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ねづくりや人物語り~2022世相観記

●香高堂2022世相観記=ねづくりや人物語り
 <地下鉄根津駅>を降りると、車や人々で雑踏の<不忍通り>に出る。少し歩き小道を曲がると小さな通りに入る。小さな表示で<根津観音通り商店街>とあるが商店は少なく、戦前からの低屋の一軒家や長屋の入り口には鉢植えの花々が立ち並ぶ。民家の合間に昔からの日用雑貨店、味噌店がある一方、おしゃれ雑貨やギャラリーなどが点在している。

 文京区から台東区一帯の谷中・根津・千駄木地区を<谷根千>と称する。上野公園と東京芸術大学に近く、神社を中心に築かれた街で、今なお昔ながらの雰囲気をたたえている。千駄木には川端康成、北原白秋、高村光太郎、夏目漱石、森鴎外など多くの文人が住んだ歴史があり、「吾輩は猫である」もこの地で執筆された。佃島で幼き時期を過ごした詩人で思想家吉本隆明もこの地に暮らし、娘の吉本ばななはここで生まれた。
 
<谷根千>には十数年前、日暮里から歩いた記憶があり、根津の「はん亭」に何度か通ったが、すっかりご無沙汰していた。この春、東京都美術館の帰りに焼き鳥が食べたくなり上野から歩いたが、この小さな裏通りには出会えなかった。
 東京の下町風情を残して歴史と情緒が溢れるのは、古き良きものを残しながらこの地域を愛する住民が多かったようだ。<墨田江東>とは違い、太平洋戦争の戦災をあまり受けず、戦後も大規模開発を免れている。この日は、あるヴィオラアーティストの演奏があるので、夕方、根津観音通り商店街の居酒屋に向かった。
 
30人程度が入るさほど大きくないスペース、この日は17時から19時まで演奏タイム、それ以降は通常営業の居酒屋になる。その店の名は今年3月末にオープンした「まちの学び舎 ねづくりや」、ライブ演奏ばかりでなく、ワークショップやトークライブも行っているようだ。お昼はヘルシーなサラダプレートと選べる「おばんざいプレート」があり、夜は「てづくり酒場 ねづくりや」になる。
 
 ライブが始まる前にカウンターに座り、スタッフの丁寧な仕込み作業を見守る。つまみをいくつか頼んだが、おばんざいは京都風の塩辛さはなく、出汁が効いている。出張料理人の青柳悠太氏は「味は客と店が作るもの、塩でも醤油でも好きなようにアレンジしてください」と言う。WEBサイトには「飲食を楽しんで、素敵なモノを見つけて、時にはみんなで手を動かして。<ねづくりや>は人と街の根っこを学び、人と人の繋がりを築くよろず屋として、自由な語り場をつくっていきます。」とあった。
 
 その健康的空間事業に飲食が含まれ、音楽などのライブも大切になっている。どうやらこれからの空間スペース開発の根本は、大手不動産会社による無味乾燥した大規模施設でなく、小さな商店街と住民が共に生きる場を創ることにあるようだ。運営会社は、空間環境を設計コンサルする<株式会社ライブライフ>だと言う。WEBサイトでは、代表の島村智之氏がこう記している。
 
 「変革していく社会構造の中で、わたしたちの生活も大きく変わろうとしています。日常のオフィス空間にひと時の心地よさを提供する為、五感を生かした健康的空間事業を展開し多くの知見を得ることが出来ました。クライアントの方々の納得いただける付加価値の高い快適環境を創造することで、心地良さと、生き生きとしたアクティビティ空間を実感していただき、皆様の未来ある成長をお手伝いしていきたいと考えております。これからも人に寄り添う感性空間設計のコンサルタントとして、快適な社会環境創りに挑み続けてまいります。」
 
 ライブハウスとなった居酒屋<ねづくりや>、土曜夕方17時過ぎにライブ演奏が始まり、19時頃に終わった。その頃には、我が喉にはビールと2杯の日本酒が呑みこまれていた。ほとんど毎日がブドウ系アルコールであり、9月の沖縄行きから泡盛&シークワサーが加わったが、日本酒は久々でほろ酔い気分が身体の中に広がった。
 
 この場で、内田洋行から分社独立した<パワープレイス>の代表取締役社長の前田昌利氏と知り合うことが出来た。前田氏は鹿児島出身で、明治大学OB、1981年に内田洋行に入社している。<パワープレイス>は空間デザイン・システム・コンテンツ・プロダクトのデザインとエンジニアリングサイクルでのプロジェクトマネジメントを手がけている。オフィスの移転の際には「お客様のありたい姿は何か」とコアメンバーやキーパーソンへヒアリングと場としての物的調査を行うという。自分たちの型にはめるのでなく、顧客の意向を徹底的に確認し、提案するようだ。
 
 名刺交換の後、前田氏は「萩原薫のヴィオラの音は心を温める」と言い、退職後は児童文学を書きたいと言った。彼の私的な情熱が垣間見れたと思い、思わず絵画やアートへの想いを聞きたくなった。
 児童文学は絵本や童話、不思議の国のアリス」に代表される冒険ファンタジー、「ライ麦畑でつかまえて」といったヤングアダルト小説、詩、童謡、漫画、映画まで広く対象となる。20年以上前から何故か児童文学出身の小説家の作品を読むことが多くなっていた。児童文学は忘れかけた心の襞に潜むものを浮き彫りにする。
 
 海外旅の移動中に見た映画「ネバーエンディングストーリー」は「ハリーポッター」より面白かった。その原作は「はてしない物語」で、一生手元に置いておきたい児童文学NO.1と言われている。だが、その著者はミヒャエル・エンデとは知らなかった。ミヒャエル・エンデ「モモ」はもじゃもじゃ頭の少女モモが主人公で、時間を盗んでしまう<時間どろぼう>の描写は、急いて生きる現代人に対する痛烈な風刺になっている。
 
 一方、商社マンだった高任和夫は、企業や組織に対する厳しさと、人の弱さに対する温かさを併せ持った視線で経済企業小説のジャンルを超えた著者独自の作品世界をつくった。高任和夫の「エンデの島」は仮想通貨、馬鹿げた円安の時代に今一番読んで欲しい小説かもしれない。
※「BOOK」データベースより
「パンを買う金と、株に投機する金は違うはずだ」―作家の門倉が、雑誌の取材のために訪れた伊豆諸島の奥ノ霧島は、ミヒャエル・エンデのこの言葉を具現化した、まさに理想の島だった。コミュニティの信頼関係を醸成する地域通貨、善意のボランティアに支えられた議会や病院。紀行文のスタイルで、人間の真の幸福と、この国の目指すべき未来を描いた、愛の経済小説。」

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