衝撃

今日は夫の実家の墓掃除のため帰省した。
コロナのため、年末年始も帰省は控え、久しぶりとなる。

久しぶりの遠出の運転に夫も朝から緊張していたようだった。
それに、早く帰りたい、早く帰らねば(という無意識の親へのプレッシャー)という気持ちと、緊張とが相まっていたと思う。


私は、入院している父に先日購入したお守りを送りたいと思っていた。加えて、お参りの際に撮った息子が拝んでいる写真も添えたいと思い、コンビニで写真をプリントアウトしたかった。手紙を出せるよう、夜中に準備もしていた。父の弱々しくしんどそうな声を聞き、病院には行けない辛さを、なんとか埋めたかった。自宅からも2時間も離れている病院に入院している父を思うと、できることは限られすぎているけれど、なんとか気持ちを伝えたいと思った。
昨晩、泣いていた私も夫は見ていた。父の息絶え絶えの声も聞いたのに。

にもかかわらず、出発の20分か30分を、写真のプリント、手紙を出すことに割くことを惜しんだのだ。何もできないもどかしい様を目の当たりにしているはずなのに。それで、唯一できることに、どうして気持ちを寄せてくれなかったのか。そのことが怒りと共にショックだった。

そんな気持ちもわかってくれない人なのだろうか、と。

ほんの20〜30分。自分の親より年上の妻の親が、決して軽くはないだろう肺の病気を患い、家からも遠い病院でか細い声を出している。そのような状況に、何もできない娘(妻)の心境に、少し気持ちを寄せることができなかったのかな。


自分の親ならば、急いで帰省するだろうに。そうできない辛さを、想像できないのだろうか。何が嬉しくて、心配な自分の親を置いて義理の親に会いに行きたいだろうか。


夫の、その心無い態度に言いようのない寂しさや、この人は親と実家のためにしか自分の気持ちを動かせないのかな、と感じてしまった。
あまりにも強い親の存在や、あまりにも強い家の存在。
親子の関係にも違和感を感じてしまうし、これが長男という親に飼い慣らされてしまった末の結果なのか、と愕然としてしまう。


いや、優しいしいい人なのだと信じたいのだけど。

どうにも親と家のこととなると、強烈な違和感を感じてしまうことが、今日はっきりした。



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