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日本は肩書き、所属先でほとんど決まる

私は昨年まで「◯◯会社の会社員」という肩書きを持っていました。

しかし、今は、「会社員」という肩書きはなく、
無職です。

「⬜︎⬜︎会社の会社員」などというと、名前が知られていれば、だいたいどんな会社かイメージがつくと
と思いますし、その会社の人なんだ、と相手のことがおおまかにはわかると思います。

ただ、無職となると、相手のことが、どういう人
かわからなくなるのではないでしょうか。

なんとなくイメージはできたとしても、
「なにもしていない人、社会に貢献していない人、
暇な人、どこにも所属していない人」など、
ネガティブなイメージを持つのではないかと思い
ます。

私たちは無意識のうちに、目の前の相手が
どういう人かではなく、相手が、「世間」的に高い位置にいるのか、低い位置にいるのか、組織の中で
どの程度の位置にいるのか、などの、場所を見て
いるからなのです。

どういうことか、以下で説明をしていきたい
と思います。


①肩書きや所属先が人の評価を左右する

たとえば、同じ大学でも、相手が東大生か、
Fランとされる大学の学生かで、「世間」の見る目や扱い、評価は変わります。

就活の時に、東大や早慶の学生は説明会に申し込めるのに、それ以外の学生は申し込めないような仕様になっているという、「学歴フィルター」、がある
ことをご存知の方もいると思いますが、これも学生の性格や能力、会社との相性ではなく、学生が所属している大学という、「世間」での立ち位置で判断しているのです。

『「世間」の評価の高い、偏差値の高い、◯◯大学を出ているんだから優秀に違いない』、と思って
採用してみたら、配属された場所でなじめず、
成果を上げられないまま辞めていった、という
ミスマッチが起きるのも、「◯◯大生」、という
学生の肩書きを重視していることが要因の一つではないでしょうか。

これは学生の側からも言えることです。

たとえば、IT業界に就職したいとして、
有名な大手企業で、業界1位とされる会社に
エントリーし、見事内定をもらったとしても、
入社後に、「思っていたのと違う、こんなはずじゃ
なかった」、と感じて、すぐに転職活動を始め
たり、辞めてしまうのは、「世間」で名が通って
いるから、業界の中で1位だから、という、就職先
選びの時に、肩書きを先行して候補の対象にする
ことが挙げられると思います。

もちろん、今はお互いに人となりを見ようとはしていますが、それでも、相手のことを知る最初の
手がかりとしては、相手がどういう場所に属して
いるかや、肩書きがまず優先されるのです。

相手の所属先や肩書を見て、「世間」の中で上か
下かを把握し、上ならそれなりの待遇をし、
ひとたび下だと分かれば、ぞんざいに扱っても構わない、という、その後の態度や振る舞い方を決めることにまで影響するのです。

たとえば、合コンで、同じ会社員の男性でも、
大手企業か、ニッチな分野では世界的にトップだと
しても、「世間」的には名の知られていない
中小企業かでは、女性の反応や態度が変わってくるのではないでしょうか。
(※誤解のないように付け加えますが、女性に対して批判をしたいわけではありません。)

Xでみかけたポストの中に、
一番楽でいい仕事は政治家じゃないか」という
ニュアンスのものがありました。

たしかに、政治家は、世間的には、
「先生」と呼ばれる職業ですし、お金の面でも、
相対的に高給で、学歴がなくても、大企業に勤めていなくても、選挙に勝てさえすれば、それまでの「世間」の評価を覆すことができます。

「世間」で重視される肩書きが欲しい人や、
「世間」から高い評価を受けたい人にとっては、
この上ないものではないでしょうか。

だからこそ、知名度や肩書きで当選したものの、
ろくに仕事もせずに寝てばかりで、ただ座って
いて、たまに失言をしても、しっかり毎月の給与とボーナス、手当は満額支給されるので、その地位を維持することだけが目的になっている政治家が
増え、国の将来のことなど考えないのは、ある意味当然なのかもしれません。

なぜなら、「世間」で重視される、知名度の高さや肩書きで選んでいるからです。

②受験と就職の目的

日本では、大学や会社などの所属先の知名度、
偏差値、序列の上下、肩書きの有無など、
「世間」からみた評価というものが、人間の価値
までも左右してしまうのです。

つまり、受験や就活は、以下のためにするのです。

・受験=「世間」の中で位置が高いとされる
肩書きを得るのが目的

・就職活動=「世間」の中で位置が高いとされる
所属先を得るのが目的

そこにはおよそ、人それぞれの興味や関心、
やりたいこと、やりたくないことなどの要素や、
まして、「人」という存在は介在しません。

「世間」の中で、所属先や肩書きのやりとりをする
ことで、人間の価値までも決めてしまうのです。

③「世間」が私たちの行動を決める

「世間」では、1人1人の人ではなく、
どういう所属先、つまり、どういう「世間」に
属しているかがまず重要で、次に、どういう
肩書き、身分を持っているかを見られるのです。

自己紹介をするときに、
氏名の次に、「◯◯会社の△△部署で⬜︎⬜︎職を
しています」、と言うのは、自分の所属や身分を
明らかにしますが、同じように、相手からの自己
紹介で、相手の所属先、「世間」を把握して、
自分と相手との序列、上下を決め、それに合わせた振る舞いをするのです。

たとえば、相手が大企業の営業部の部長であれば、
肩書きに見合った丁重な扱いをする。

もし相手が、下請け企業の営業部の部長であれば、
肩書きは同じ営業部長だとしても、大企業の部長と差をつけ、場合によっては下に見るようなぞんざいな扱いをすることになるのです。

待遇の差が出るのは、部長本人の人間性の差
ではなく、どんな会社、つまり、どんな「世間」に属しているかということで決まるのです。

「世間」が、私たちの考え方、行動、
態度までをも決めることになるのです。

これを私たちは無意識のうちにやっているのです。

なぜなら、私たちは、生まれた地域、幼稚園、
学校、家庭など、どこかの「世間」に所属し、
「世間」での生き方を身につけ、「世間」に従う
ことが当たり前になっているからです。

④おわりに

「世間」と「空気」、タテ社会などについて知る
ようになったなかで、日本で起きている問題の
ほとんどは、「世間」という存在に通じるのでは
ないかと思うようになりました。

特に、「世間」について知ることが、日本のことを知り、理解することにつながると考えています。

みなさんは「世間」についてどんなイメージを
持っているでしょうか。

「世間」について気になった方は、
『「世間」と「空気」』 鴻上尚史氏 講談社現代
新書
を読むことをおすすめします。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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