「人類の起源」について
「日本人の起源」や「哲学の起源」など「起源」ものが好きなのですが、今回は「人類の起源」と、大きな話しを記述します。引用するのは篠田謙一著『人類の起源』とズバリタイトル通りの本です。
人類の起源となると、化石発掘という地味な作業から始まるというイメージがありますが、この本は、古代人骨からDNAを解読することで、人類の起源を解明することができると述べています。
これまで、約20万年前にアフリカで生まれたとされてきたわれわれの現生人類(ホモ・サピエンス)ですが、もっとも近縁な人類であるネアンデルタール人のDNAを解析した結果、彼らの祖先と分岐したのは60万年前だということがあきらかになりました。
さらにネアンデルタール人とホモ・サピエンスとのDNAの比較によって、両者が分岐したあとも交雑を繰り替えしていたことや、他の絶滅人類と交雑していたこともあきらかになりました。
このように、ホモ・サピエンスの進化の道のりは、従来想像されていたよりもはるかに複雑だ、と篠田氏は主張しています。
古人骨に残るDNAの量はごくわずかなので、そのままでは解析は困難ですが、コロナウィルス検知で有名になったPCR法により微量なDNAを増幅することで、可能となったそうです。
現在、世界中のすべての人間は、生物学的にはホモ・サピエンスというひとつの種だということになります。ホモは属名で、サピエンスは種名です。そして、われわれが日常的に用いている「人種」というカテゴリーは、さらに下位の区分となり、生物学的な実態はないのです。
最古のホモ・サピエンスが登場したのは、発見されている化石から、今のところ30万~20万年前のアフリカとされています。
人類の起源を200万年前としている場合は、人類=ホモ・サピエンスと考えて、この時代を人類誕生の時期としていることになります。
ホモ・サピエンスは、6万年前以降にアフリカから世界へと展開します。1万年前より新しい時代には、世界の各地で農耕が始まるようになり、人類1万年というと、農耕開始以降の歴史を記述した書物ということになり、文明の発達を主眼に置くと、人類の歴史は5000年ということになります。
われわれが学校で習う世界史はこの5000年間の社会の変遷を記すことになる。文字のない時期に起こったことを明らかにする学問は、考古学や自然人類学となる。
人類の進化は、これまで、大きく猿人(アウストラロピテクス)・原人(ホモ・エレクトス)・旧人(ホモ・ハイデルベルゲンシスとネアンデルタール人)・新人(ホモ・サピエンス)という段階を経て進んでいます。この新人とは、われわれホモ・サピエンスのことであり、誕生したのが、20万年以上前ですが、新人という名称なのです。われわれホモ・サピエンスは、新人だということです。
これまでは祖先を探す努力は、主に化石の発見とその解釈だったが、21世紀になり、生物のDNA配列を読み取ることによって大きく変化し、次世代シークエンサが実用化したことによって、さらに進化し、2010年以降は古代人骨に残る核DNAの分析までもが可能となった。このことにより、DNAデータをもとにした人類の系統研究の新たな事実が次々と明らかになったきた。
ただ、発掘時、あるいは人骨試料の保管時に、コンタミネーション(混交)の問題がある。そもそも発掘するのは考古学者や形質人類学者だから、コンタミネーションにまで注意を払うことはなかったからです。それでも近年では、発掘に時点でDNA分析を前提とした発掘を行われるようになっている。
われわれは、ネアンデルタール人については、比較的よく知られていたが、その他に、ネアンデルタール人ともホモ・サピエンスとも異なるデニソワ人という未知の人類が判明された。この人類は、形態的な特徴が不明なまま、DNAの証拠だけで新種とされた最初の人類ということなのです。
現代人のゲノム解析より、ホモ・サピエンスのアフリカからの世界展開は6万年~5万年前以降であると推測されています。
そのひとつの根拠として、ミトコンドリアDNA(母系に遺伝する)とY染色体DNA(男性に受け継がれる)の系統解析が挙げられています。
日本列島に最初にホモ・サピエンスが到達したのは4万年ほど前のことで、この時代は旧石器時代として括られるが、およそ1万6000年前には日本列島で土器がつくられるようになり、それから北部九州に稲作が入る3000年前ごろまでの時代を縄文時代としている。
明治時代以来行われてきた形質人類学の研究結果、日本列島集団にはふたつの大きな特徴があることが判明しています。
ひとつは形質に時代的な変化、つまり縄文時代の人骨と弥生時代の人骨のあいだには明確に認識できる違いがあるということ。
