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休みが取りづらいのはなぜか
日本では「働き方改革」が叫ばれ、
以前よりは少しマシになったかもしれませんが、
「休むこと=悪いこと」
「休むこと=申し訳ないこと」
という考えが、日本人のなかには
いまだに根づいているのではないでしょうか。
「子供が熱を出した時に休みづらい」
「推しのイベントに行きたいけど休みづらい」
「親の看護、介護のために休みづらい」
「仕事から離れてリフレッシュのために旅行に
行きたいけど休みづらい」
これらは全て、私達が、
会社、職場という「世間」の目を気にしていて、
みんなの集まりである「世間」が、
1人の「個人」だけが休むことを認めないからです。
私達は休みを取る時、
「お休みをいただきます」と言いますが、
これは会社や職場にいる全ての「世間」の人々に
対して、許しを請うているのです。
そんなことを意識してはいないと思いますし、
当たり前だとさえ思い、無意識のうちに
やってしまうほど、私達は「世間」での生き方に
慣れてしまっている一方で、生きづらさや息苦しさを感じてもいるのです。
休みを取る、ということ1つとっても、
「世間」が関わってきて、私達の思考や行動を
支配してくるです。
それでは、休みが取りづらいと感じる理由を
4つ挙げてみます。
①"疲れた"アピールをしなければならない
劇作家・演出家の鴻上尚史氏は、
"「空気」と「世間」(講談社現代新書)"の本の
中で、会社で休暇を取った人を例に挙げて
次のように述べています。
会社という「世間」では、
例えば、1週間の休暇を取った人は、
会社に戻ってくると必ず、
「いやあ、雨に降られてさ」とか
「もうすごい人で、かえって疲れました」とか、
マイナスなことを言う傾向があります。
(中略)
それは、よく言えば日本人の気遣いです。
自分だけ楽しんで申し訳ない、自分はそんなに
楽しんでないんだ、ということです。
悪く言えば、「世間」に対するアピールです。
自分は楽しんだわけじゃないんだ。
大変だったんだ。みんなが仕事している時に、
自分も大変だったんだ。
だから、「世間」から弾き飛ばさないでほしい。
そして、「これ、つまらないものですが」
と言いながら、おみやげを出すのです。
旅行に行った、イベントに行ったなどの、
「個人」にとって楽しいことであっても、
同僚などの「世間」に対しては、
「楽しくなかった、疲れた」、という、
マイナスのアピールをしなければならないのです。
なぜなら、同僚達から、
「みんなは大変だったのに、あいつだけいい思いをしやがって」、という負の感情をぶつけられる対象にされてしまうからです。
②"謝罪"をしなければならない
皆さんの職場がどうかわかりませんが、
私が所属したことがある2つの会社のいずれも、
1日でも有休を取った人や、たとえ忌引きであっても必ず、休み明けに職場の同僚に対して、
「お休みをいただきありがとうございました」、
と言います。
表面上お礼の言葉のように聞こえますが、
鴻上氏のいう、"「世間」へのアピール"という
言葉を借りるならば、休みを取ったことに対して、
「"みんな"に迷惑をかけたことを申し訳なく思っています、だから仲間外れにしないでください」、
という謝罪と、「世間」から仲間外れにしないように懇願する言葉になるのです。
なにか有名人が不祥事を起こした時に、
「世間の皆様をお騒がせして
申し訳ございません」、と言いますが、
これと同じことを、
休みを取った人は、同じ職場の人間達に
言わなければならず、職場の同僚達も、
「お休みをいただきありがとうございました」、
という言葉を無意識のうちに求めるのです。
そもそも、同僚への感謝であれば、
「ありがとうございました」だけですむはずです。
なのに、"お休みをいただき"という前置きが
必要なのは、職場という「世間」の皆様に対する、
言葉だからです。
そしてもし、
「お休みをいただきありがとうございました」、
と休暇を取った人が言わなかった場合、
「あいつがいなかった分、
俺(私)達にしわ寄せが来たのに平気な顔している」、
「みんな大変なのに自分だけ休んで、
"いいご身分"だな」
「みんなに休んだことに対して、
何もないやつの仕事は後回しにしよう」
などと悪口を言われたり、陰口を叩かれたり、
場合によっては、実務に支障をきたす場合も
出てきます。
