今になってちぎった昨日の痛み
去年の夏あたりに設定していたアラーム音を今朝聞いた。ベッドタイムのヘリオスという音だが、それを聞いた瞬間「思ったよりは痛くもないけれど なんだろう?苦しすぎるよ うまく言えないけれど」と言う気持ちになった。びっくりした。
例えば、音を聞くことで思い出すなにか、を岩沢厚治は「今になってちぎった昨日の痛み」と表現したのではないか。そしてその痛みは「思ったよりは痛くないけれど」「苦しすぎる」のだ。うまく言えないけれど。
なぜこの痛みは痛くないのだろう?
なにかに連れられて思い出される記憶って、生々しくもやはり美しいのだと思う。街ですれ違った匂いに好きだった人を、風の温度に幼い頃の景色を、草の湿り気に当時読んでいた本を、私たちは思い出す。多分、美化された形で。
そのもう触れられないところにある美しさが、胸に苦しいのだ。
fromで歌っている記憶も、もう触れられないところにあるのではないかな。
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