Day3. 号令、おつとめ、

夫実家、Day3.
明けましておめでとうございます
とても素晴らしい朝です。
朝から、義父が村の集まり(この地域では元旦に行事がある)があるということで、朝から皆が集められる。(前の晩には、俺は早いがみんなは自由でいい、と言っていたのだが、、、)
わたしは、この家長制度が大嫌いだ。親父の号令で、皆が招集される。なんで、主従関係があるのかも疑問だし、まるで軍隊みたいなのもいやだ。それには、多分に言葉遣いの問題もあるのだけれど、、、義父の場合、「おい、〇〇(呼び捨て)集まれ」みたいな、命令口調なのだ。よし、みんなで集まってお雑煮食べようか、とか、言い方は何なりとあると思うのだけれど。。。
気持ちは、しぶしぶだけれど、ともあれみんなで食卓を囲み、そのことには感謝を思う。

食事が済むと、村の神社にみんなで初詣に。そこで、村の集まりがあるのだ。行ってみると、人が集まっている。火を囲んでいるのは、おっさんばっかり。神社の儀式に参加するのもおっさんばっかり。私は、地元の人でもないので、はっきり言って思い入れも全くないし、これだけおっさんが占めていたら、伝統を守る、とか義父母か言うけど、いうほどの伝統なのか?と疑問に思うし、ただのしがらみにしか私には思えない。これでは、地元の人ではない私のような人には、面白くもないし、若い人にも面白くない。すなわち、地元の人にも新規の人にも余白がないわけ。これでは、「良さ」が伝わらない。担い手がないと嘆くけれども、やはりどれだけ自分たちが自覚的に、人を受け入れているのか、とか「良さ」を伝えようとか、という鏡なのだ。多様や刷新を受け入れ難い社会は、とどのつまり、自分で自分の首を占めているだけなのだ。村にしろ、家にしろ、問題は同じだ。

元旦は、家族でゆっくり過ごせばいいじゃないか。
とはいえ、もし、自分がこの地で生まれ育っていたら、やはり懐かしく感じる部分もあるだろうし、大事にしたいと思うのだろうか、、、?
しかし、義父母がイエのことやら村のことで、あまり楽しそうに見えないので、やはり、本当に守るべき、あるいは残すべきものなのか?と疑問に思わざるをえない。そのことで本末転倒、家族の中で揉めたり気に病んだりするのはおかしいではないか?!あー、わからないわからない。
30代の義理弟、仕事バリバリでやってる息子に、「仕事を辞めて、家に戻ってこないか」なんて、どうして言えるんだろう???百歩譲っても譲れないし、理解も共感もできないし、親としても自分はそんな親にはなりたくない、と思うので全く理解できない。
親は子どものために苦労するもの。そして、それをこれだけやったんだと、というのはおかしい。もちろん、感謝はするが、これだけやってるんだ、と条件付きの感謝を求めるのであれば、しなくても良いと私は思う。

相手を知れば知るほど、自分との距離が縮まらない(考え方の違い)ことがわかってしまうことが、なんとも言えない。村での資産家、なんてもはや今では過去の産物ですよ、と言いたい。それに本当の資産家は、そんなもんじゃない、とも。変なプライド捨てたらいいのにな。なんだか、世代の終焉を見ているよう、それも切ない。自分も、いつか、自分が大切だと思っていたことを、息子や若い世代の人たちに、そんなの価値ない、と言われる時がくるのかな、と思うと切ない。でも、人生ってそんなもんだよね、いつの時代だってさ。

いいなと思ったら応援しよう!