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私が完全ヴィーガンという選択肢を選んでいない理由

私はヴィーガンではないが菜食主義だ。色々考えたり実践した結果今のところ徹底しないという選択肢に落ち着いた。自宅では動物性の物は買わないし、外でも選べる時は肉はなるべく避けている。環境問題に関心を持った事がきっかけだ。

結論から言うと、徹底することが正義じゃないと思ったから。ヴィーガンに対しても肉を食べる人に対しても、その人それぞれの考え方なのでどちらがいいとも思わない。カテゴリーに分ける事は説明せずに伝える事ができて簡単ではあるが、人の思想はそこまで簡単ではないと思う。

環境問題に関心を持ったのは旅が好きだからという事と、物事に対して「なぜ?」という事を常日頃から考えているからだと思う。

私の旅先は統一感がなく系統もバラバラで、その時自分がハマっている事や直感ベースで訪れる。雪国のアイスランド、南国のキューバにスリランカ、砂漠のスーダンやモロッコ。とにかく学ぶことが好きで、リアル世界史の社会科見学なのだ。バックパッカーに憧れてはいるものの、小、中は父の仕事で北米で育ち、20代は日本の美容業界で修行、30代人生が少し落ち着き旅に目覚めたのでまだまだ知らない世界がたくさんある。

旅をすると日本との違いや新しい視点で物事が見れるようになる。私は旅をしているからこそ日本の良さがより一層わかるようになった。

そしてなぜこんなに観光客や人がいない海なのにプラスチックのゴミがたくさん浮いているのだろうとか、海に潜るとなぜこんなに珊瑚が白化しているのだろうとか考えるようになった。ヨーロッパでオーガニックや地球にやさしい物が売られていることは日常的に常識で、アフリカの途上国でさえ日本で話題になる前からプラスチックバッグを配っていなかったりする。日本での生活でも外国人モデルと接することが多いので、身近に関心を持っている人はチラホラいた。ここ数年度々経験する大雨、台風、洪水の異常気象もきっかけの一つだ。

2020年の6月、ちょうど自粛生活真っただ中で私は一度ヴィーガンになりかけた。外に出る機会が減り時間ができてこれらの気になっていた環境問題について深く調べるようになったからだ。肉食が地球環境に良くない影響を与えていて減らすことによって少しでも貢献できるかと知って、自分が肉を食べる必要性を感じられなくなったからだ。それまでの私はわりと焼肉キャラだった。夏は生レモンサワーと焼肉を欲していた。もつ鍋もバーベキューも大好き。自分が菜食ベースの生活に転換できるなんて思ってもいなかった。

人間主体の考え方になってしまうが、家畜を育てるには穀物や水がたくさん必要でその分農地のために森林伐採で動物や先住民の土地が奪われる事もある。そもそもタンパク質は植物から作られていてそれを動物が食べて変換されたものを人が食べているので、人間が直接野菜や果物から摂取する方が効率的に感じる。世界では食べ物が足りなくて飢餓で飢え死にする人達がいる中で、人間が食べるために育てて殺してしまう家畜に与える食物をその分人間が食べられたら少しは状況が良くなるのでは。

専門家ではないので言い切る事はできないけれど、色んな本やドキュメンタリーからたくさん知識を経て環境面だけでなく健康の面でも菜食の方が自分にとってメリットが多かった。血液と腸内環境が健康や美肌の鍵だと私は思っていて、体に溜まっていく老廃物を出し循環を良くすることが大切だ。菜食の方が老廃物が体に溜まりにくいとヴィーガン生活を始めて身に染みて実感する。この一年で病気に一切かかっていない。

ビタミン12は意識的に摂取しないといけないけどそれ以外は私は今のところメリットしかない。思考がクリアになって集中力も増すし、いらない脂肪もつきにくくなった。肉を買わなくなった分野菜について詳しくなり季節をより一層感じられるようになった。濃い味よりも薄い物が好きになり、料理の味付けもシンプルになった。

こんなにメリットを話しているし考え方のベースは菜食主義であるがなぜ徹底しない事を選んだのか。

自粛中は人にほぼ会わなくて、自分が食べるものだけ考えていればよかったから簡単だった。ただ、今の日本の社会や情報量でこの知識を意識している人は恐らくほんのひと握り。外で働いていたり人づきあいがある以上、もちろん選べる時はそうしたいけれど自分一人の思想を押し付けたり合わせてもらうには労力が必要になる。食の話はやっぱり盛り上がるし楽しい空気はなるべく壊したくない。自分も元々好きだったので理解もできる。そして日本では本当に選択肢が少なくて、一人で外食する時すら難しい時もある。そこを戦ってまで徹底するべきなのかと考えた時に、柔軟になる方法を選んだ。

菜食主義を1年間やって不思議なことに、肉を欲しなくなった。元々味が嫌いなわけではないので皆で頼んで食べたりすると美味しいと感じるが、自分からあえて選ばなくても平気になった。魚介類はもともと好きで機会があれば食べてしまう。しかし好きな物を食べられなくなりストレスを感じるよりも、メンタル的にも健康なのではと思う。色んな知識を経て動物性の物を摂取する時はただ食べるだけではなくありがたみを感じるようになったし摂取した後は健康面でも他でバランスをとる意識もするようになった。

そもそも人類の歴史的に考えても、植物が育たない地域の人が動物を食べるようになったりだとか受け継がれている伝統や文化が世の中にはたくさんあるわけで、それを否定するほどシンプルな仕組みではないと思う。工業系畜産に関しては疑問がたくさんあるのでそこは考えるべきだと思うけど、話が長くなるので省略します。

ヴィーガンの方からしたら、私の考え方はゆるいと思われるかもしれない。ただ、複雑にいろんなことを考えた結果が今こういう思想で落ち着いたのだから、それはそれで一つの考え方だと理解してほしい。

一番大切なのは理由を知った上でどういう選択をしていくかなのではないのかな。簡単にしかまとめられなかったけれど、少しでも「菜食」に対して関心を持ってもらえたら嬉しいです。

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