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【短編小説】風が呼ぶほうへ

将来なりたいもの、やってみたい事があり、そこに向かって迷いなく進んでいける人はどれだけいるのだろう。
宮地タケルは公園のベンチに座ってボンヤリと薄紅色から若葉色へと衣替えを始めている桜を眺めながらそんな事を思った。
この春、高校三年生になり、否応なくタケルは自分の将来について考えなければいけない時間が増えた。自分が何をしたいのか。考えれば考える程に自分には他人に勝る特技がある訳でも、これから叶えたい夢がある訳でもないことに気づく。山も谷も紆余曲折も無いなら無い方が良いではないのか。大学も自分の学力で合格できるところを選べば良い。ただそんな人生ではなく、コレだと思うものに人生を賭けたい気持ちもタケルの中にはあるのだ。最もそれが見つけられなくてこうやって悩んでいる訳だが。
「今日は制服なんだね」
タケルの耳にその声は届いた。
声のした方に顔を向けると、そこには一人の女性が立っていた。この場で制服を着ているのは自分だけだし、何より彼女の目線からタケルはこの女性が自分に話しかけたのだと確信した。
目の前の女性は年齢は自分とそう変わらないように見えるが、遠くからでもわかる、透き通る様な金髪が印象的だ。髪と同じぐらい透明感のある顔立ちで、タケルは生まれて初めて見惚れるという感情を覚えた。
「この時間にいるなんて珍しいね。しかも制服で」
「えっ…あぁ今日は始業式で学校が午前中で終わったので」
ごく自然に隣に腰かけた彼女から話しかけられ、より近づいた距離にドギマギしながらもタケルは何とか会話をする。そこまで人見知りをする質ではないし、女性との交際経験はない事はないが、初めて会う女性、しかも明らかに美人と言える人にこんな至近距離で話しかけられれば、年頃の男子なら誰だって緊張して上手く言葉が紡げる訳はないだろう。自分の中で言い訳をしながら、タケルはふと違和感に気づいた。
「あの…何で俺がこの公園によく来る事知っているんですか?」
口ぶりからして、タケルが学校の帰りや休日に通学路の途中にある、この公園によく来ている事を彼女は知っている様子だ。
「何でって、そりゃよく来るから顔ぐらい覚えるでしょ」
自分の質問に対する答えにはなっていない気がしたが、彼女はタケルがよく公園に来るから、自然と覚えてしまったようだ。そうなると彼女もよくこの公園に来ているという事なのだが、タケルは彼女のことはまるで知らない。こんな特徴的な女性、一度見たら忘れる訳がないと思うのだが
「えっと…確かに俺はよくここに来ますけど、あなたの事を見た事はないんですが」
 「そんな事ないよ。君はここに来る度に私を見つめてたからね」
 彼女のその言葉はタケルを更に混乱させた。今日初めて会った女性からこの公園に来る度に彼女を見つめていた男にされてしまっている。
 「すみませんが人違いだと思います。俺は本当にあなたの事を知らないので」
 「ねぇ。そんな事よりいつまでも座ったままじゃ面白くないから遊ぼうよ!」
 「えっ。いやちょっと…」
タケルの弁明を聞くことなく、彼女は彼の手をとり駆け出した。

タケルの息は上がっていた。まさか高校三年生にもなって、公園の遊具を使って全力で遊ぶ事になるとは。
「だらしないなぁ。このぐらいでバテるなんて」
そのきっかけを作った張本人である彼女はタケルと同じぐらい駆け回ったにも関わらず、全く疲れた様子がなかった。見かけは華奢だが、体力はある方らしい。
「悪かったな。こっちは普段運動なんて体育ぐらいでしかやらないもんでね」
息を乱しながらタケルは言った。遊んでいる内に彼女に対する口調もくだけたものになっている。
「一通り遊んだし、休憩しようか」
「そうして貰えると助かるよ」
「じゃあ、あそこの自販機まで競争ね!負けた方がジュースをおごるって事で。はいヨーイドン!」
「えっ。ちょっと待っ…」
走り出した彼女。戸惑うタケルも後を追うように走り出した。

