HLAB Alumni Interview #5-2 織部峻太郎(進路選択とHLABコミュニティ)
HLABは2011年以来、高校生、そして大学生の多くの参加者が、各々のフィールドで活躍しています。
今回は、HLAB Alumniにインタビューをしていく企画第5弾として、2012年参加者の織部峻太郎さんのインタビューを掲載します。
インタビューは3回に分けてお送りしてまいります。(第1回/第3回)
第2回は、織部さんの進路選択や、HLABコミュニティとの関わり合いについてお話を伺っています。
──結局、医学部に進んだんですよね?どのような紆余曲折があって、そのような決断をしたんですか?
織部さん:文系のコースを選択してからも自分の中でなんとなく違和感があったんです。サッカーから離れて、少し物事を考える時間が生まれたことも多少なりとも影響したかもしれません。その違和感がもっとも大きくなったのは、それこそHLABに参加する直前に、高校の夏休みの課題で老人ホームでボランティアをした時です。
──珍しい課題ですね。
織部さん:ええ、そもそも課題で行ったのでボランティアと呼べるかは難しいところですが笑。僕が行った施設は、要介護度が高い方達が入所する施設だったこともあり、こちらから呼びかけても、5回目の呼びかけで初めて伝わるといったこともままありました。でもそんな施設で一日を過ごす中で強く感じたのは、目の前の人からありがとうと言われる仕事ほどやりがいのある仕事はないということでした。
実習の終わりに、僕が職員の方に「医療・介護の現場では、労働環境が良くないと言われることも多いですが、世の中に法制度だったり、こういう仕組みがあるとうまくいくと思う点はありますか」と質問したんです。当時興味があったのは、医療よりも法律の方だったので。
すると職員の方が「自分たちは現場の人間だから、法制度とか難しいことは良く分かりません。ただ昔と違って70, 80歳の小柄な女性だけでなく、50, 60歳の背の高い男性も入所することがしばしばあって、女性中心のスタッフでは中々手に負えないこともあるんです。」と答えてくれたんです。
そのやり取りを通じて、もしかすると自分は現場を見なくとも、うまい仕組みさえ作れれば、世の中がうまく回るだろうと考えていたことに気付かされたんです。そんな自分に対して、職員の方は法制度とか難しいことは良くわからないと謙虚に言いつつも現場ではこういう点が問題だというのをはっきり意見として持っていて、自分が情けなく思えたのを今でも覚えています。もし、将来そうした仕組み作りに関わるとしても、まずは現場を見てから考えた方が自分には合っていると思いました。
──HLABに参加した時には、もう医学部に進もうと決めていたんですか?
織部さん:違和感は大きくなる一方で、今から理系に転向しても、高校でコースを変えることは基本的にできないし、果たしてうまくいくのだろうかという不安がありました。それで、HLABに参加した時に、思い切って大学生の先輩たちに話してみたんです。医学部の人はもちろん、法学部や経済学部をはじめ分野を問わず、色々な大学の色々な学部の人が来ていたので。意見は肯定的なものから否定的なものまで様々でしたが、僕が抱いていた違和感に対して、とても熱く正面から向き合ってくれて、自分の決断を後押ししてくれました。それでも最終的に決断するまでにはその後も数か月悩んで、受験勉強はだいぶ苦労しましたが(笑)
──先輩からのアドバイスが後押しになったとのことですが、医学部進学に対して、HLABの後輩からの相談がくることはありますか?
織部さん:ありがたいことに、結構な頻度で声をかけてもらえることがあって、今年は僕の大学に、高校の後輩が2人、HLAB関連でも1人入ってくれました。
──もしそういうHLABの関わりの一つとして、進路相談みたいなところがあったら話してもらえるのでしょうか?
織部さん:もちろんです。
──それはやっぱりHLABの後輩だからっていうような?
織部さん:もちろんそれもありますし、HLABでなくても自分に相談がくれば、いつでもウェルカムです。僕もこれまで多くの先輩にお世話になってきたので、それを後輩に還元していきたいとは常に思っています。
ただ、HLABの後輩と話していると、視点が他の高校生に比べても広くて、非常に話はしやすいというのはありますね。相談に乗る時になぜ医学部に進みたいのか、尋ねながら話を聞く訳ですけど、話していて楽しいのは、何かその人なりのエピソードが強くあったりとか、他の分野も実は興味があるんだけど、医学と組み合わせてこういうことがやりたいとか、その人なりの視点を持っている場合ですかね。もちろん、医学部でどういう勉強をするかとかは語れても、動機付けは僕からはできないですし、僕自身、自分ならどういうことができるだろうか考えながら過ごしてきたつもりなので、そういう人にアドバイスはあげやすいなっていうのはありますね。
──HLABの後輩とは、どのように関わっていきたいですか?
