだここにはいない。
父さんも、さっき食材の買い出しに出かけて行ったので、今この家にいるのは俺と佐伯だけだ。
さっきのクソウザいやり取りも、父さんというセーフティーが外れた瞬間に始まった。
俺から言質を取れたことが余程嬉しかったのか、佐伯は謎の舞を舞いながらまだ庭を一周している。
やはり、ここに来る前に情報を与え過ぎた。
勘の鋭い佐伯の事だから、俺と奏のちょっとしたやり取りから、俺達が正式に付き合い始めた事を察知したのだろう。
俺は、縁側に座り、佐伯の舞が終わるのを待った。気が付けば、大分日が高くなっていた。
「ごめんごめん、でも良かったね」
ようやく謎のテンションから復帰した佐伯に、俺は笑いかけた。
「ああ、ありがとな……」
「えっ? 何?」
「別に、何も……」
俺は、顔を背けた。
佐伯は、もう絡んでこなかった。
それから、俺達は遠くの山々を見つめ、父さんの帰りを待った。
何か、言葉はいらない感じだった。こいつとこんな感じになるのは初めてだった。
俺は、もう一度佐伯に礼を言った。
「色々ありがとな……」
「いいよ。そんなの……それより、本当におめでとう。八木崎さんと幸せにね」
「ああ……」
それから俺達は、父さんが帰るまでふざけ合ったり、語り合ったりした。
俺は、今日ここに来て良かったと思った。