すみません
ここ数日でことばになり始めたモヤつきの話。
「曲のヤクザ」問題。
いつからか、特定の曲を過激に推している人のことを「〇〇のヤ」と表現しているのをタイムラインで目撃するようになった。
最初の方はそういう言い方があるのか〜と面白く感じていたのだが、だんだんエスカレートしているように思えてならない。
好きな曲があるのはそれは素敵なことだし私だってかつて芸人曲と呼ばれる曲を持っていた気がする。でもあまり過激なことを言って「曲」ではなく「ヤクザ」の方が目立つのが嫌だったから最近意識的に控えるようになった。
「〇〇(曲名)といえば誰々さん」という同調圧力が強く蔓延るのは正直いただけない。
それどころかいわゆるヤ曲を持っていない人が「狂いが足りない」と自省しているところまで見かけた。なんだ狂いが足りないって。
同じタイムラインを共有することで共通言語が生まれることは当然だと思うし、その言語で繰り出される内輪ネタが他にない楽しさを持っていることも私は知っている。
でもそのノリで内輪であろうがなかろうが誰かが傷ついて、しかもそれを言い出せずに一緒に笑っている状態は不健全だ。
ネットだから、嫌だと思ったらブロ解でサヨナラできる。けど実際そんなスパッといけるようなもんでもないのが半端にめんどくさいなあと今は思ってしまう。
どんな風に盛り上がっていたとしても、自分が使っている言語にくらいは責任を持っていたい。気付いたからには。
最近のタイムラインでは大袈裟なことをすればするほどウケてしまうという流れが顕著だ。
個人的には危ういな、と思う。私がどっかいけばいいだけの話かもしれんが。
近頃とみに汚れてきた。そして嫌われている気がする。
まあいっか。後悔してもnoteだけは消しません。
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