だから芸術に説明は要らないのだ。
20代の頃に出会った演劇の世界で様々な夢を見た。それは商業的価値とは程遠い場所で、只々観客との対話を独自の手法でおこなうものだった。
各地へ移動しながら、公演を楽しみにする観客と共に劇場を作り、演じ、劇が終わるとその夜は打ち上げが始まる。
観客は観たものの話をしたり、懐かしい再会を喜んだり、楽器を演奏したり、歌ったり踊ったりして酒を飲む。
劇場という一つの場に、その瞬間引き寄せられた人々のハレの時間が作られる。
そして劇場は解体され何事もなく日常に戻る。
形に残るものをとことん否定したかのような行為は時代の価値にあらがう為に生まれたのかもしれない。
しかし、生活をしながら続けられる形式ではなかった。
稼げなければ消滅する存在
持続不可能な営み
ただ、自分にとっては何よりも確固たる芸術の中で生きていた事が、どれだけ尊いことだったのか、今なら理解できるし、より鮮明に浮かび上がるようになった。
持続することを前提条件にして取り組む事は言葉で説明ができる。しかし、やはり芸術に説明は要らないのだ。
持続するかしないかは全く本質ではなく、人が生まれて死ぬように、芸術もいつか消える。
「怪物と戦う者は自らも怪物にならぬよう心すべし」
この言葉は、当時の演劇で一番初めにおこなうセリフ読みに使われた、ニーチェの言葉。
続けることに意味はない。何故なら日々の瞬間に芸術は宿るのだから。