見出し画像

木枯らし1号と優しい日差し

叔母から便りが届いた。叔母と言っても、父のいとこにあたる人で、実はそこまで付き合いがあるわけではない。
けれども、私はその叔母が好きなのだ。生前、祖母がいつもその叔母の話をしていた。ほぼ会ったことのないその人に、私はいつしか親近感を感じていた。祖母が亡くなった際に会い、話に聞いていた通り、凛とした方で、連絡先を私に渡してくれた。
その叔母からの便りだった。便りは、喪中を知らせれるものだった。お兄様が亡くなったとのことだった。
自身の言葉で綴る文面は、お兄様をよく知らない私ですらその訃報に悲しみがこみ上げてくるようだった。文面は、「でも寂しい」と結んでいた。こんなに素直で、寂しさ、愛しさがにじむ喪中ハガキを、私はもらったことがない。

祖母が亡くなった年の年末を思い出した。祖母のいなくなった家は、祖母の香りに満ちているのに、冷たく、暗くて、誰も私を迎えてくれなくて、自分の「おばあちゃん」と呼んだ声だけが響いて。年の瀬は、ゆく年くる年の除夜を聞きながら「あけましておめでとう」なんていって、ひっそりと過ごすのが常だった。亡くなった年の年の瀬も、祖母が寂しくないように、と祖母の家で過ごそうと思った。が、あまりに様子が違う祖母の家で、私は居ても立っても居られず、結局年の瀬を過ごすことができなかった。とても独りだった。

叔母は独り身だ。あの日の夜が、不意に重なった。叔母が気になった。
祖母が亡くなった時も、見送りの日はいいお天気に恵まれた。今年は、39年ぶりに、12月になっても木枯らし1号が吹いていないらしい。先週から暖かい日が続いている。叔母のために、そして亡くなったお兄様のために、木枯らし1号は出番を控えたのかもしれない。恵まれたお天気の日に見送れたことで、私は少し救われた。お兄様にも、叔母にもそうであったらいい、と心から思う。

いいなと思ったら応援しよう!