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風邪が5類感染症へ格上げされることについて

風邪が5類感染症へ格上げされることが決定したというニュースが飛び込んできました。

神戸大学感染症内科の岩田健太郎氏でさえ、虚構新聞じゃなかったのかと驚いたとXに投稿しています。

さらに医学経済ジャーナリストでもある医師の森田洋之氏は、風邪を5類感染症にするのはいかに世界からズレているのかと下記のように述べています。

《普通の風邪を5類感染症に?って言われても何のことやらさっぱりわかりませんよね。

一体これにはどういう意味があるのでしょうか?

実はこの方針には、

この国の公衆衛生と保険行政がいかに狂っているか、いかに世界からズレているか、が如実に現れているのです。》

感染症はざっとこんな感じで分類されています。

新型インフルエンザ等:新型コロナウィルス
1類:エボラ出血熱、ペスト
2類:結核、重症急性呼吸器症候群(SARS)
3類:コレラ、細菌性赤痢、腸チフス
4類:黄熱
5類:旧型コロナウィルス、インフルエンザ、梅毒

風邪はこれらの中に入っていない。というのは、旧型コロナウイルスやライノウイルスなど普通に「風邪」と言われるようなウイルスや細菌はたくさんあるのですが、そのようなウイルスや細菌はエボラなどとは違って軽微な風邪症状を呈する程度なので、感染症の分類にも入らない、「無類」の感染症なのです。

この程度であれば、5類になったからと言っても、別に騒ぐ必要はなさそうですが、実はそうではないと森田氏は言うのです。

コロナ禍の世界ではロックダウンやマスクの強制など人権を侵害するような強制措置を取ってきたことを検証しているところです。

WHOのパンデミック条約(次にパンデミックが発生したときにWHOに加盟する各国に対してワクチンや感染症などに対する権限を強化する条約)も、各国からの反対意見が出て、交渉延期となっている。

つまり、世界は今回のコロナ騒動はとっくに「終わり」にしていて、感染症に神経質になることをやめ、逆に当時のことをしっかり反省するモードに入っているということです。

パリ五輪やメジャーリーグの試合などでは、マスクをかけている人はほとんどいない。

我が街では、今でも、散歩しているときや電車に乗っていると、以前ほどではないにしても、以前として、マスクする人を見かけ、異常とさえ感じます。

世界ではコロナ騒動は終了しており、感染症に神経質となることを止めているのです。

こうした世界の状況の中で、風邪を5類感染症に格上げと決定したのですから、世界からズレているというわけです。

ただの風邪を国家の管理下におくということですから大変です。

日本以外の先進国の人々は、普通の風邪程度では、(たとえインフルエンザでも)ほとんど病院に行きません。もし病院に行ってもほとんど検査せずに、「自宅で寝ていて下さい」と言われるだけです。ただし、高熱がでるとか脱水症状が激しいときは、本気で対応している。

風邪のワクチンを開発するなどと発表しているようですが、風邪の原因を発見すれば、超ノーベル級だと言われているのに、ただのヨタ話しにしか聞こえない。

ようするに、薬品業界や医療業界の権益を増大させたいということでしょう。反ワクチン運動が拡大されつつある中で、よくぞ風邪を国家に管理下に置くという発想がうまれ、それを実現させようとするものです。しかも、議会にさえ通していないという傍若無人ぶりで、立花孝志氏並みです。

フーコーは、医療制度や人口政策において人間性が否定されるようになっていったいきさつを検討し、そこでは原理的に人間性が主題とはされていないということを見出していた。

そして、その事態の背景にあるものをバイオポリティクス(生政治)と呼んだ。生命についての「倫理」が必要であるというよりは、病院内の人間関係を超えた、生命についての「政治」がそこにあるというのです。

生政治について、哲学者船木亨氏は次のように説明する。

人間 の「 健康、 衛生、 出生率、 寿命、 種 など、 統治 の 実践において、 人口 を なす 生者 の 総体 に 特有 の 現象 から 起こる 諸 問題 の 合理化」(『社会 は 防衛 し なけれ ば なら ない』) を しよ う と する 政治 の こと で ある。

船木亨. 現代思想史入門 (ちくま新書) (Kindle の位置No.906). . Kindle 版.

フーコーの関心は、医療における倫理問題の解決ではなく、そのような主題に顕著に出現してくる権力の働きを暴露することにあった。

まさに、この風邪の5種感染症への格上げは、政治と薬品企業・医療界の癒着による権力の行使と見ることができるのではないでしょうか......。



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