「うん!人から奢ってもらったジュースは美味しいね」
「そうですか。そりゃ良かった」
二人は始めに座っていたベンチに並んで腰をかけジュースを飲みながら話している。ジュースをかけた競争はタケルが負けた。急な事と疲れていたからとは言え、同い年ぐらいの女性に走りで負けたのは、それなりにタケルのプライドを傷つけた。
「あのさ。随分体力あるみたいだけど、何か運動部に入ってるの?」
運動部に所属している女性になら負けても仕方ないだろうと、自分の安いプライドを守る為にタケルは彼女に聞いた
「ううん。入ってないよ」
「あっそうですか」
その答えにタケルは乾いた笑いを浮かべることしかできなかった。明日からジョギングでも始めようかと密かに決意をする。
「でも体を動かすのは好きだよ。いっぱい風を感じられるしね。しかも今日は君と遊んだから余計に楽しかったよ」
天真爛漫。この短い時間の中で彼女を表すのに一番ふさわしい言葉だ。自分がこの公園に来る度に彼女の事を見つめていたという謎はまだ解決していないが、確かに彼女のような素敵な女性がいたら、つい目で追いかけてしまうだろう。そんな考えに耽りながらタケルはまだこの女性の名前を聞いていない事に気づいた。
「ごめん。今更なんだけど、君の名前、教えてくれる?」
「えっ?私の名前?」
タケルの問いかけに彼女は眼を丸くした。そんなに突拍子のない質問だとは思えなかったのだが、彼女はバツが悪そうな顔を浮かべている。
「ん…その質問に答える前に、私から一つ質問してもいいかな?」
「えっ あぁどうぞ」
「ありがとう」
彼女は一息置いてタケルに問いかけた
「今日ここに来た時の君は随分と表情が暗かったけど、何か嫌なことでもあったの?」
「ここにきた時? …あぁ。確かにあったと言えばあったけど」
「そっか… それは人に言えないことなの?」
「質問は一つじゃなかったけ?」
「…女の子の揚げ足を取る男はモテないよ」
「ごめんごめん。というか俺はそんなに暗い表情していたのか?」
「うん。それに遠くを見ている感じだったよ」
「あ~そんな顔してたのか俺」
「で、話を戻すけど、何かあった?それは人に言えないこと?」
「いや、大した話じゃないんだけどさ…」
タケルはこの公園に来た時に考えていた将来に対する不安を彼女に話した。
「ふ~ん。やりたいことが見つからない、か」
「まぁそんな感じ」
「それって絶対に見つけなきゃいけないものなの?」
「絶対って訳じゃないよ。同級生の中でも見つけられてないヤツがほとんどじゃないかな」
「じゃあそんなに焦ることもないんじゃないの?」
「確かにそうかもしれないけど… 周りのほとんどがそうだからって、これからもそんな風に流されるだけなのも何か嫌でさ」
タケルの親しい友達は自分の進路を決めている人が大半だ。そんな友達を見ていると、いくら周囲の大半の将来の状況が自分と同じとは言え焦りは覚える。関わりの少ない多数派よりも、親しい人間の状況の方がタケルにとっては影響力が強い。
「タンポポはさ…」
彼女は落ち着いた声で話し始めた。
「風に吹かれて違う場所に飛んでいくの。それは自分では決められない。本当は今いる場所から離れたくないかもしれない」
そう言った彼女の眼は少し寂しそうにタケルには見えた
「でもね辿り着いた場所を自分が前にいた場所より好きになれなかったとしても、どんな場所にいても空に向かって伸びないとね。じゃないと新しいところにも戻りたいところにも戻れないもん」
彼女はベンチから立ち上がり、少し歩くとタケルの方を振り返り微笑んだ
「それに風に吹かれて着いた場所が前いたところよりも好きになることもある。流されるだけっていうのも悪くないと思うよ」
「そうかな…」
「うん。もちろんやりたいことを見つけることも素敵だよ」
「そっか。見つかるかな俺にも」
「君の場合は好きなものがあるから、他の人よりは見つけやすいと私は思うんだけどな」
「えっ」
「え?」
「いや、そんなに驚かれた顔されても… 俺、君に好きなものがあるとかの話をしたかな?」
「?君は花が好きなんじゃないの?」
「!?」
彼女のその言葉にタケルは心底驚いた顔をした。それと同時に錠をかけた記憶の扉が開き始めた