だから、休みを取った人は、
それらの陰口や嫌がらせなどをおそれて、
「お休みをいただきありがとうございました」、
と言うのです。
③"お返し"をしなければならない
「お休みをいただきありがとうございました」、
という言葉だけでは、「世間」はよしとして
くれません。
なぜなら、
「世間」は、贈与・互酬関係、
つまり、"自分がなにかをしてもらったら、
みんなにお返しをする"、
"みんなになにかをしたら、自分に見返りがある"、
という前提、ルールがあるからです。
たまに、「旅行に行ったのにお土産ないの?」、
という人がいますが、あれは「世間」のルールに
より忠実な人なのです。
職場の場合で言えば、
"自分が休みをとらせてもらったから、
その分同僚に、お土産を渡す、仕事を手伝う"、
"誰かが休みを取ったら、
その分お土産をもらったり、自分の仕事を手伝ってもらうことができる"、
という考えが、日本のどこの会社、職場、
つまり、「世間」にあるからです。
休暇を取った人がお土産を買うのは、
楽しかった喜びを同僚と共有するためではなく、
「自分が休んだ間ご迷惑をお掛けしました、
お詫びの印にこちらの品をお納めください」、
という、"「世間」に対するアピール"なのです。
だからもし、休みを取った人が、
お土産を買ってこなかったり、
同僚の仕事を手伝わなかった場合、
「休んだことに対する謝罪をしないだけでなく、
見返りもよこさない無礼なやつ」、
という烙印を押されることになります。
だから、職場で一度でも休みを取ると、
同僚にお土産を買い、自分の仕事だけでなく、
同僚の仕事も負担することを強いられるので、
休みを取ること自体がしんどいと感じるのです。
④"みんな一緒"でなければならない
「世間」は、所属する人間がみんな一緒であることを求め、1人だけ違うことをするのを許さないの
です。
表面上は許したとしても、
①の謝罪や、②の見返りがないと、
休んだ人は、職場の同僚という名の「世間」から
攻撃され、やがて排除されます。
部内の新しい情報が共有されなかったり、
人事評価を下げられたり、
陰口を叩かれたり、
有形無形の"いじめ"が、「世間」の気が済むまで、休んだ人間が謝罪し敗北を宣言するまで
繰り返されるのです。
これは、一企業の一職場の話だけではありません。
自動車業界、建設業界、IT業界など、
会社が所属する業界という「世間」の中でも、
1つの会社だけ休む、ということをよしとしません。
だから、ゴールデンウィークや、お盆休み、
年末年始など、業界によって例外はありますが、
"みんな"一斉に休みになる連休しかありません。
大手企業や、業界1位の企業などは、
ある程度自社独自の休みを設定できるかも
しれませんが、たとえば、人材獲得のために、
中小企業が独自の休暇制度を作ったとしても、
みんなと違うことをして"いいご身分"とみなされ、取引先から嫌がらせをされたり、ビジネスチャンスがなくなり、業界内で干されてしまうかも
しれません。
だから同じ業界内では、
業界1位の企業がしている取り組みや制度を
マネする、つまり、"みんな一緒"になろうと
することで、どこの会社も大差ないということに
なるのです。
職場にしろ、会社にしろ、
「世間」はとにかく"みんな一緒"であることを、
「世間」に所属する人間達に求めます。
だから、みんなと違うことをしようとすると、
つらいと感じ、あたかも自分が悪いかのように
錯覚してしまうのです。
「休む」、という行為はまさに、
みんなとは違うことをするので、
自分の事情や都合で休む、ということが
難しく感じてしまうのです。
今は「働き方改革」や、
人材獲得のためなどによって、
各社独自の制度を設けている企業も
出始めています。
しかし、どんなにいい制度があっても、
産休や育休、介護などの休暇が、
制度としてはあっても、実際に使われていない
ケースもあります。
それは、会社や職場という「世間」の力が
いまだに強いからです。
休みを取りやすい職場環境を整えるのであれば、
「世間」について知ることが必要だと考えて
います。
なぜなら、「世間」が、私達が実際に生活している場であり、その存在やルールについて知ることで、
これからどのように会社や職場をいい方向に変えていくかという行動につながるからです。
皆さんは休みを取ることに対してどのように考えているでしょうか。
ここまでお読みいただきありがとうございました。