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帰国子女が大人になった今
小学校3年生から海外で過ごし中学校3年生の3学期という、なんとも中途半端な時期に日本に帰ってきて帰国子女が3分の2いる高校を受験した。
中3に帰国した理由はカナダの中学校の卒業証書しかなかったので、日本の中学校の卒業証書を取らせてあげたいという親の配慮だった。
私は長女だ。
どの家庭でも珍しくないと思うが、一番上の子供に合わせて家族が動く。
うちの家庭も例外ではなく、7年間過ごした海外生活が父の会社の辞令でもうすぐ終わるとのことで、
高校編入よりも皆んなと同じ時期に受験した方がその後が楽だという両親の判断によりこの時期になった。
正直中3、3学期の編入はかなりキツかった。
3年の間に出来上がっているコミュニティの中にいきなり入っても何も楽しくない。
ましてや卒業間近。
受験真っ只中。
幸いいじめにも合わず優しい人達が仲間に入れてくれ仲良くしてくれたが、
私が心を開けず上辺でしか接する事ができなくて、毎日無になりながら学校に通っていた。
ただの試練にしか過ぎなかったのだ。
人生どんな経験も意味があると考えたい私ですら、あの日々は意味があったのかと今でも思ってしまう。
まぁ、そんなに覚えていないからいいのだけど。
当時サイン帳が流行っており、卒業アルバムの後ろには皆んなで寄せ書きをし合っていた。
あの中学校の、名前も覚えていないような誰かのサイン帳や卒業アルバムの寄せ書きに、私の英語で書いたメッセージが残っているのであろう。
なんて書いたかも全く覚えてないけどみんな、
「英語で何か書いて」
と言うから適当に書いていた。
ほとんど話した事がない人もいた。
なんで書いてほしかったんだろう。
まぁ、意味もなかったのかな。
本当に謎だ。
大学まで私立のエスカレーター式の高校に通っていた。
これもまた両親の配慮で、海外生活で勉強が追いついていないから、帰国子女が多くて英語も維持できて、大学に入りやすいという理由だった。
それぞれの学部に何人行けるか枠があって、成績順で希望の学部に行けるという。
当時の私はひねくれていたのか先を見越していたのかわからないけど、
せっかく親が通わせてくれたこの大学に進学する意味を見出せなかった。
勉強したい事が全くないのに、なぜ大学に行かないといけないんだろう。
どの学部も魅力的に感じられない。
4年間、すごく無駄なんじゃないかと。
高校3年生の時に進路希望票をもらい、初めて、今後学びたい事はなんだろうと考えた。
そうだ、ヘアメイクになりたいかも。
この時の気持ちは本当に、「かも」くらいで、実際何がどうなのかとか全くわかっていなかったので、なりたいと思ってから行動に移した。
ここに結びつく理由はいくつかあって、
母はきっと覚えていないだろうが昔、
「子供たちの誰かが美容師さんになればいいのに〜」って気まぐれで言っていたことがあった。
母は手先が器用だったので、小さい時によく髪を編み込んだり結んでくれていて、
それに慣れていたから年頃になれば自分でもアレンジをするのが好きだったし、高校の修学旅行の時に友達の髪をやってあげて、それがすごく楽しいなと思っていた。
そしてこの帰国子女枠が多い学校、髪を染めたり服装が自由だったのだ。
カナダから帰国したばかりのシンプルで地味な私の外見は、高校3年生になる頃には髪をオレンジ色に染めてスパイラルパーマを当て、カラフルな色の服を着ていた。
大学進学の特権は利用しなかったが、この自由な校風も、私の今の職業と結びついたきっかけの一つではないかとも思っている。
ちなみに高校の時の進学校の進路希望の順番が
1.美容学校
2.社会学部
3.英文科
2と3はなんとなく、埋めた方ががいいのかな〜と思い書いただけで、冷静に見ると変なので、いっその事1以外は空欄でも良かったのかも。
**そしてこれを見た担任が、激怒。 **
今でこそネタだが、当時漫画のように廊下を追い回された。
トイレには流石に来ないだろうと思って逃げ込んだらそのまま追いかけてきて扉をドンドン叩かれてものすごく怖かった。ここまでは覚えていてその後どうしたのか思い出せないから、恐らく担任が出て行ったんだろう。
すぐに母親に電話が入り、
考え直させるように言われたそう。
しかしこの娘の母なので、
「あー、らしいですね〜。知ってますよー。」
と返事して、それ以来も何度も担任には説得されたが意思は変わらず無事美容学校に入学した。
進学率を下げるという事が問題だったのか。
しかし、今考えてもあの、成績順に学部が決まるシステムは果たしてその人のためになるのかよくわからない。
なぜならあの当時、圧倒的に法学部が人気で、弁護士になりたいわけではない成績優秀な人達が就職に有利だからといって法学部に進学していたのを見ていたからである。
他の学部も成績順なので、実際に勉強したい学部に行けなかった人もいるだろう。
もちろん、成績優秀だと行きたい学部に進めるから勉強しなさいという理由もわからなくはないが、
この、「就職に有利」という考え方を子供の頃から植え付けるやり方がそもそもどうにかならないのだろうか。
社会に出ると、それだけじゃないという事が身に染みてわかる。
ちなみに風の噂によると、同級生数名は法学部に行って実際弁護士になれたそう。それは本当に努力の結果ですごいと思う。
ただ、書いていて思ったのが、今の進学事情はどうなんだろう。
私の時代と何か変わっているのかな。
今や中学受験が当たり前で、していないと不利と耳にした事があるが。
「就職に有利」っていう事を軸に決断していき実際うまく行っている人も中にいるかもしれない。
たくさん稼いで趣味にお金を費やする人生を歩む人もいるだろう。
仕事に重きを置いていない人もいるだろう。
今の自分にたどり着くには色んな決断や可能性があったんだなと思うと、環境ってとても大事だなと思う。
生徒の未来より進学率を重視する担任、自分のやりたいようにやらせてくれる親。
学生時代は何もアドバイスはくれずに放置プレーの両親に、なんでもっと一緒に考えてくれないのだろうと苛立たしくも思っていたが、
そのおかげで自分で考えれるようになったし、
理解をして裏でサポートしてくれるって、今考えれば1番ありがたい事なのかもしれない。
高校卒業後、私は美容学校に行き美容師を経てヘアメイクになった。
大学に行かない決断をして結果良かったと思っている。
大企業に就職した同級生達に負けないくらい素晴らしい職業につけた。
もしあの頃に戻るなら、大学に行きたいなと今なら少し思う。できたら美大がいい。
専門学校があっという間で体育会系すぎる美容室に就職して、20代は一瞬ですぎ、楽しんだ思い出が少なすぎるのでもう少し外の世界を見たり遊びたかった…とそういう理由だけで。
大人になって思うのが、遠回りをしても芯があれば人生どうとでもなるのだ。
もちろん努力は必要不可欠だが。
だからあの時大学に行っても行かなくても、それはそれで良かったのだろう。
私は30代、20代に自由が少なかった分、思う存分今を楽しんでいる。現在進行形で、沢山の事を経験しているなと思う。
むしろもっと勉強したい。
学生時代、もっと勉強していたら違う職種についているかもしれない。
あの時にしか体験できない事などあるけれど、言い始めてもキリがない。
ちなみに現在、英語は仕事で使用する事もあるがマストではない。
話せない人も周りに沢山いる。
特技と言えるのは結果良かったかなとは思うけどそれくらいだ。
過去に経験した事って人生のほんの一部の通過点でしかないんだなと思う。