タケルは草花が好きだった。きっかけは覚えていない。いや、きっかけなどなかったかもしれない。子どもの頃はおもちゃ屋に行くより花屋に行くのが好きなぐらいで将来は本気で花屋になりたいと思っていた。だが小学生にあがった頃、その夢を話したら「男なのに花屋さんになりたいなんて変なの」とクラスメイト達に笑われてしまったのだ。タケルは自分が好きなことや夢が周りの人たちから見て可笑しなものだという事にショックを受けた。流石に今は男が花屋になる事がおかしいなどとは、その当時笑ったクラスメイト達も思っていないだろう。だが、その時に受けたショックが大きく、草花が好きなことは人前で口にしなくなったし嫌いになろうとした。いや、実際に嫌いにはなったのだ。だがそれは蓋をしただけのようなもので、消えることはなかった。依頼、草花が好きな気持ちを持て余しながら生きてきた。人前ではその気持ちを出すことはないが、ふと気づくと景色の中からそれらを探してしまうし、見つけたらしばらくそこにいることが多い。タケルがこの公園によく来るのも、ここにたくさん咲いていたタンポポが気に入ったからに他ならない。
「…もし俺が花が好きだとしても、それがやりたいことに繋がる訳じゃ」
こんな時にも素直になれない。タケルは自己嫌悪に陥っていた
「まぁそうかもね。でもそれでもいいんじゃない?花が好きな人が全員花に関わる仕事とかをやって生きていく訳じゃないしね。さっきも言ったように流されるだけ流された先に生きがいみたいなものも見つかるかもだし。ただ…」
一度言葉を止めた彼女は真っすぐタケルを見つめ、再び言葉を紡いだ
「私を…私たちを見ていた君の瞳はとても優しかった。きっと君のような人間の傍にいれたら、私たちは幸せだと思うな」
「え。それってどういう…」
言いながらタケルは彼女の言葉の意味を考えた。そして一つの答えを思い浮かべた瞬間、強い風が吹いた。
「…もう行かなきゃ。ありがとね。楽しかった!」
今日一番の笑顔を浮かべた彼女の手には傘を差すように大きなタンポポの綿毛が握られていた。そして地面を蹴り、未だに吹く強い風に乗り空高く舞い離れていく彼女の姿を茫然とタケルは見つめていたが、我に返り彼女に向って叫ぶ。
「また!逢える!?」
「多分、無理だと思う!」
さも当然のように再会は無理だと言った空を舞う彼女。嘘でもまた逢えると言ってくれてもいいじゃないかと思う地に足を着けているタケル
「大丈夫!君なら何処に行っても大丈夫!私が保障してあげるから。じゃあねバイバイ!」
風は止んだ。彼女はもういない。この公園には茫然と立ち尽くし空を見る、ただの高校生、宮地タケルがいるだけだ。自分が過ごしたこの数時間は夢か幻だったのかタケルは考えていた。カラン。何かが落ちた音にタケルは振り返る。すると先ほどまで自分が座っていたベンチから落ちたであろう空の缶ジュースがコロコロと転がりタケルの足元で止まった。それを拾いタケルは微笑みつぶやく。
「…最後の最後に文字通り上から目線でもの言っていきやがって」
ベンチに置いておった自分の分の缶ジュースの残りを飲み干し、少し離れたゴミ箱に空き缶を二つ同時にタケルは放り投げた。一発でゴミ箱に吸い込まれた二つの空き缶の音はくじ引きで当たりが出たときのベルの音のようにタケルには聞こえ気分が良くなった。
「さてと…帰って勉強でもするか。受験生だしね」
出された課題をまず片付けるか。それとも花屋になるには専門の勉強をした方がよいのか。知らなければならないことは沢山ある。きっとどんな道に進もうと、楽しいばかりではなく苦しいこともあるのだろう。思い通りにいくことの方が少ないかもしれない。辛くなったら逃げてしまうかもしれない。それでもいい。未来なんて誰にもわからない。タケルは家路に向かった。
また強い風が吹く。それは何処か自分を導く声のようにも思える温かい風だった。

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