ふたつ目は、現代の日本列島に形質の異なる集団が存在していること。その集団とは、北海道のアイヌ集団と琉球列島集団そして本州・四国・九州と中心とした本土日本人の三種です。
これを説明する原理として、「二重構造モデル」と呼ばれる学説が定説化されています。
二重構造モデルでは、旧石器時代に東南アジアなどから北上した集団が人本列島に進入して縄文人となったと仮定している。
一方、列島に入ることなく大陸を北上した集団は、やがて寒冷地適応を受けて形質を変化させ、北東アジアの新石器人となったと考えています。弥生時代の開始期になると、この集団の中から朝鮮半島を経由して北部九州に稲作をもたらす集団が現われたとされ、それが渡来系弥生人と呼ばれる人びとなります。
つまり、縄文人と渡来系弥生人の姿形の違いは、集団の由来が異なることに起因すると説明しているのです。
これに対して、篠田氏は次のように説明しています。
二重構造モデルは、ひとつの視点で、南北3000キロメートルを超える日本列島・南西諸島の集団の成立を正確に説明できるのかという問題があり、現時点でのゲノム研究がどのような答えを出しているかを本書で解説しています。
最終章では、「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこにいくのか」について語っています。この標題はポール・ゴーギャンの大作のタイトル名です。この絵を有名にしているのは、人類が持つ根源的な問いを発している哲学的な問いでもあるからだろう、と篠田氏は述べています。
ネアンデルタール人やデニソワ人のゲノムの解析からは、今までまったく知られていなかったホモ・サピエンスの成立に関するに関する経緯が明らかになりつつあります。
われわれが何者であるかを考えるためには、どこから来たのか、どのようにできたかを知る必要があり、自分が何者であるかを知ることは、未来の在り方を考える土台となる、というのです。
古代ゲノム研究の意義について、下記のように述べています。
そもそもホモ・サピエンスのゲノムは99.9パーセントまで共通であり、残り0.1の違いに、研究者は注目して、個人ごとあるいは集団ごとの違いを明らかにするように努力をしている。
この0.1パーセントの違いの中に、人びとのあいだに見られる姿形や能力の違いの原因となっている変異があることも事実ではある。ただし、その大部分は交配集団の中に生まれるランダムな変化で、基本的に能力などの違いを表すものではない、ということです。
かつてナチスがアーリア人種の優位性を主張して、ユダヤ人を虐殺したのは、まさに「民族の血統」などというものを信じ込んでいた結果であるが、そんなものには実体がなく、幻想に過ぎないことだ、というわけです。
今でも、優性遺伝などという説が根強くあるようですが、特定の遺伝子の有無を集団の優劣に結びつけることには意味がない。
【余談:SNS仲間から聞いた話しです。義理の父は、東大至上主義者であり、かつDNA優性思想を固く信仰していた人物だったそうです。自分自身が東大医学部卒なので、後継ぎは、東大医学部卒であることが、絶対条件だった。長男は京大卒で哲学者であるが、後継ぎには向いていないと拒否された。
そこで次男の嫁は、東大医学卒なので、彼が後継ぎとなった。さらに、おぞましいことではあるが、どうも次男の子供、つまり義父の孫は、義父の実子ではないのではという噂が流れていたようです。DNA優性主義者であれば、当然そんなことは起こりうるだろうな、と妄想しました。長男と次男とのゴタゴタは、一時、週刊誌でも取り上げられていました。その他、曝露したい深刻な事柄はありますが、DNAとは関係ないので、控えます。】
ゲノムの違いを重視するというのは、0.1パーセントの違いに重きを置く考え方です。人の優劣を決める要因が「違っている」ものの中にあると考えるが、この考えが回りまわって、世間一般でいう能力主義の立場につながっている、と述べています。
人種を区分する形質としてよく用いられる肌の色にしても連続的に変化しており、どこかに人為的な基準を設けないかぎり区分することはできない。人種区分は、科学的・客観的なものではなく、恣意的なのだ、と述べています。
イギリス人は、現在白色な人びとで溢れていますが、1万年前の人骨をDNA分析して、顔面を復元すると肌色は褐色となっていました。ところが、その後、皮膚を明るくする遺伝子を持つ人種と交雑した結果、現在のように白くなったというわけです。あくまで、現在の姿であり、遠い将来も同じということではないのです。
古代と違い、現在は飛行機などにより移動時間が極端に短くなっている世界に住んでいるので、今後はますます変移していくことでしょう。1万年後には、日本人とイギリス人の肌と体格は逆転する可能性すらあるかも知れません。