I don't Know SIAM's EYE【不問1】

「―――そろそろかな」

軽く投げた視線の先には、シンプルなデザインの掛け時計。
いつも決まった頃合に、何とはなしに時刻を確認する。
もう日課になりつつあるのが、我ながら少々照れ臭くて、吹き出しそうになる。

その習慣が生まれるきっかけも、そう、いつかの日のこのくらいの深い夜。
理由さえ思い出せないくらいの気まぐれに、ほんの少し窓を開けていただけ。

「……その隙間を、まるで狙いすましたみたいに」

ひんやりした微かな風と一緒に舞い込む、眠り始めた世界のかけらに紛れて。
君はあの時、私のテリトリーに、あまりにも自然に滑り込んで、瞬く間に居場所を作ってしまったのだ。

「―――はてさて君は一体全体どこの子だい?」
一丁前に首輪をつけているし、身体も痩せこけてはいない。毛並みも割りとキレイ。
てことは、野良の子ってわけじゃないのかな?

プチ家出?それとも奇妙な冒険中?
まさか、晩ご飯の食べ歩きツアーなんてことしてないよね?

そして、こうも臆することなく堂々とひとさまのおうちに推参するとは、何とも大した度胸だ。
それとも、この子達にとってみたら、これが普通なのかな?

「―――さて、どうしたものか」

つい先ほどまで、ゆったりと弛緩していた私の意識は、見違えるほど鮮明になった。
その代わり、この憎めない侵入者への関心ですっかり占められたみたい。
しかしまあ、なんせこんな出来事はそうそうあるものじゃない。
少なくとも私にとっては、随分と久し振りだったりする。

だからそれなりに驚いているものの、同じくらい、わくわくしてしまうのも、致し方ない事だろう……?

おっかなびっくり近づいてみる。逃げない。好奇心は強そう。
……いやいや、それはお互い様かな。
思わず手を伸ばしていた。少し身構えるが、まだ逃げない。
でも、怖がらせたくはないから、触るのはまだよしておこうかな。

首輪についていたプレートが視界に飛び込む。書いてある文字は、きっとこの子の名前かな。
会ってもいない飼い主様のセンスを垣間見る。…・・・そっと、その名前で呼んでみた。
賢そうな、でも悪戯好きそうな顔をかしげて。私の瞳をじっと覗き込んで。君は一声鳴いた。
「それは、ご挨拶のつもりかい?」

今にして思えば、あの眼差しとあの声で。あの瞬間私の心に君の爪を立てられてしまったのだ。

夜の帳をするっと潜り、悪びれなく姿を現す時は……歪みひとつ無い黒真珠のように丸く。

我が物顔で部屋中を闊歩している間は……金色のビロード生地に柔らかく抱かれた影色の錐のように細く尖り。

ひとしきり戯れた後の帰りしな、もう一度こちらを振り向くと……美しく並んだ二つの杯は漆黒のリキュールで満たされていて。

気付けば、再び部屋に独り残された私を見出して。微かな寂寥感を道連れに寝床にもぐりこむ。

元来瞳孔には、眼に必要な光を取り込む働きがあって。
暗ければより多くの光を取り込むために、瞳孔が開いて大きくなり、
明るいところでは逆に細くなることを知識の上では知っているけれど。

頭では分かっていても、そこに神秘性を見出してしまう。
隠された意味、なんてものを勝手に夢想してしまう。
些細な生理現象にさえ、想像力の翼をはためかせてしまう。

「……何かを、期待してしまう?」「何かを、憂慮してしまう?」「何を……」

この狭いワンルームでは、私の膝の上では、君の遊び場としては少し退屈のような気もするし。
君が安らぐには少し、頼りないような気もするし。

「あっ……こら、痛いよ」
「ばりばり爪を立てないで」

いざ迎え入れよう、ってなったとしても、それはそれで考えることも、気を揉むようなことも増えるだろうし。
だのに君は、そうしてそ知らぬ顔で気ままに遊び回ってさ。
そんな君に魅せられて。一つでも多くの君を知りたいと願って。
でも、君が見ている世界を、辿って来た軌跡を、
所詮私には夢想することしか出来ないし、しかもその答え合わせは永久に叶わない。

今より幸せな時間が訪れる保証なんて、今にも零れ落ちそうな星々にだって分からない。

「……とは言っても?」

よくよく落ち着いて考えてみれば、そんなのはしごく当たり前の事で。別段嘆くようなものじゃない。
それでも日毎夜毎ダンスを始める胸の鼓動とか、昇った陽がまた沈むまでふわふわとまとわりつく浮遊感とか、
君が訪れてから、そんなこんなを、全部、全部、ぜんぶ。

「―――持て余す」

だから私は今夜も、少しだけ窓を開けて、待ち詫びてみる。
少々熱に浮かされたって、オトナの振りなんて慣れたもの。
なけなしの毅然さを取り繕って、使い古した平常心のマスクをぴたりと着けて。
心許無い心のタガを、頼りない両腕で抱きしめて。
努めて冷静に、嘯くように。

「私の時間なんて、胸の痛みなんて、安いものだから……さ」

「だから、だからいつでも……気兼ねなく」

「―――おいで」

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