お誕生日おめでとう。 7月初旬に、短く実家の島根に帰省した。 春先から思いがけず病気がわかり、闘病している父に会うために。 4月よりさらに弱っていた。 祖母が亡くなって久しい。祖母が亡くなる前なのか料理をしなくなった晩年かは忘れたけれど、いつだったか父が「おふくろの作るちらし寿司が食べたいなぁ」と言っていたことがあった。 それで、初めてちらし寿司を作った。 うろ覚えな母のこんな感じだったかな?と教えてもらいながら。 少し早いが息子の誕生日を一緒に祝いたかった。 ちら
4月末に入院してから10日が経った。 病室もすぐに満室となり、4家族、それぞれニックネームで呼び合いながらわきあいあいと過ごしている。それでも、2歳の動き回る&自我爆発の子とともに、制限ある生活の中、ずぅっと一緒はさすがに心乱れるときがくる。 今日はそのピーク。朝からずっとリハと別の検査もあったりで、夕方までノンストップ。 部屋に戻ったと思えば、同じ部屋の子の遊びものが気になったり、すぐにハイハイで病室を抜け出し廊下に逃走。ベッドサイドの冷蔵庫をあさる。自分の遊びができな
<日々のこと>衝撃的なことがあった。義父から突然のメール。しかも、私と義弟の妻がグループにされた、その名も「嫁達」。勝手にグループにされた上に、メールの内容が、「父の日のプレゼントは、貴方の手料理がいいな」というもの。看護師、子ども付き添い入院という私たちに、お疲れ様もなく、だ。
<リハビリ記録>Day1 &Day2 ボバース病院の親子入院リハ。昨日、入院し今日からリハビリ開始。相部屋での親子入院に、まだ生活のリズムは作れていない。今日は、OTとPTのリハを受けた。清掃込みでお風呂40分はなかなかきつい。付き添いの食事をどうこなすかで、余裕の幅に影響しそう
<父の闘病日記>薬の効果が出ているようで、先日電話で話したら、声に張りが戻っていた。 #肺がんステージ4診断から、1ヶ月と3週
PVLの子どもが、やっと専門の病院で診てもらえることになり今日は診察日。一人前の付き添いということなので、夫に託す。 診察後の夫とやりとりしていたら、診断で、白質の壊死は広範囲に及んでいるけれど、範囲の割に知的影響はほぼ出ていない、ということも言われたと。 ”広範囲”?! これまで、範囲はわずかなので、もしかしたら障害というのもないかも、くらいに言われていたとこからの出発だったのに! 衝撃の言葉に放心。 気づかずに、2年以上過ぎてしまっていたのか、という衝撃。 その後
<父の闘病日記>自分が通院している病院に「がん相談支援センター」というのがあって、小さいけどがん相談室が設置されている。今日予約して、がんケアについて基礎的なことを聞いてみようと思っている。
<成長記録>気づいたら子どもは2歳9ヶ月だ!2歳児クラスの幼稚園がやっと始まり今年度の初登園。朝から携帯youtubeを見て、なかなかやめない。そのまま行かない、とか言いそうなのに「幼稚園行くの?どうする?」と聞いたら「行く!」とはっきり。あ、行きたいだ、と自分の世界を知った。
<成長記録>実家に帰省して、もうすぐ2週間になる。息子が今日、不意に「とととかかは、一緒に寝てないね」といった。「幼稚園に行く(行きたい?)」とも。春休みで、こちらも行かなくなって2週間が経つ。急に思い出したのかな。
<父の闘病日記>4月6日。およそ1ヶ月の入院を経て、退院。退院の日は、私には知らせなくていい、(自宅に)帰ってからでいい、と後妻に言っていたようで、なぜ教えてくれないのかと寂しく思ったが、今日帰宅してすぐに「今、帰って来た」と直後に連絡をくれた。アメとムチ。家に帰れてよかったね。
<父の闘病日記ura-ver.>父の突然の病気、しかも深刻なものが発覚し、うろたえたが、状況の複雑さのせいで心配が吹っ飛びそうだ。複雑というのは、再婚しているということ。後妻の方とは疎遠だが、これを機に初めて二人で話す機会を持てた。後妻は、父の不倫相手だったのだ。
<父の闘病日記>父は、なんとか病状が少し落ち着いたみたいで、電話口の声もやや元気になったように感じる。来月初旬には退院し、自宅で抗がん剤を飲みながらの療養に入るようだ。ひとまず、後1回は会えそうだとわかり、安堵した。
<成長記録>「100%オレンジジュース」の容器を見て、「カメラオレンジはくさーぺんそ」という。謎。かわいいかわいい、と思っていたら、ipadを15分のお約束でみ始めて、15分で終わりにしたら、今度は大泣きで手がつけられず。。。朝からジェットコースター。
<父の闘病日記>父は再婚している。後妻の方とはほぼ親しくない。父の血縁的身内にあたる親族は、私も含め県外在住。父の看病やら全てを、後妻に頼るしかない。とてもやりづらい。医者の説明も、後妻からしか聞かない。なので、正直、実際のところ細かい病状、治療方針などわからないのが現状。。。
<父の闘病記>肺がんはステージ4だとわかった。胸水を抜いたり、投薬治療も始まっていくらしい。骨の痛みがあり、歩くのもかなり激痛らしい。今日、電話で少し話すも、かなり辛そう。孫と少し話すと声がわずかに元気になる。「浜田で会おうな」と孫に声をかけていた。戻りたい気持ちが伝わってきた。
あの日が、父の運転の最後のドライブになったのかな。 でも、私も夫も孫も載せてのドライブだったからよかったよね。私の行きたいところ、夫の行きたいところ、どちらも連れて行ってくれたね。