貫成人『哲学マップ』より

「〔…〕なにかを対象化する能動的認識活動は、つねにすでに、対象化を逃れる、受動的知の構造によって可能となる。
 受動的知を足場にしながら、認識活動を営むことにおいて成立するわれわれのあり方をフッサールは志向性とよぶ。志向性とは「何ものかについての意識」であり、われわれはそのような対象との関係としてしか機能しえない。
 意識と対象との関係は「つねにすでに」成立している(「事実性」)。いわゆる「図と地の関係」において、図は浮き立って見え、地はその下に入り込んでいるように知覚される。こうした知覚の構造は、正当化や哲学的論証以前に、われわれの経験においてつねにすでに機能している事実性だ。従来の哲学は「自我」「実体」「因果」などにかんする概念分析によって外界の存在などを論証しようとしたが、フッサールはそれを斥け、経験が成立する事実的構造を分析する現象学的分析をおこなう。〔…〕」

貫成人『哲学マップ』ちくま新書、2004年、157〜158ページ。

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