HLAB Alumni Interview #6-1 伏見崇宏(HLABとの出会い、1年目のサマースクール)
HLABは2011年以来、高校生、そして大学生の多くの参加者が、各々のフィールドで活躍しています。
今回は、HLAB Alumniにインタビューをしていく企画第7弾として、2011年実行委員、2012年実行委員長だった伏見崇宏さんのインタビューを掲載します。
インタビューは2回に分けてお送りしてまいります。(第2回はこちら)
第1回では、インタビュアーをしていた、HLABの小林亮介との出会い、そして、1年目での経験についてお話いただきました。まさに、「縁」としか言いようがない、不思議な出会いについて教えていただきました。
──今回は、伏見崇宏さんのお話を聞かせていただきます。そもそも、最初は僕ら(註:インタビュアー、小林亮介)はどこで会ったんでしたっけ?
伏見:最初は、日本ではなく、パリで会いましたね。G20 Youth Summitという学生版G20会議に参加していた時に泊まっていたホステルに帰ってきたら、同年代くらいの日本人が日本語でSkypeに話しかけてる所に遭遇しました。
──たまたま行ったホテルだったんだよね。
伏見:そうそう、そうだよね。亮介は泊まってなかったんだよね。
──その日に泊まるところを探して入ったホテルで、たまたまWi-Fiがあって、HLABが始まったばっかりだったから、山崎奈都子さんと電話して打ち合わせしてたら、急に日本人の二人が話しかけてきてね。それが伏見さんと高橋祥子さんだったんですよね。
伏見:それが、2011年のはじめだね。その時に亮介がHLABの話をしてくれて、日本に帰ってきてから企画書頂戴していて、読みました。僕自身が中学受験と大学受験を経験して「この国の教育システムは何なんだ」と違和感を思っていたので、パリから帰国して、改めて企画書を読み、これはやるしかないと思って、飛び込みました。
──あの長い企画書だよね。20ページもあるのに、企画自体に言及してるのは1ページ。
伏見:そうですね。他のページは、日本の教育制度と海外の教育制度の違い、現状と課題とみたいに、いろんな情報がまとまっていましたね。本当に壮大だった。
その企画書の内容を元にサマースクールを作ろうと思ってるということを聞いていたから、すぐに亮介に連絡して、”I wanna do this”、一緒にやりましょうって言って。それで5月かな。そこから実行委員に参加することになりました。
──1年目を振り返ってみて、思い出に残ってることとかありますか?
伏見:全部が1つの記憶みたいな感じで、切り取れないぐらい、本当に密な時間でしたね。合流してから毎週ミーティングしてたし。
──毎日やってたよね。そして、毎週新しいメンバーが増えるみたいな。
伏見:強いて言うなら、僕自身が文明塾という機会でコーチングという概念を学ぶセッションを受けていたことを生かして、高校生に対する傾聴の姿勢の持ち方について資料をつくってのプレゼンをしたことが、個人的な思い出かな。
──ドタバタだけど、一年目も色々と我々も学びはあったよね。三ヶ月で作らなきゃいけなかったからね。
伏見:しかも、サマースクールが始まってからも、高校生が寝た後に次の日の企画を固める、みたいな。だから打ち合わせが朝の1時とかから始まって、4時とか5時に終わって、みんな2時間ぐらい寝て、朝起きるみたいな。
──伏見さん、サマースクール中にヒッチハイクしてなかったでしたっけ。
伏見:してましたね。Apple企画といって、みんながサマースクールで学んだことを最後にまとめて動画にする企画があったんですよ。それを片山直毅さんのリードの元、僕の親友だった関と準備をしていたのですが、全然企画が詰まっていなくて。
サマースクール中に、Appleへ直毅さんと打ち合わせに向かったのですが、その途中「話すことが決まっていない」と言われて、とても焦ったんですね。そこで、Appleのビルの外で三人で「こういう絵を書いて、こういうふうにやりましょう」みたいな感じでなんとか形を作って、打ち合わせに臨みました。だけど、打ち合わせが終わっても直毅さんは「まだふっしーと関が言ってることがわからない」みたいな調子で、すごくモヤモヤしていて。
それで、帰りに「もうちょっとぶっ飛ばなきゃダメかな」と言って、なぜか銀座からヒッチハイクして帰ろうって話になって。「本郷三丁目まで」というプラカードを掲げて、止まってくれた運転手さんに「タクシー乗らないんすか?いいんですか?」とか言われながら乗って行きました。
ヒッチハイクで乗せてくれた人たちと。言葉に表せない自信になりました。
──他にも思い出はありますか?
伏見:実は二年目につながるんですけど、サマースクールが終わった後にみんなで打ち上げに向かうタクシーに、なぜか亮介と一緒に乗っておりまして。タクシー乗ってちょっとしたら、亮介がいきなり俺の肩ポンと叩いて「ふっしー、来年代表やろう」って言ってきたんです。で、僕が「やります」って言って。二つ返事だったんですけど。
──あっさり決まった。
伏見:翌年の代表が、誰にも相談せずに、タクシーの中で決まるっていう。でも、僕にとってはやっぱりイージーアンサー。すごく僕はその時に亮介にそういう声をかけてもらって、僕の大学生活はすごく変わったなあと思います。
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