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HLAB Alumni Interview #4-1 佐々木弘一(参加者としてのHLAB、出会いと挫折)

HLABは2011年以来、高校生、そして大学生の多くの参加者が、各々のフィールドで活躍しています。

今回は、HLAB Alumniにインタビューをしていく企画第4弾として、2012年参加者、2013小布施実行委員、2014実行委員長の佐々木弘一さんのインタビューを掲載します。

インタビューは3回に分けてお送りしてまいります。(第2回/第3回

第1回目は、佐々木さんが高校生として参加したHLABの経験についてお話しいただきます。自信満々だった高校生時代の佐々木さんは、HLABに参加して何を感じたのでしょうか?

──はじめに、HLABとの関わりを話してもらってもいいですか?

佐々木さん:わかりました。僕は高校生でHLABに参加したんですけれど、2012年の東京開催の年でした。僕自身は、その時高校3年生で、受験生の夏なので、周りからは勉強しろと期待されていたし、先生からも「なんでそんなの行ってるの?」という視線を感じていましたが、それでも行きたかった。

HLABのことを初めて知ったのは、ウェブサイトをネットサーフィンして見つけたとかそういうのじゃなくて。僕、群馬県立高崎高等学校の出身なんですが。

──はいはい。HLABにいっぱい、カリスマ的な人をたくさん輩出している高高(註:高崎高校の略称)ですね。

佐々木さん:それで、隣にある前橋市に、同じ男子校の公立高校があるんですけど、そこに通ってる子と中学時代に塾が一緒で、その子がHLABのことを知っていたんです。なんで知ってたかというと、その子は海外大学への進学を当時から考えていて、その子がFacebookにHLABについて投稿してるのを見て、「あ、こんなのあるんだ」みたいなことを思いました。

──その子は2011年に参加したんですか?

佐々木さん:その子は参加者ではなく、2011の参加者と知り合いだったみたいで。そういうきっかけでHLABを知ったんですが、高3の夏に勉強一辺倒になるのは嫌だなってのは、ずっと思っていました。それでHLAB以外の群馬県内でやっているプログラムに参加したりしていたので、その延長線上でなにかできることはないかなと思ってたら、「HLABがあるじゃん。これは群馬にはないものだ!」みたいなことを思いました。

そこで、「これはなにか良い出会いがあるかもしれない」というような思いで、HLABに向けて参加を決意しました。

2011年に高校生としてサマースクールに参加したときの一枚(佐々木さんは写真一番右)

──親や先生の反対は強かったんですか。

佐々木さん:反対されたけど、なんとか説得しました。受かっちゃったし、せっかくだし行く、みたいな感じでした。これで東大落ちてもしょうがないから、くらいの気持ちで。

──もともと東大は目指してたんですか?

佐々木さん:はい、東大はずっと目指していましたね。僕、結局は、高崎高校に進学したんですけど、高校受験で東京や埼玉の国立・私立高校を受験するという、群馬の中学生のなかでは特殊な受験を経験していたこともあり、高崎高校入学後も今いる環境で満足していてはダメなんだろうなって感覚を持っていました。

高崎高校で1番になったとしても、開成で1番なわけではないし 300番くらいでしょ、みたいな感覚を内心では持っていました。すごい嫌な高校生ですよね。校内順位とかが良くても、「いや、ここで満足しちゃだめだ」みたいな。超否定的な上昇志向というか。

その考え方も、勉強が好きだったので、性に合っていました。だから、HLABもなんとなくそういう延長線上で。群馬にはないけど、東京とか、関西圏の優秀な高校生が集まる場所みたいなイメージでした。

なので、「HLABに行けばすごい人達に会えるんじゃないか」と思っていました。大学生も、東大とか、ハーバードだし、何かすごい出会いがあるんじゃないか、みたいなことですね。地元に対する偏見とまではいかないかもしれないけど、地元じゃなくて東京の方が良い、みたいな感覚があって、そういうものをHLABに勝手に投影してたっていうのは、ありましたね。

──実際に行ってみてどうでした?