織部さん:シンプルなことしか言えないですけど、今高校生で進路に悩んでいたら、いつでも声をかけてほしいなと思います。僕も医学部に入るまでも、医学部に入ってからも何をするかというところでも悩みながらきたので、参考になる部分もあるかもしれないと思っています。
また、多くの人も疑問に感じていると思うんですけど、 高校のときに見える視点はすごい狭くて、どういう職業につきたいか考えた時、学校の先生と自分の親ぐらいしか働いている人と深く触れることが無いと思うんですね。でも、世の中には色んな仕事があって、例えば医学部に入っても、臨床・研究・行政・ビジネスなど医療への関わり方も多様化していますし、できるだけ多くの人に話を聞いて、自分が楽しそうと思うことと、話している人が楽しそう、こういう風に自分もなりたいと直感的に思えることが重要だと思ってます。
──実際に医学部に入ってみてどうでしたか?
織部さん:膨大な量の知識を頭に入れないといけないので、途方に暮れるときもあります。一度理解して覚えたつもりでも時間が経つと忘れてしまうので。4年次までは座学が中心なので、面白い科目もあれば、正直なところ今ひとつ興味の持てない科目もあったりしました。ただ、ここ最近になって病院での実習が始まってきて、自分の中でも向き合い方が少しずつ変わってきたかなと思います。やはり実際の患者さんを相手にすると、その病気について理解を深めて、もっと何かできないかと思うこともありますし、病気を抱えているにも関わらず気丈に振る舞う患者さんを見て、鼓舞されることもあります。
診療科も含め、将来について考えた時、どのように医療に関わっていくかは、元々関心領域が広い上、優柔不断なので、絞るのにいつも苦労するのですが、自分がやっていて楽しいこととそれが何らかの形で社会の役に経つことが重なるところに身を置ければいいと考えています。医学部に進んでよかったと思うのは、社会の役に立つという後者の点に関しては、どのような進路に進んでも満たし易いということです。
──高校の時は結局留学には行かなかったわけですが、大学ではそうした機会はあるんですか?
織部さん:大学に入ってからはありがたいことに、大学関連のプログラム、プロジェクトでイギリス、ロシア、アメリカ、インドを訪れる機会をもらい、非常に良い経験をさせてもらって射ます。僕の大学では、3年次に研究室に配属され、研究に触れることのできる期間があるのですが、その期間、ボストンにあるハーバード大学の付属病院であるマサチューセッツ総合病院にて脳卒中の研究に携わらせてもらう機会を得ました。
脳卒中のような脳血管障害では、脳への血流が不十分になり、脳にある細胞が死んでしまい、結果として言語障害や四肢麻痺などを引き起こします。以前までは、神経細胞(ニューロン)を再生させることが脳卒中の治療において有望と見なされていたのですが、そのようなアプローチには限界があることが分かってからは、2001年に提唱された、神経細胞に加え、脳にあるグリア細胞と呼ばれる細胞がそれぞれ相互に関わりあって一つの構成単位となっている(Neurovascular Unit)という考えが中心となり研究が進められています。私もそのようなグリア細胞の一種であるミクログリアという、脳にある不要物の除去を主な役割とする細胞に着目をして、研究を行なっていました。もちろん学部生の段階で一人で全てができるわけはなく、多くの人にお世話になりました。
30名ほどのラボだったのですが、世界中から優秀な人が集まっており、手技や知識はもちろん、どういった姿勢で研究や仕事に向き合うかなど、勉強になった点が多くありました。なかなか思うようなデータが取れず、遅くまで残ったこともしばしばあったのですが、苦になったことはあまりなく、もしかすると新しい知見が示せるかもしれないというワクワク感が占めていました。HLABの同期でハーバードに学部から進んだ大柴くんにも再会でき、HLABのコミュニティが世界中に広がっていることを実感しました。留学先で関わりのあった人達とは今でも交流が続いており、日々自分も頑張らなくてはと思います。
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