8252日記~おひとりハハ82歳と52歳の私のこと~ #1 82歳でおひとりになる
母82歳、私52歳。離れ離れに暮らすハハとムスメ。 母は82歳で生まれて初めての本格一人暮らしとなった。
子と同居を願う母、それだけは避けたいコドモら。 母に自活させるために私が遠隔からやってることを綴っていきたいと思います。
同居を拒否するのは冷たいだろうか。でも、人それぞれ背景がある。できない事情もあるのだ。
今回は、おひとりになった経緯と父について。
母がおひとりになったのは、
父が入院して10か月たち、他界したためだった。
父の入院
父は90を過ぎて、体のあちこちに不調が出てきた。前立腺がんで手術したら、次は心臓の血管がつまりそうになり、それと同時に肝臓に腫瘍が見つかり、脳梗塞を起こしそうになっていたり。一つずつ、直しては、新たな不調が出て、のいたちごっこが始まった。
夏の一番暑いときに入院したら、そのまま病院で寝付いてしまった。
母は毎日着替えを持って行ったついでに、廊下から父を見舞い声をかけていたため、看護婦さんたちから仲のいい夫婦と言われていた。
そう聞いて、他人からはそう見えるのか~~とちょっと驚いた。
子どものころの印象だと、仲がいいように見えなかったから。
父も母も気が強い。亭主関白の父で、気に入らないことがあると大声で怒鳴る。たいてい、母はぐっと言葉を飲み込んでいたけど、表情や態度はきつかった。
仲睦まじい姿は見たことがない。いつもトゲトゲしていた。
亡くなる3日前
父が亡くなる3日前、病院は私と母を父に会わせてくれた。 母は、ベッドまわりをティッシュで拭きながら「お父さん、お父さん、大好き」と歌った。
大好きって、、、そんなこと、言うのか、80のばーさんが。
乙女だ・・・
母は父が好きだったんだ。
兄と私が生まれて家族4人で住んだのは18年あまりだけど、父とふたりの生活は兄が生まれるまでと、私が家を出てからだから、40年近くになる。
子どもらが知っている両親の姿は、私たちの視点に過ぎない。父と母の主観だと、私の視点とは全く違うんだろう。
見合いしてスピード婚だった両親
結婚したばかりの2人の写真を最近見つけたのだけど、父の強張った表情と対照的に母の照れくさそうな、少しだけ微笑んでいる顔が印象的だった。
ほんのすこーしだけ父の方に寄せた姿勢から、母の好きっていう気持ちの強さを感じた。 恋する20代の母と、母に好かれていることを知ってる30代の父。
お見合いしたその翌週末には結婚式っていうスピード婚だから、新婚生活が恋愛期間だったんだろう。初々しい写真だった。
父の体力が弱っていって、母が父をかいがいしくお世話するのは、母の生きがいになったのかもしれない。
そんな母の様子から、父は母を残していくのが心配だったんだろう。
もっと早くに逝ってしまってもおかしくはなかったのに、病院が大嫌いだったのに、父がこの世にとどまり続けたのは、母に、自分とのお別れを受け入れさせるためだったのだ。
父は父で、母をちゃんと思いやっていたのだった。
そっか。ちゃんと夫婦だったんだなあー。 父母の物語の主人公は父と母で、こどもっていうのはサブキャラなんだ。
母はといえば、ゆるゆると弱っていく父の変化を受け入れつつも、父がいなくなったら、全くのおひとり生活になるってことを想像できていなかった。そうなれば、兄がなんとかしてくれるだろうという期待もあった。
しかし、その期待は当て外れで、葬儀が終わってからも兄は母の生活についてなんら話し合うこともせず、さっさと帰ってしまった。兄は母の住む家から車で1時間のところに家族で住んでいる。
兄も私も普段の生活に戻るべく、散り散りになると、母は途方に暮れてしまったらしい。この広い家でひとりでどうやって生活していけばいいのか、この寒い寒い田舎の一戸建てで、ひとりで生活、できるんだろうか。
不安と孤独と寂しさと寒々とした空間が年寄りを襲ったとたん、母はちょっとおかしくなってしまった。
おかしくなってしまったのは、兄への信頼だった。