佐々木さん:やっぱり衝撃を受けました。結局、僕が高校時代に参加した明石塾みたいなプログラムも、誰かがもう作ってくれていたもので、自分はそれを消費する存在でしかなかったけれど、HLABに参加して出会った高校生は既に自分でに何かしら創り出していたというか。

たとえば鮮明に記憶に残っていることは、灘高校から来てた子の活動です。彼は灘で新聞部の活動をする一方で、東日本大震災以降、議論の的になっていた原発問題について高校生ならではのアプローチで何かしらその問題に取り組めないかという問題意識から、高校生が原発問題をテーマにビデオメッセージを投稿できるウェブサイトを立ち上げていました。「ああ、僕が成し遂げたと勝手に思ってたことはちっぽけなことだったんだ」と思いました。

大学生の存在も大きかったですね。「こういう場を作るってどういう感じなんだろ」みたいなことや、そもそも「なんでこういうことを普通にできてるんだろう」みたいな。普通に英語を喋っているところもそうだし。普通に何百人も動かすというか、うまくマネージするってのもそうだし。そのへんはやっぱり衝撃的で。

当時の自分はすごくズルかったなと思います。青いなと思うのは、結局「群馬じゃない、東京だ」みたいな理想を持ってたにもかかわらず、HLABで自己アピールできることと言ったら地方出身、群馬出身ってことくらいで。二枚舌ですね。群馬では、群馬に足半分つっこんで、もう片方の足は東京にあるぜ、みたいな感じなのに、東京に来たら来たで、群馬出身であることくらいしか、頼れるものがない、みたいな感覚。今考えるといやらしい高校生だったと思います。

──HLABに期待していたのは、東京や海外にいる大学生と出会えることだったのか、それとも他の県にいる高校生と会うのが楽しみだったのか、どちらの方が比重としては大きいですか。

佐々木さん:どちらも楽しみではあったんですけど、やっぱり大学生がどういう生態、生態というと失礼ですが、どんな存在なのかを知りたいということを、どちらかというと重視していました。HLABに参加する前に、6月にプレHLABみたいなイベントに参加していまして。

──ゼットラボ?

佐々木さん:そう、ゼットラボ!そのゼットラボがやばかったというか。鹿野豊さん(註:現慶應義塾大学大学院理工学研究科特任准教授)がいらっしゃってましたよね。鹿野さんが登壇されていたゼットラボのパネルディスカッションの企画や、そのあとにやっていたフリーインタラクションの企画で、いろんな大学生と交流できる機会があったんですけど、そこがもうすごくて。

ゼットラボが開催された時にはもうすでにHLABにアプリケーションを出していて結果待ちで、翌日に結果発表みたいな状況だったのですが、「あ、これは応募して正解だったな」って思いました。

──嬉しいですね。

佐々木さん:こんなゼットラボ的なものがHLABで毎日繰り返されるんだな、みたいな。期待が高まったのはめちゃくちゃ覚えてます。

──ゼットラボの高揚した感じは、HLABでは持続しましたか?それとも、もうちょっと違う感情がありましたか?

佐々木さん:違いましたね。その余裕がなかったというか。ゼットラボのときは、時間も短くて、ハウス内でのリフレクションを通して、自分の弱さだったりとか、悩みを共有するような深みには至らないじゃないですか。

サマースクール本期間中は話す大学生も高校生も、彼らの持ってるものがすごく大きくて。すごく熱意を捧げてるものがあるんだなとか、それこそ一人一人がそれぞれのフィールドに打ち込んでいるというのがあって。ずっと萎縮していて、正直なところつらかったです。実は、HLAB期間中は大学生とあんまり話せてないんです。

──すごく意外です。ハウスの大学生以外とあんまり関わってないって。

佐々木さん:そうですね。怖かったし。相手の話を聞くのは、基本的には好きなんですけど。当時の僕は、相手が何かを提供してくれたら、それと同じ重さのものを返さなきゃいけないんじゃないかな、って思ってたんです。よくわからない思い込みなんですけどね。

──じゃあハウスの大学生にはすごく交流したりしたんですか?

佐々木さん:そうですね、ハウスの大学生とはわりと話しました。

──誰がいました?

佐々木さん:御園生さんと松沢さんと、理子ちゃんです。あと、たまちゃん。たまちゃんはロジで大忙しで、たまにしかハウスに顔出されてなかったんですけど。
で、SLがStephaneと、Hannah。

──すごいメンバーだな。たしかに、それで十分かもしれないですね。

佐々木さん:ハウス内で大学生がめちゃくちゃ議論してるみたいな。議論というか、口論というか。面白いハウスでしたね。


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